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横浜発祥の苗字や横浜で多い苗字はなに? 横浜市民の苗字を徹底調査!

ココがキニナル!

横浜市で多い苗字は? ランキングでなく、昔から横浜に住んでいる方々の名字の傾向やほかの地域にはあまりないのに、横浜では多く見受けられる苗字などが知りたい(かにゃさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

横浜生まれの苗字には「秋葉(庭)」「金沢(澤)」「平子」などがある。地域で多い苗字は、港北区の金子姓、中区の石川姓、栄区の内田姓など!

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ライター:橘 アリー

日本に苗字はどれだけあるの?



誰でも持っている苗字。
普段は何気なく名乗っているが、同じ苗字の人に出会うと親近感を覚え、変わった苗字の人に出会うと「出身地はどこなのだろうか」と考えたりする。

今回の調査は、そんな苗字に関するもので、単なるランキングではなく“昔から横浜に住んでいる方々の苗字の傾向”や“ほかの地域にはあまりないのに、横浜で多い苗字”などについて。

さっそく調べていくとして、まずその前に、日本にはどれだけの数の苗字があるのかと、苗字の歴史について簡単に触れておくことに。
 


参考とした資料の一部『名字大辞典』


苗字に関する資料を読んでみると、日本の苗字の数は約14万あるそうだ。そして、その数は世界で最も多いようである。

ちなみに、横浜市に多い苗字の統計があるのか調べたところ、残念ながらそれは無かった。しかし、県ごとのものはあった。
 


神奈川は1位が鈴木さんで2位が佐藤さん(『日本の苗字ベスト3000』より)


鈴木さんと佐藤さんは、調査年度などによって順位の変動はあるものの、全国で多い苗字の1位と2位である。
全国と比べても、神奈川県の上位ランキングでは特に変わった特徴は無いようだ。
 


日本の苗字のランキングの様子(『姓氏苗字辞典』より)


続いて、漢字で書く「苗字」と「名字」の違いについて調べてみると、最初に使われたのは「名字」という漢字の方であるそうだ。
 
まず、元々は“みょうじ”というものは無く、氏(うじ)で表す家の名や、所有する田の名前を自分の字(あざな)としていたが、子孫が増えたことにより、個々を識別するために「名(な)」と「字(あざ)」を合わせた通称で呼ばれるようになり、そこから「名字」という言葉ができて「みょうじ」と音読で呼ぶようになったようである。

その後、江戸時代になると血筋を表す「苗」の文字を使い「苗字」と書くようにもなっていき、現在は「名字」と「苗字」の両方が使われている(この後の記事中は、キニナル投稿にある「苗字」を使う)。
 
 
 

「苗字」の歴史



日本で苗字が使われるようになったのは、平安時代末期のこと。
それまでは、前にも書いたように平氏や藤原氏など、家の名前である「氏」が使われていた。そして、平安時代末期になると、田んぼとして開発された土地の所有権を表すために苗字が使われていった。苗字に地名が多いのは、そのためのようである。
 


所有権を表すために田んぼに苗字が使われた(フリー画像より)


鎌倉時代になると、武家政治が始まった。当時、神奈川県には多くの武士たちがそれぞれ領地を所有していたが、その領地を相続できるのは嫡男(ちゃくなん)に限られていた。そのため、次男以下の男子はほかの武士が所有していない土地を探して、そこの地名を自分の家名とすることによって新しい「苗字」が増えていったそうだ。

このように鎌倉幕府の時代に「苗字」が増えていった。その時、神奈川県で生まれた苗字も多く、その中には横浜で生まれた「苗字」もいくつかあるようだ。

これは、キニナル投稿にある“昔から横浜に住んでいる方々の苗字の傾向”と言えるのではないだろうか。

そこで“昔から横浜に住んでいる方々の苗字の傾向”として、横浜で生まれた「苗字」について調べていくことに。



横浜生まれの苗字は!?



