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横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

道路でない通路? 戸塚駅付近の撤去されかけた地下道とは

ココがキニナル!

戸塚の桜堤防の延長というか朝日橋のたもとの地下道。今は明るいけど昔はとにかく暗くて洞窟みたいな地下道で小さい頃どきどきしながら通ったっけ。当時の写真とかあったら是非見てみたい (サンマ—メンさん)

はまれぽ調査結果!

1953年国鉄(当時)施設の一般開放に始まり市や県の協力で現在まで継続。現状の通路は1974年新設の河川管理用通路だった!

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ライター:岡田 幸子

線路をくぐる川沿いの通路



「道」って何だろう?
思わずそんなことも考えさせられた今回の取材。ターゲットはJR・横浜市営地下鉄「戸塚」駅の南側にある地下道だ。

 

このあたり

 
早速現地に向かうと・・・

 

JR駅ホームの最南端


線路をくぐる形で存在する


歩行者用通路を発見した

 
今の状態はよくある感じの通路で、とりたてて変わったところは見受けられない。

 

入口にはなんだかキニナル配置の車止めがあり


内部の壁には壁画が施されている


照明もあって明るいし


舗装も完備といたってクリーン

 
投稿者が小さいころに「洞窟みたい」で「どきどきしながら通った」通路とは、本当にこれなのか。若干疑念を抱きながら、通行してみた。

 

と、こんな看板を発見!

 
「第2倉田川架道橋」!? 「架道橋」はこの看板の通路の上にかけられた橋のことを指していると理解できるとして「倉田川」とは?  いま来た道を少し戻ってみる。

 

確かにこの通路は川沿いにあるのだが、この川の名は・・・


そう「柏尾川」

 
「倉田川」なんてこの辺りの地図にはなかったはず。後日、地域に長くお住まいの方々や上倉田町の蔵田寺(ぞうでんじ)などに問い合わせてみたが、「倉田川」については知らないようで、情報にはたどり着けなかった。

 

神奈川県高校地理部会編著『かながわの川』にも「倉田川」についての記載は見当たらない

 
古くは周辺に田畑が広がっており、水路も多数あったそうなので、その名残なのかもしれない。ご存じの方がいらしたらご連絡ください!




もともとは住民要望から生まれた通路


さて、通路の成り立ちや詳細について調査を進めよう。通路内の看板には・・・

 


「地下道内設備の連絡先 戸塚区 戸塚土木事務所」とあったので


横浜市戸塚土木事務所へおじゃましまーす♪

 
道路係長の松田裕(まつだ・ゆたか)さんにお話を伺うことができた。

「なぜ柏尾川でなく“倉田川”なのか? さらになぜ“第2”なのか? その辺りは不明なままですが、あの通路は“第2倉田川地下歩道”と言います」と松田係長。

 

今回、この通路のことを詳細に調べていただきました

 
松田係長によると、この通路が一般に開放されたのは1953(昭和28)年。線路を越えて東西の行き来に必要であるとの地域住民の強い要望を受け、地元代表の陳情書を添付した施工許可申請が、1953年の1月に横浜市より国鉄東京鉄道管理局(当時)に提出されたのが始まりだ。

同年10月には国鉄より条件付きでの許諾がなされ、「第2倉田川地下歩道」は市民が自由に利用できる連絡通路としての役割を得ることとなったのだという。

この時代といえば、吉田茂を内閣総理大臣とした第1次から第5次まで続く吉田内閣の時代。当時、大磯に私邸を構えていた吉田茂が東京に車で向かう際、「開かずの踏切」であった「戸塚大踏切」付近の渋滞に業を煮やして戸塚道路の建設を指示したというエピソードは有名だ。

 

2013(平成25)年から県立大磯城山公園の一部として公開されている旧吉田邸では


一部の建物や吉田茂の愛した日本庭園を鑑賞することができる


吉田茂が丹精して育てたバラ園や、小さな竹林もある


2009年に消失した邸宅も再建され、2017年春から一般公開開始とか

 
高度経済成長に向けてヒトやモノの移動が活発となり、鉄道の便数も飛躍的に増加した当時。こうした通路なしに「線路を越える」ということが、住民に大きな負担を強いてきたことは想像に難くない。そうした負担の解消のために、横浜市が当時の国鉄に働きかけて協議した結果、「第2倉田川地下歩道」の一般開放にたどり着いたのだ。

 

踏切が開かなきゃ「くぐる」か「跨ぐ」しかないもんね

 
ちなみに、一般利用承認時の国鉄からのキニナル条件とは以下の4点。

・施設の所有は国鉄に属する。
・国鉄が必要とするとき、施設の移転、変更、撤去は市の負担によってできるものとする。
・施設の管理に要する費用は市の負担とする。
・施設及び用地の使用料金は別に指定する。

翌年、横浜市は国鉄に対し施設及び用地の使用料を無償とするよう要望し、国鉄側はこれを受け入れたのだという。