かつて改札が2階にあった? 京急線黄金町駅の歴史を教えて!
ココがキニナル!
黄金町駅改札は昔2階にあった?当時の写真や平面図を/黄金町駅はなぜ急行が止まらない/前身の湘南電気鉄道の始発ターミナル駅および本社社屋という由緒ある駅(かわさささん/じゅんたさん/ushinさん)
はまれぽ調査結果!
黄金町駅は1930年に湘南電鉄の起点駅として開業。2010年のダイヤ改正までは急行の停車駅だった。改札口は1990年の改良工事時に1階へ移動した
ライター:山崎 島
ライター山崎は、京急線の黄金町駅、好きです。思い入れもある駅で、よくふらっと遊びに行きます。今回は黄金町駅の歴史をたどりながら、駅構内の今昔、急行が停車する駅事情についての記事でございます。
湘南電鉄と京浜鉄道
1930(昭和5)年4月、湘南電気鉄道は黄金町駅を起点とした黄金町~浦賀駅間を一斉開業した。湘南電気鉄道については後々詳しく書くとして、翌年1931(昭和6)年には日ノ出町~黄金町間を開通させ、京浜急行電鉄の前身である京浜電鉄の品川~日ノ出町駅間と直通運転が可能になった。
1978(昭和53)年の黄金町駅の貴重な写真(京浜急行提供)
では、湘南電気鉄道の歴史を紐解いてみよう。
湘南電気鉄道は、1914(大正3)~1915(大正4)年ごろ、帝国鉄道会員(明治期の国家行政機関)の谷口氏と東京市電気局(東京都交通局の前身)の技師長・児玉氏が「東京付近での交通機関で未発達なのは三浦半島である」と話し合い、三浦半島巡環敷設計画を思いついたところから始まる。
この計画の発起人たちは、すぐさま三浦半島を視察し、海や山に恵まれた地形や名勝が多いこと、また横須賀軍港などの重要な施設があることを確認し、交通の必要性を痛感。電鉄の設立を決心した。
湘南電気鉄道の計画路線図(京浜急行提供)
発起人たちは、当時、鉄道の開業に必要だった建設免許を1923(大正12)年に横浜~横須賀市~三浦郡~逗子~鎌倉に至る区間を政府から取得。会社設立への第一歩を踏み出したが、直後に関東大震災が発生。会社設立も一時危ぶまれたが、京浜電鉄の助力もあり、1925(大正14)年に無事、湘南電気鉄道を設立。その5年後、現在と同じように高架上を線路が通る形で黄金町駅ができた。
湘南電気鉄道と京浜電鉄とのかかわりについては、湘南電気鉄道が東海岸線の終点駅の場所に、日ノ出町を選んだことから、同社のかかわりが深くなったと言われている。黄金町~浦賀駅間を開業した翌年1931(昭和6)年に、大岡川に掛る旭橋地点で湘南電鉄と京浜電鉄の路線を接続し、直通運転が可能になった。
この計画はもともと2社の間であったそうで両社の信頼関係の深さが伺える。また、投稿にもあったが黄金町駅開業と同時に湘南電気鉄道の本社は同駅の高架下へと移転した。
横浜~黄金町間連絡線が完成した際のパンフレット(京浜急行提供)
仲睦まじい湘南電気鉄道と京浜電鉄だったが、第二次世界大戦がはじまってから苦しい時代を迎える。1941(昭和16)年に湘南電気鉄道と京浜電鉄が合併し、京浜電気鉄道となった。翌年の1942(昭和17)年には戦時中の事業統制により、東京横浜電鉄・小田急電鉄と合併し、東京急行電鉄(現在の東急電鉄)となる。
その後、東京急行電鉄から京浜電鉄は分離・独立を果たし、1948(昭和23)年6月に京浜急行電鉄株式会社が誕生したのだった。