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バス停なのに駅?生麦~大黒ふ頭間の「新興駅」の由来とは!?

ココがキニナル!

生麦から大黒ふ頭に行く途中に「新興駅」という交差点があるのですが、駅がないのになんで新興駅なんですか?(山葵さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

以前、JR貨物の駅舎「新興駅」があったので、そのことに由来していると推測されます。現在は、横浜市によって整備され「貨物線の森緑道」となっています!

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ライター:吉川 ゆこ

地名か?いや、この交差点があるのは鶴見区大黒町
地名との関係性はなさそう。

周囲を見渡しても駅らしきものは見当たらない。
手がかりのない「新興駅」と名前がついた交差点でひとり立ち尽くす。
 


車の往来の激しい交差点。頭上を走るのは首都高速道路大黒線




昔、そこにはJR貨物の駅舎があった

まずはインターネットで“新興駅”と調べてみた。
すると、ここには平成15年までJR貨物の駅舎があったことがわかった。

現在は廃線となっているが、当時の駅舎の名称が新興駅。
そこから名づけたのだろうと推測がつく。

交差点の名称は、周辺の有名なランドマークや地名、交通のターミナルなど広く親しまれている名称をつけると道路標識令によって定められている。おそらく、この工場地帯で目印になるのは新興駅ぐらいだったのだろう。

横浜市道路局施設課に電話で確認したところ、
「横浜市内に数多ある交差点の一つ一つに、なぜその名称がついたのかについて記録する資料は残っていません。断定はできませんが、貨物線の新興駅から名づけたという推測は的外れではないでしょう」

という答えが返ってきた。
 


新興駅交差点脇のバス停も「新興駅前」


鶴見区役所などに問い合わせたが当時の写真は手に入らなかった。
そこで、まだ新興駅があった頃のことを知る人に会い、話を伺うことにした。



高度経済成長期、激動の時代を貨物線は走った

快く取材を受けてくださったのは飯田一好さん。

現在は退職されているがJR貨物がまだ日本国有鉄道、通称“国鉄”だった頃に新興駅で働いていた方だ。
 


「昔のことを知る人は、ほとんどいないから」と取材に応じてくださった飯田さん


新興駅は、新興線と呼ばれた貨物線の支線にあった駅だ。

新興線は、鶴見駅-東高島駅桜木町駅を結ぶ東海道本線貨物支線・高島線からさらに伸びる支線で、旧入江駅(京浜急行新子安駅付近に位置し、東海道本線貨物支線の新興駅と併合することで昭和60年に廃止されている)から、まっすぐ恵比須町の交差点まで伸び、そこから神奈川産業道路と並行するように、新興駅交差点付近まで走っていた。新興駅は新興線の終点にあたる駅で、新興駅交差点付近にあったのだ。

「私が務めていた当時、新興駅交差点のそばにあった駅舎を『新興3地区駅』、そして、恵比須町の交差点のそばにあった駅舎を『新興1地区駅』と呼んでいました。そこから交差点名がついたのではないでしょうか」と飯田さん。

 


新興線が走っていた場所を地図に落とし込んでみた


昭和電工株式会社やJオイルミルズなど、現在もこの地域にある各社の工場。
そこから荷物を運び出すのに新興線は使われていた。