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ココがキニナル!

川崎ゆかりの乙橘媛(弟橘媛)と橘樹神社を取材してください。(小鳩さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

日本最古の書物『古事記』に登場するオトタチバナヒメとヤマトタケルノミコト。2人がお互いを想う気持ちに感銘した地域住民によって作られた神社

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2015年02月26日

ライター:橘 アリー

ラブストーリーから生まれた神社!?
 


橘樹神社は、川崎市子母口(しぼぐち)にある神社で
 

閑静な住宅地の一画にある

 
橘樹(たちばな)神社には、『古事記』と『日本書紀』に出てくる伝説の英雄とその后(きさき)、ヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメが祀られている。

『古事記』は現代では神話とされているが、天武天皇の時代(673〈天武天皇2〉年~686〈朱鳥元〉年)に中央集権的な国家体制を築くためには、それを正当化する神話や歴史書が必要だということで編纂(へんさん)が始められ、712(和銅5)年1月の元明天皇の時代に完成した日本最古の書物である。

一方『日本書紀』は、720(養老4)年に、天武天皇の皇子である舎人親王(とねりしんのう)などによって作られた正史(国家によって作られた歴史書のこと)である。

『古事記』と『日本書紀』では内容に少し違いはあるが、2人が出てくる物語の大筋は同じである。

名前の表記はそれぞれ異なっており、ヤマトタケルノミコトは『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊」である。
そして、オトタチバナヒメは『古事記』では「弟橘比売命」で、『日本書紀』では「弟橘媛」である。
 


焼津神社境内のヤマトタケルノミコトの石像(『らくらく読める古事記』より)

 
オトタチバナヒメに関しては、ほかにも「乙橘媛」「弟橘媛命」「橘比免」などの漢字も使われていることがあるので、今回は「ヤマトタケルノミコト」「オトタチバナヒメ」とカタカナ表記とすることに。

キニナル物語の大筋とは・・・
ヤマトタケルノミコトが父である景行(けいこう)天皇の命令で、朝廷に服さない熊曾(くまそ:南九州に住み、長く大和朝廷に服属しなかった集団)を滅ぼし、さらに東征(東国を平定するように命じられて)に出かけようとした。
 


熊曾の戦いの勝利祝いの舞として伝わっている踊りの様子(『らくらく読める古事記』より)

 
走水(はしりみず:現在の横須賀)の海岸から船で房総半島へ向かう中、その進路を阻むように海神の怒りで海が荒れたので、その海神の怒りを鎮めるためにオトタチバナヒメが走水の海岸から入水(じゅすい:水中に身投げすること)した。
それによって海が鎮まり、ヤマトタケルノミコトは無事に海を渡ることができた・・・というお話だ。

オトタチバナヒメがヤマトタケルノミコトのために入水したのには、オトタチバナヒメが相模国の野原で火に襲われた時、ヤマトタケルノミコトが“大丈夫か?”と安否を気遣ってくれたことに対する感謝の意が込められていたとある。
そして、オトタチバナヒメを亡くしたヤマトタケルノミコトは、東征の帰り道、坂の上に登って“吾妻(あずま)はや(わが妻よ)”と嘆いたという。
 


ヤマトタケルノミコトの征討ルート(『らくらく読める古事記』より)


ヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメの物語には、お互いを想い気遣う気持ちが描かれているラブストーリーと言えるであろう。

では、そんなラブストーリーが背景にある橘樹神社について調べていくことに。
 


橘樹神社はどのような神社なのか?

橘樹神社の維持管理および運営を行っている橘樹神社奉賛会の担当者にお話を伺った。
 


橘樹神社の近辺の様子

 
まずは橘樹神社の由緒について。
前述の通り、橘樹神社の創建年は不明であるが、最初は橘神社と呼ばれていたが、飛鳥~奈良時代のころに「漢字一文字というのは、あまりいい名前ではない」との理由から、タチバナなので立つと花をあてて立花杜と言われるようになった。その後、いつのころからか橘樹神社と言われるようになったとのこと。
 


橘樹神社の境内はこのようになっている(橘樹神社ホームページより)

 
ちなみに、飛鳥・奈良時代~1938(昭和13)年ごろまで神奈川県にあった橘樹郡(現在の横浜市鶴見区・神奈川区の全域、西区・保土ケ谷区・港北区の一部、川崎市川崎区・幸区・中原区・高津区・宮前区・多摩区の全域、麻生区の一部)の名前は、橘樹神社から来ているそうである。

神殿について残っている記録では、1688(元禄元)年に再建され、1851(嘉永4)年に再び建て替えられ、関東大震災や戦争の空襲で焼失することも無く、1967(昭和42)年に改修が行われた。
 


境内にある橘樹神社修復記念碑の様子
 

震災や戦争を潜り抜けて来た神殿には、現在でも堂々とした風格が漂っている
 

神殿に施されている彫刻も素晴らしい!
 

神殿の内部の様子
 

障子の奥に、ヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメが祀られている

 
この神殿で、七五三やさまざまな願い事の祈祷を行っている。
橘樹神社はラブストーリーが背景にある神社であるということもあり、恋愛・結婚・子育てなどのご利益があるようで、最近は密かに“パワースポット”として注目を浴びているようである。

祈祷を受ける時は神殿に入ることができるが、見学目的で神殿を開放することはしていないそうである。

しかし、神殿に入れなくても、橘樹神社には見どころがある。

まず、神殿前に鎮座している狛犬が
 


普通の犬の姿をしていて、とても愛らしい!

 
なぜ、狛犬が獅子のような迫力のある姿ではなく、普通の犬みたいなのか聞いてみたところ、ヤマトタケルノミコトの守り神が犬であるからだそうだ。

そして、神殿の斜め前には石碑があり・・・
 


石碑の下の廟(たまや)が、オトタチバナヒメのお墓であるとのこと

 
廟の上の石碑は右がヤマトタケルノミコト、左がオトタチバナヒメを歌った碑文が刻まれている。
 


碑文の読み方が書かれている案内板

 
共に、幕末から明治時代に生きた幕臣・政治家、書の達人であった山岡鉄舟(やまおか・てっしゅう)が書したものだという。
 


ヤマトタケルノミコトを歌った石碑(左が表、右が裏)
 

オトタチバナヒメを歌った石碑(左が表、右が裏)
 

そして、石碑の後ろには今は枯れてしまった松の木があり
 

この松は、ヤマトタケルノミコトが手植えしたとされているものである

 
走水の海岸から入水したオトタチバナヒメ。その御衣(おんぞ/ぎょい)や御冠(おかんむり)などがこの地に漂着したので、オトタチバナヒメを偲んでヤマトタケルノミコトがこの松の木を手植えしたという。

そんな様子を伝え聞いた周辺の人々が、ヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメがお互いを想う気持ちに感銘して、橘神社(現在は橘樹神社)を作り、二人を祀ったそうだ。

オトタチバナヒメの墓である廟は、御衣や御冠などが漂着したと言い伝えられていた場所にあったが、土地開発のため橘樹神社境内に移転された。

その場所は・・・
 


地図中の丸印の辺りであるようである(地図は橘樹神社ホームページより)
 

かつて廟があったのはこの近辺で・・・
 

土地開発のために移転となったようだ

 
橘樹神社は、ヤマトタケルノミコトを想って入水したオトタチバナヒメの御衣や御冠などが流れ着いた場所に作られた神社だということが分かった。続いては、オトタチバナヒメが入水した走水海岸にある走水神社に向かってみる。




 

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