横浜で生まれた「苗字」を調べるため、まず神奈川県で生まれた苗字を見てみる。
これがすべてでは無いようだが、神奈川県で生まれた苗字は
 


主にこの目次にあるもの(『神奈川生まれの名字』より)


見ると、「秋葉・秋庭(あきば)」「金沢・金澤(かなざわ)」「平子(ひらこ)」が横浜で生まれた苗字であるそうだ。

まず“秋葉”は、戸塚区秋葉町で生まれ、その当時は相模国高座郡秋葉という地名であった。

秋葉町に秋葉の名が付いたのは、近江国(おうみのくに・滋賀県)の武士であった近藤氏が戦いに敗れて逃げのびたことから始まっている。近藤氏が領主のいない土地を探す中、遠江国(とおとうみのくに・静岡県)の秋葉山でお伺いをたてたところ、当時は名瀬という地名だった場所が良いと教えられてそこへ赴いた。荒地だった名瀬の土地を開拓しながら“これも秋葉権現のおかげ”と感謝したことから、その地を秋葉と名付けたことによるそうだ。

また“秋庭”は、当時三浦半島を治めていた三浦大介義明(みうらおおすけよしあき)の弟の津久井次郎義行(つくいじろうよしゆき)の三男である義光(よしみつ)の子どもの義方(よしかた)が「秋庭」を名乗ったのが始まりであるそうだ。

その当時、三浦半島を治めていたのは三浦氏である。そして、その三浦氏が三浦半島を治めるきっかけとなったのは、源頼義(よりよし)が奥州(東北地方)で反乱を起こした豪族の阿部氏を鎮めることを朝廷から命じられ、その時の戦い(前九年の役)で頼義の軍に加わっていた溜道(ためみち)が活躍したことにより、三浦半島をもらい、三浦氏を名乗るようになってからのこと。

溜道は、衣笠城を築き、義明は4代目の城主である。
 


衣笠公園にある衣笠城址の碑


なお、奥州征伐を終えた源頼義は、京都へ帰る途中に、東国にも八幡宮を分霊することを思いたち、鎌倉と秋葉が候補に上がったが、結局、鎌倉(現在の鶴岡八幡宮)に分霊することになった。

しかし、それを不服に思った名瀬に住んでいた近藤久安(ひさやす)という人物が“小さな社でも良いからぜひとも分霊してほしい”と熱心に頼み、それが受け入れられて八幡社が建立されたそうである。

ちなみに、秋葉の八幡社は、現在はどうなっているのかは資料によると不明のようである。
 


鎌倉の鶴岡八幡宮の様子(フリー画像より)


2010(平成22)年当時の調査では、秋葉(庭)姓は神奈川県に約530戸あり、そのうち42%(約222戸)が横浜市にあるそうだ。なお、静岡県と島根県に秋葉氏があるが、横浜で生まれた秋葉(庭)姓とは無関係とのこと。
 
続いて、金沢(金澤)という苗字について。

“かなざわ”は“かねざわ”とも言い、漢字では金沢・金澤の両方がある。
この苗字は横浜市金沢区の生まれで、当時は武蔵国久良岐群金澤邑(むさしのくにくらきぐんかなざわむら)である。

現在の金沢区は、鎌倉幕府の執権の職にあった北条氏の分家である金沢北条氏が拠点としていた地域で、幕府の海運の拠点としても栄えていた。

北条時政(ほうじょうときまさ)の孫にあたる金澤五郎実泰(かなざわごろうさねやす)がこの地で金澤姓を名乗ったことが、金沢(澤)の苗字の始まりと言われている。

金沢区金沢町には、金沢北条氏一門の菩提寺である称名寺(しょうみょうじ)がある。
 


称名寺の門
 

称名寺の中にある庭園


金沢(澤)姓は、2010年当時の調査では、神奈川県に約1000戸以上あり、その約44%(440戸)が横浜市にあるそうだ。

なお、資料によっては、金沢(澤)姓の発祥が出羽国仙北群金沢(でわのくにせんぼくぐんかねざわ・秋田県)となっているものもあるが、金沢北条氏に関わりがあるのは同じであるようだ。