横浜の老舗飲食店が大集結した「横浜のれん会」にはどんな店がある?
ココがキニナル!
最近「横浜のれん会」のHPがリニューアルされていることに気がつきました。横浜のれん会の会員はどのようにして決まっているのかキニナル!(tokuさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜のれん会は老舗の味を守り戦後横浜の復興に寄与することを目的に1952年ころ設立。会員資格は創業30年以上の老舗店であることだった。
ライター:大和田 敏子
投稿内容を見て、早速「横浜のれん会」のホームページをのぞいてみた。
紹介されている店舗のラインアップに、すごく興味をそそられる。よく知っている老舗の飲食店がずらりと並んでいるからだ。これは、投稿者のみならず、一体、どんなふうにして選ばれているのか、その経緯がすごくキニナル!
「全国でも稀なたべものだけの会」「横浜の伝統と味を守り続ける老舗」の集まり!
「横浜のれん会」設立の経緯、目的とは!?
横浜のれん会の概要について伺いたいと事務局に連絡をとったところ、会計をされている「太田なわのれん」の青井茂樹(あおい・しげき)さんにお話を伺えることに。
老舗の店らしい佇まいの「太田なわのれん」
太田なわのれん、代表社員の青井さん
横浜のれん会が設立されたのは、1952(昭和27)年ころのこと。発起人が誰かは分かっていないが、空襲で焼け出されモノのない時代、戦前から面識があった老舗の経営者たちが、互いに力を合わせてやっていこう、横浜の復興に寄与していこうという思いで結成されたのだという。
横浜のれん会の会則には「横浜市内において食の業を営み、各自店舗のれんに背かぬ業績と信用を有するものをもって組織し、会員相互の営業の進展と親睦を図るだけでなく、よって横浜市の発展に寄与せんことを目的とする」と書かれている。
ホームページの飲食店紹介ページ(「濱新」は2013年退会)
設立当初のメンバーは不明だが、1954(昭和29)年の記念写真には、濱新、お可免(おかめ)、文明堂、太田なわのれん、センターグリルなど、16人の姿が残っているそうだ。
横浜開港百年祭開催(1958<昭和33>年)の数年前から、市では「港まつり」に力を注いでいた。発足当時の横浜のれん会も歌舞伎舞踊の演目のひとつ「娘道成寺(むすめどうじょうじ)」の仮装をこらし、何度かこの行列に参加。ミス・ヨコハマ(第1回は1952<昭和27>年)らとともに、祭を盛りあげたという。
また、横浜のれん会では、会を紹介する冊子を発行したり、オリジナルのグッズを制作し*て顧客への贈り物にしたりと、のれん会店舗のアピールをしてきた。
2005(平成17)年に横浜のれん会が発行した『わたしの好きな味』という冊子
会の設立の経緯や各店舗の紹介などが載っている
横浜スカーフの技術で作り上げたオリジナルグッズ、シルクの不老布(フローフ)
こちらの不老布は2010(平成22)年、健康、長寿、幸福を願う贈りものとして作られ、横浜のれん会の会員店舗名も書かれている。
「今の時代に合わないので、冊子の発行など行っていません。守るだけではなく、時代に合ったものをと考えていくことが必要でしょうね」と青井さん。
横浜のれん会のホームページがリニューアルされたのは2013(平成25)年ごろのこと。
現在はホームページを、横浜観光コンベンション・ビューローとリンクするなどして、外部の人に対する認知度を上げることにも取り組んでいる。
また、各店舗がそれぞれの良さを発揮して店を継続しお互いに共存していくために、年に5回の定例会と1回の親睦旅行を行い情報交換をしているそうだ。
飲食店だけで構成されている浅草のれん会や京都のれん会などと違い、お菓子の製造販売店も入っていることも横浜のれん会の特徴の一つだという。
ホームページでは物販11店も紹介(「盛光堂総本舗」は2015年3月退会)
横浜のれん会への入会については、創業30年以上、納税成績優秀なるもの、店舗も人格も優秀なるものという規定がある。つまり、30年以上きちんとした形で営業していることが条件。
この条件ならば、のれん会会員が増加しても不思議はないのだが、バブル期直前のころの49店舗をピークに減少し、現在は25店舗(現在、ホームページに記載のものから2店舗減)になってしまったそうだ。
1960(昭和35)年創業の「更科一休」が2010(平成22)年に入会して以降、新規入会店はないという。
会員の店には木製の板に書かれたロゴが掲げられる
会員店舗減少の理由は、閉店による退会だけでなく、会に参加する後継者が続かないといったことのようだ。
「今は横浜の中でも、みなとみらいなどが脚光を浴びていますが、横浜独自の店は少ない。その中で、横浜のれん会は、横浜の食文化を守っていく上で大切な役割を担っていると思います」と青井さんは話してくれた。
続いて、横浜のれん会、会員の店をご紹介!
