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戦時中、鶴見の総持寺にB29が墜落したと言う記録があるようですが、総持寺のどの場所なのかが気になります。(つるみんちゅさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

1945年4月15日夜、B29が墜落した現場は總持寺の北西部あたり。機体の残骸などが散らばる惨状だった。子安台の高射砲陣地が撃墜したといわれる

ライター:小方 サダオ (2017年08月15日)

總持寺に墜落した米軍のB29爆撃機

鶴見区にある曹洞宗の最高位の寺院、曹洞宗大本山の總持寺(そうじじ)。この名刹(めいさつ)に第二次世界大戦中、長距離爆撃機のB29が墜落したというのが、今回のキニナル投稿だ。
 


鶴見区の工業地帯近くに建つ總持寺(Googlemapより)


1991(明治44)年に石川県能登地方から
移転した

 
B29は、本当に墜落したのか、墜落は事故だったのか、それとも撃墜されたのか、またどこに落ちたのか・・・、など数々の疑問が湧いた。そこで詳しい情報はないかと、1981(昭和56)年に設立された歴史同好会である「鶴見歴史の会」に連絡を取ることにした。

すると歴史の会の関係者が、總持寺近くの東台小学校に通っていたOBである東台小学校同窓会長の服部克彦(はっとり・かつひこ)さんたちとB29の墜落現場付近に住んでいる方たちに呼びかけて、「B29墜落について」の座談会が実現した。
 


座談会に参加してくれた方々

 
当日は、写真左から秋葉國造(あきば・くにぞう)さん、津田武(つだ・たけし)さん、服部克彦(はっとり・かつひこ)さん、久能晃(くのう・あきら)さん、鶴見歴史の会から東海林英子(しょうじ・えいこ)さん、齋藤美枝(さいとう・みえ)さんが集まってくれた。

参加してくれた久能さんは、B29撃墜の瞬間を目撃したという。いったい、どのような光景だったのだろうか。

「そのころは空襲が激しくなり、毎晩のように空襲警報のサイレンが鳴り、そのたびに防空壕に避難していました。1945(昭和20)年4月15日の夜半、自宅から1.5kmほど北にある三ツ池の高射砲陣地からサーチライト(たんしょう機)が照らされ、2ヶ所からのライトの交点に敵機が入った途端、B29に砲弾が命中したのを見ました」という。
 


末吉中学校近くに高射砲陣地があった(緑矢印)(Googlemapより)


三ツ池の高射砲陣地があったあたり

 
「一瞬煙が見えましたが、その後はライトから外れて見えなくなりました。防空壕の外で見ていた私たちはバンザイと歓声を上げたのです」と当時の様子を語ってくれた。
 


久能さんのイラスト。2つのライトが交わった時、砲弾がB29に命中

 
「翌日私たちは墜落現場を見に行きましたが、正確な場所は分からず、たどり着けませんでした」と久能さんは話してくれた。

撃墜された瞬間を目撃したというのは貴重な証言だ。

続いて津田さんは、家の庭に機体の一部が落ちた時の様子を証言してくれた。

「当時私たち家族は、家の敷地内にあった防空壕に避難しました。するとB29の尾翼の破片と思われるものが家の庭に落ちてきました。庭に落ちたので家に被害がなく幸運でした。破片は、50cmほどの厚みがあり長さ10数メートルのジュラルミンの塊で、燃え尽きて黒くなっていました。そしてすぐに日本兵が敷地内に入って来て持って行ってしまいました」という。
 


B29の破片が落ちたあたり(緑円)(Googlemapより)


破片が落ちてきた現場

 
「翌日、墜落現場の總持寺の墓地付近に行きました。そこには機体が落ちていましたが、ほとんど原形はとどめていませんでした。周囲には破片が散らばっており、見物人や警察官のような人たちがいました。そしてたくさんの死体が横たわっていて、中には俵に包まれているものもありました」と津田さんは話す。
 


津田さんが書いてくれた現場のイラスト

 
座談会のために、歴史の会で用意していただいた資料『鶴見線物語』には、この墜落事故について記述があった。『鶴見線物語』は、鶴見線と沿線の歴史について書かれたもので、資料の中に伊藤さんという方の証言として、この時の様子が詳しく語られている。

当時、空襲警報が出て間もなく、B29による波状攻撃が始まったという。伊藤さんは「どうせ死ぬなら防空壕で死にたくない」と思い、高射砲のある第五工場(東芝鶴見工場)の屋上へ上がった。そこでは高射機関砲からB29めがけて砲身が真っ赤になるほど撃ちまくったという。その時、子安台の高射砲からB29に直撃弾があたり、頭の上に見えたB29は火だるまになって鶴見区の寺尾方面に落ちて行ったという。
 


線路の反対側の山が、子安台の高射砲があるという子安台公園の場所だ

 
朝になり、總持寺の裏手に煙がもうもうと上がっているので立ち寄ると、前夜のB29の残骸が横たわっていて油の臭いが漂っていた。まだ煙が立ち込めていて、土砂が崩れていた。操縦士や搭乗員の死体がバラバラに散らばり、その肉片が集められていた。搭乗員は10数名で、中には女性のアメリカ兵もいたと言うが、見分けができなかったそう。

驚いたのは、米軍は詳細に描かれた京浜間の地図を持っていたこと。伊藤さんは「この地図をもとに爆撃したのだ」と思ったという。また、墜落現場には防空壕があり、10数名の住人が避難していたが、巻き添えになり、生き埋めになったままだったと記述がある。

生々しい体験談が語られており、細かい描写が印象的で心に残った。
 


現場となった場所には現在、保育園やアパートが建っている(青円)(Googlemapより)


墜落現場となったあたり

 
また、東台小学校の創立90周年記念誌の『ひがしだい90年史』には、昭和20年度卒業生の被弾した瞬間の目撃証言がある。

1945(昭和20)年の春、午後8時から午後9時ごろ毎晩のように空襲警報が鳴り、防空壕に避難していた。ある晩、日本軍の高射砲の弾が一機に命中して、機体は火を吹きだした。みるみる機体が燃えて、火だるまになって旋回して落ちてきた。超低空まで落ちてきて、東台の校舎すれすれを通り總持寺のほうに墜落したとある。
 


東台小学校の校舎すれすれを飛行していたという(Googlemapより)

 
小学校の校舎すれすれで總持寺に墜落したという証言。この途中で前出のように尾翼の残骸のようなものなどを落としたのだろう。

墜落機の軌跡から見てみると『ひがしだい90年史』には、「学校の近くにアメリカの爆撃機が落ちた。鶴見区の東寺尾東台6番の畑にエンジン一基、石川島タービングラウンド近くの林に機体が落ちた」とある。

B29は南西方面からやって来て、エンジンと翼を落とし、機体が北東の總持寺の山に突っ込んで墜落した形になる。
 


秋葉さんが用意してくれた墜落の軌跡を示した地図


エンジン(紫丸)、翼(緑丸)の落ちた場所と機体墜落現場(青丸)(Googlemapより)


東台小学校近くのエンジンが落ちたあたり


南西方面から来て(青矢印)、子安台の高射砲(赤丸)の弾に当たり、總持寺付近に堕ちたという(Googlemapより)

 
 
B29を撃墜したといわれる子安台の陣地跡へ・・・キニナル続きは次のページ≫
 

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