洪福寺松原商店街にある「店名のない焼き鳥店」に突撃!
ココがキニナル!
松原商店街にある屋台の焼き鳥屋さん。老夫婦が営んでいるようなのですが、年季がかなり入っており歴史が気になります。ちなみに焼き鳥は安くて美味しかったですよ(うるしさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
洪福寺松原商店街にある焼き鳥店は創業38年の老舗。店主の水谷夫婦は、結婚50年を迎えるおしどり夫婦だった
ライター:三輪 大輔
横浜の三大商店街といえば、横浜橋通商店街と六角橋商店街、そして洪福寺松原商店街である。その三大商店街の一角を占める「洪福寺松原商店街」に老夫婦が営む年季の入った焼き鳥店があるという。一体どんな焼き鳥店なのか? 早速、現場に向かって突撃取材を試みた。
老夫婦の焼き鳥店の軌跡
日曜日の午後3時過ぎ。洪福寺松原商店街は、多くの買い物客でにぎわっていた。店先に立つ店員さんから威勢の良い掛け声が飛び、狭い路地は活気で溢れている。取材当日の横浜の最高気温は9度と冷え込んでいたが、そんな寒さもどこ吹く風。商店街は熱気に満ちていた。
相鉄線の天王町駅方面にある洪福寺松原商店街の入り口
多くの買い物客でにぎわう洪福寺松原商店街
この日、実は洪福寺松原商店街を訪れるのは2回目であった。一度、平日に訪れてみたものの、老夫婦の営む焼き鳥店を見つけることができなかったのだ。
そこで、松原商店街で同じ焼き鳥店を営む「ムック」の店員さんに「老夫婦の営む焼き鳥店って、この商店街にありますか?」と尋ねてみた。すると「あそこは土日しかやってないね」とのこと。そこで、この日、改めて出直してきたのだった。
平日でのんびりとした雰囲気の洪福寺松原商店街
平日に来た時も、同じ時間帯に来たのだが、商店街は高齢者がゆったりと道を歩いており、牧歌的な雰囲気が漂っていた。それがこの日は、通りを埋め尽くすほどの人出の多さである。熱気と混雑に圧倒されそうになった。
メインから外れた路地にも軒先に商品が積み上げられた店が連なる
人垣を掻き分けて進み、もう少しで商店街が終わる所で、年季の入っていそうな屋台を発見した。中には串に刺さった鶏肉を焼く老夫婦の姿。ここで間違いないようだ。早速、取材の依頼をし、インタビューを開始。
老夫婦の営む洪福寺松原商店街の焼き鳥店
洪福寺松原商店街の案内図。左が天王町駅方面である
店を営む老夫婦は「水谷」さんという。結婚50年を迎えるおしどり夫婦であり、ずっと二人で店を切り盛りしている。ちなみに水谷夫婦は横浜で出会って、東京オリンピックの年(1964<昭和39>年)に結婚したそうだ。
写真の撮影をお願いしたが、顔を載せるのはNGとのこと。読者の皆さんには申し訳ないが、お店で確認していただきたい。
「いつごろから、お店をやっているんですか?」と尋ねると、店主の水谷さんが「38年前」と教えてくれた。38年前となると、創業は1976(昭和51)年ということになる(※取材は2014〈平成26〉年末)。
「やきとり」と書かれたのれんに「焼き鳥」の提灯
「只今営業中」の垂れ幕も煙で煤(すす)けている
1976年。それは、ロッキード事件が政権を揺るがし、前年の暮れに首相を退任していた田中角栄氏が逮捕された年である。1958(昭和33)年から1973(昭和48)年まで15年間続いた高度成長が収束し、当時の経済白書には「新たな発展への基礎がため」という副題がつけられていた。
また、カナダではモントリオール五輪が開催され、巨人軍の王貞治選手がベーブ・ルース選手の714本の記録を超えるホームランを放った。『およげ!たいやきくん』が大ヒットし、山口百恵やピンクレディー、キャンディーズが一世を風靡。文学界では、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞している。
こうした年に、水谷夫婦は保土ケ谷警察署に届出を出し、松原商店街で焼き鳥店を開業した。石屋製菓の「白い恋人」や「日清焼きそばU.F.O.」、ヤマザキナビスコの「チップスター」も同じ年に発売開始となっている。馴染みのロングセラー商品と肩を並べるほどの歴史がある店なのだ。
店の目印になっている「やきとり」と書かれた垂れ幕
店名を尋ねたところ「特にないのよ。うちはただの焼き鳥屋。ずっと松原の焼き鳥屋でやってきたの」と奥さんが答えてくれた。38年間、同じ屋台を使って、店名のないままずっと夫婦で営業を続けている。それが、水谷夫婦の焼き鳥店だ。
営業時間は午前10時から午後6時まで。以前は平日も営業していたが、現在は、いつも店を出している場所の裏で工事が行われているため、平日は休業し、土日のみの営業である。
店のすぐ後ろは工事中で骨組が組まれている