1927(昭和2)年創業 甘納豆「米世本店(よねせほんてん)」
「米世本店」があるのは中区曙町。
国道16号沿い、横浜橋バス停の目の前だ
お邪魔します!
米世本店、代表取締役、米世将益(よねせ・まさみつ)さんに話を伺った。
「米世本店」は1927(昭和2)年創業。初代は、東京・錦糸町の老舗「野坂商店」で修業し、そののれん分けで開店したのだという。将益さんは5代目だそう。
「横浜のれん会の店」のロゴは、店に入って左手の壁にあった!
戦前は伊勢佐木町7丁目にあったが、横浜大空襲で店が焼失し、1950(昭和25)年に現在の場所で店を再開したという。
店名に本店とあるのは、以前は横浜ポルタや相鉄ジョイナスなど数店舗に出店していたからだそうだが、今は家族経営。本店のみで営業している。
1982(昭和57)年、「米世本店」を取り上げた神奈川新聞の記事
店の歴史や甘納豆の製法、当時の店舗展開などについても記載されていた。
現在、販売しているのは、うぐいす、うずら、大多福(そら豆・おたふく)、白花(白いんげん)、大納言しぐれ、栗なっと、芋なっと、豆板の8種類。(栗なっとは100グラム750円。ほかは1袋200グラム600円)。
商品が並ぶショーケース
昔ながらの量り売りもあるが、小袋に入れたものや、セットにしたものなど、さまざまなカタチで販売されている。
気軽に買える小袋は、ちょっとしたお土産にも良さそう
ショーケースの上に置かれた秤。なんだか懐かしい!
米世さんに、甘納豆についてのこだわりを伺うと意外な答えが返ってきた。
「特にこだわりもないし、当たり前に普通に作っているだけ」と。
けれども、長く愛されている店には理由があるに違いない。
さらにつっこんでみると「北海道産の大納言を使ってます、なんていうのはどこでもやっていることでしょ。今は昔のようにカリカリに乾いたものは流行らないから、少ししっとりしたものを作っている」と話してくれた。「豆をしっとりさせながら、水分が出てしまわない絶妙なところで仕上げたいんだよね」とも。その見極めがきっと難しいところなのだと思う。
そういうところ、こだわりって言いますよね? あえてそこを強調しないのは、お人柄なのだろう。
栗なっと、大多福、白花の3種類を出していただいた
まず、栗なっとをいただきます!
栗は、かなり甘みがあるのだが、しつこくなく、まわりがみつでコーティングされてカリッとしていて、すごく食べやすい。大多福、白花は、中はしっとりとしていて、豆の風味と美味しさが感じられる上品な甘み。外側のカリッとした食感もよく、おいしい!
「大納言しぐれ」も出していただいた
北海道十勝産の大納言小豆を使った甘納豆。こちらは、カリッとした感じではなく、柔らかく煮た小豆に砂糖をまぶしたような感じ、あんこに近いような味わいだ。こちらも、すごくおいしい!
「大納言しぐれ」は「しぐれ甘納豆」として神奈川県指定銘菓になっている
老舗の店ということで、お客さんには常連が多いのだろうと思っていたが、伺ってみると、常連さんと新規の方が半々くらいだそう。贈り物にもらって食べたらおいしかったのでと、わざわざ店の場所を探して来てくださるお客さんもいるという。甘党の方には特にうれしい品なのだと思う。
高級感のある詰め合わせから・・・
小袋を詰め合わせたものまで贈答用のパッケージも数多くあった
意外にもお客さんの8割は男性だそうだ。会社で贈答用に使われることもあるようだが、もしかしたら、男性の方が甘いもの好きが多いのかも、と店主の奥さまは話してくれた。
芋なっと作りの作業中。今や手作りは貴重だ!
手作りの甘納豆は、とても貴重! 贈り物として喜ばれるのもうなずける。甘納豆を知らない人も少なくない今、ぜひ、残していってほしい味だ!
横浜のれん会について米世さんは「昔からつながりがある店の方々と交流できる楽しみもありますし、お互いにとってメリットのある情報交換ができるのは良いですね」と話してくれた。