あの戦場カメラマン御用達? 横浜橋ミリタリーショップ「マツザキ商店」
ココがキニナル!
横浜橋のマツザキ商店をみてきてください。戦場カメラマンさんもご愛用と聞いたことがあります。(Ichiさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
マツザキ商店はテレビでおなじみの「あの人」以外にもプロの戦場カメラマンやミリタリーファッション好きが集まる素敵なお店だった
ライター:秋山 千花
ゆる~いミリタリー?
「戦場カメラマンさん」とは、独特の語り口でテレビでもおなじみのあの人のことだろう。その彼もご愛用という「マツザキ商店」、いったいどんな店なのだろうか?
さっそくインターネットで「横浜橋」「マツザキ商店」という2つのキーワードを検索すると、あっさり同店のホームページ(以下、HP)にヒット!
それによると、同店は「ミリタリーウェア、ミリタリー雑貨、ワークウェアの販売店」であるとのこと。ネット販売も行っているようで、HPにはさまざまなアイテムの写真や紹介記事が掲載されている。
なるほど、それで「戦場カメラマンさん」ご愛用なのか!
と、ここまで調査は順調に思えたのだが「ミリタリー」という言葉にどうも尻込みしてしまう筆者。なんか、すごくマニアックだし、店主もきっと、厳(いか)つい顔の恐い人なんじゃないの? と、勝手なイメージをふくらませてかなりドキドキ。
そこで、少しでも前情報をと思いHPを端から端までよ~く見ていくと・・・?
なんだかキニナルアイテムの紹介ページ
もちろん、そこは専門店の商品紹介ページ。使用年代や使用部隊、素材やコンディションなど、購入者にとって必要な情報は丁寧に記されているのだが、そこに添えられた店主からの一言コメントがちょこちょこっと・・・妙なツボで攻めてくるのだ。
例えば「MY DAUGHTER IS IN THE NAVY(=娘が海軍〈NAVY〉にいます)」と書かれたブルーのスエットには、「本当に娘さんが“NAVY”にいらっしゃる方にはとてもおすすめな1点です」(一部抜粋)と、ものすご~くピンポイントな方にオススメコメント。キニナル・・・
さらに、大振りなグラス「U.S.MARINE CORPS“MWSS-473” Glass」には、「朝の目覚めにこのグラスいっぱいの水を飲めば健康になりそうな気もします」と思わず「気のせいだよ!」と突っ込みたくなるようなコメントをしてみたり、ダメージ感がオシャレにも感じるカバーオールに「女子からは賛否両論がありそうな気もします」と忠告してみたり・・・
なんだろう、このゆる〜い感じ
筆者「マツザキ商店」もさることながら「マツザキ商店の店主」がキニナル! これは、ぜひお話を聞かないと。
いろいろキニナル! マツザキ商店へ!
「マツザキ商店」のある南区浦舟町は、投稿にある通り「横浜橋商店街」のすぐ近く。横浜市営地下鉄・阪東橋駅より歩いて5分ほどの距離にある。
ちょっと覗いただけでも、その品数の多さに驚かされる
店内は、両側と中央に商品棚、その間に2本の通路という配置。
通路は、人がやっと1人通れるくらいだろうか?
反対側の通路もぎっしり!
もはやどこに何があるのかもわからないような状況の中、店内奥から「散らかっててすいません!」と恐縮しながら登場したのがキニナル店主・片山良太郎さん(42歳)。
よかった、恐い人ではなさそう
「まあまあ、どうぞどうぞ」と勧められるがまま、ミリタリーウエアの山の下に置かれたBOXに腰掛けると、これがなんだか大きなタンスの中にいるようで不思議と落ち着く、落ち着く。筆者、最初の尻込みも忘れてすっかりリラックス。ミリタリーウエアに埋もれながら、のんびりとお話を伺うことに。
イス代わりにもよいがっちりと大きなBOXは、工具入れなどにオススメ
片山さんの話によると「マツザキ商店」のオープンは、古物店の免許取得年数から見て恐らく1963(昭和38)年ごろではないかとのこと。
もともと片山さんの母方の祖父・松崎氏が東京・上野で官公庁払い下げの商品を売る店「松崎商店」を営んでいた。「マツザキ商店」はその支店のような形で、片山さんのお母さんが結婚後に移り住んだこの地で始めた店なのだとか。
上野の「松崎商店」も今なお健在だが、自衛隊や警察、国鉄などの払い下げ品の入手が難しくなった後は、こちらも成り行き的に海外の軍物を扱うようになっているよう。知る人ぞ知る「ミリタリー」ファンには有名な店で、現在は片山さんのご親戚が営んでいるらしい。
「松崎商店」がカタカナ表記になった理由は、はっきりとせず
片山さん自身は、幼いころからこの店を間近で見ていたものの、まったく「ミリタリー」に興味を持つこともなく大人になったそう。
「生まれも育ちもこの街」という片山さんは、もちろんベイスターズファン
「身近すぎたんでしょうかねぇ? まったく継ぐことは考えてなかったんですよ」と語る片山さん。以前は「ビールが好きだから!」という理由で大手飲料メーカーの営業マンだったという。
編集部・松山氏がキニナったグラス(1850円)は生ビールを注ぎたい感じ
そんな片山さんが思いもかけず脱サラし、同店の店主になったのは、今から十数年前のこと。当時店主を務めていたお母さんが病気で余命1年の宣告を受けたためだった。
「最初は、1年間の店番のつもりだったんです。でも、余命1年が5年になってしまって(笑)」と冗談めかして当時を振り返る片山さん。でも、それはきっと片山さんの存在がお母さんにとって大きな支えになった証であるとも言えるだろう。
素人目にはどれも同じカーキ色のジャケットも年代や型などさまざま