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「ガス灯発祥の地」横浜より前に日本にガス灯があったって本当?

「ガス灯発祥の地」横浜より前に日本にガス灯があったって本当?

ココがキニナル!

ガス灯、横浜が日本初だと思っていたら、実は薩摩藩の島津斉彬が幕末に石炭をガス化して石燈籠にガス灯を灯してた!? 鹿児島が日本初のガス灯なんでしょうか?(ナチュラルマンさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「日本初のガス灯」の定義の違い。横浜より前に鹿児島や大阪でもガス灯の点灯例があったが、民間事業としては横浜のものが最古である

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ライター:はまれぽ編集部

横浜はガス灯発祥の地。筆者はそんな郷土の歴史を当たり前のように聞いて育ったし、馬車道には記念のモニュメントもある。
 


中区住吉町の馬車道沿いにあるガス灯と記念碑

 


「日本で最初のガス灯」と書かれた碑文

 
碑文には、1872(明治5)年、高島嘉右衛門(たかしま・かえもん)らのガス会社「日本ガス社中」(日本社中とも呼称)が馬車道周辺に10数基のガス灯を設置して点灯させたのが、日本最初のガス灯だと書かれている。

が、これより前にも日本でガス灯がともされていたとは本当なのか。
 
 
 
幕末のガス灯とは?
 
まず、幕末の薩摩藩のガス灯とは、今も鹿児島市に残る薩摩藩主島津氏の別邸の庭園、仙巌園(せんがんえん)に伝わる「鶴灯籠(つるどうろう)」というもの。同園のホームページにも記載があり、名所のひとつになっているようだ。
 


笠が羽を広げた鶴のように見えることから鶴灯籠と呼ばれている(提供:仙巌園)

 
仙巌園の学芸員の岩川拓夫(いわかわ・たくお)さんからお話を伺うことができた。

岩川さんによれば、仙
巌園の鶴灯籠は「現存するガス灯としては日本最古のものです」とのこと。1857(安政4)年に当時の藩主島津斉彬(しまづ・なりあきら)の命令で、藩士たちが洋書を翻訳して石炭ガス製造装置をつくり、鶴灯籠に点灯させる実験を行ったのは事実だそうだ。

しかし、これより前に江戸や盛岡でもガスを燃料に明かりをともした例が文献で確認されている。したがって日本初のガス灯とはいえないが、日本に現存する最古のガス灯と考えているという。

薩摩藩では鶴灯籠の実験を踏まえ、鹿児島の市街にガス灯を普及させる計画もあったが、実験の翌年の1858(安政5)年に島津斉彬が急死し、計画は頓挫してしまった。実現しなかったとはいえ、横浜のガス灯より10年以上も前にガス灯に注目していたことが分かる。

さらに岩川さんは「大阪の造幣局でもガス灯が導入されていました。薩摩藩の人物も携わっていたようです」と話してくれた。ん? 大阪でも? 岩川さんの説明をもとに調査を続ける。
 
 
 
大阪・造幣局のガス灯
 
開港期の資料が充実している横浜開港資料館や国立国会図書館デジタルコレクションで、幕末明治のガス灯についての資料を読み進めていくと、確かに1871(明治4)年に大阪の造幣局でガス灯が導入されていたという記述が見つかった。

貨幣の鋳造(ちゅうぞう)を主たる業務とする造幣局は、1871(明治4)年4月4日に現在の大阪市北区で操業を開始した。造幣局の開業には、元薩摩藩士の五代友厚(ごだい・ともあつ)が大きく貢献しており、確かに薩摩藩との縁もある。
 


当時世界最大規模の近代的な貨幣工場でもあった(提供:造幣局)

 
造幣局などの資料によればガス灯は、1871年、照明用として局内に621基、局外の街路にも65基が設置されたとのこと。当時のガス灯が大阪市北区の造幣局旧正門の周辺にいくつか残っており、また同じ敷地内の造幣博物館にも展示されていて、今でも見学できる。
 


現在も大阪の造幣局内に残っているガス灯(提供:造幣局)

 


造幣博物館で展示されている様子(提供:造幣局)

 
造幣局では貨幣鋳造のため、石炭を蒸し焼きにしたコークスを燃料に使う。石炭をコークスにする過程で発生するガスを活用して、ガス灯は整備された。ガス灯の数も多く、本格的なインフラとして整備されていたようだ。

大阪では横浜より1年早くガス灯が稼動し、設置数も横浜より多い。うーん、これでは「日本初のガス灯は横浜」と主張するには旗色が悪いようだが・・・

いったい、横浜のガス灯は、何をもって日本初といっているのか。