「ガス灯発祥の地」横浜より前に日本にガス灯があったって本当?
ココがキニナル!
ガス灯、横浜が日本初だと思っていたら、実は薩摩藩の島津斉彬が幕末に石炭をガス化して石燈籠にガス灯を灯してた!? 鹿児島が日本初のガス灯なんでしょうか?(ナチュラルマンさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「日本初のガス灯」の定義の違い。横浜より前に鹿児島や大阪でもガス灯の点灯例があったが、民間事業としては横浜のものが最古である
ライター:はまれぽ編集部
「ガス事業」としては日本初
横浜で1872年にガス灯が稼動するよりも早く、鹿児島や大阪でも幕末から明治初期にかけてガス灯点灯に成功していたことが分かった。では横浜のガス灯はなぜ日本初といわれてきたのか。
結論から言えば、横浜のガス灯は「民間の都市ガス事業として初めてのガス灯」ということだ。
薩摩藩のガス灯は実験にとどまり、大阪の造幣局のガス灯は主に局内で使われただけだったが、横浜のガス灯ははじめから、横浜の市街を照らす目的で創業されたのだ。
当時の詳しいいきさつは、『横濱瓦斯史』(編纂:横浜市瓦斯(ガス)局)や『高島翁言行録』などの後世に編纂(へんさん)された書籍で知ることができる。
中区の開港資料館では、当時のさまざまな資料を読むことができる
居留地を抱える横浜では、ドイツ資本やイギリス資本によるガス会社の設立計画があった。これに対抗して高島嘉右衛門は仲間とともに日本社中を結成し、外国企業との競合の末1871年2月に免許を勝ち取った。
日本社中は工場・ガス管・ガス灯といったインフラをそろえ、前述の1872年9月29日に横浜にはじめてガス灯がともり、文明開化の光が街を照らした。当時のガス管やガスタンクの遺構は後に発掘され、「日本最古のガス管」として横浜都市発展記念館の入口に展示されている。
展示されている日本最古のガス管。イギリス製だった
レンガ造りのガスタンクの基部の一部
さらに日本社中は、1892(明治25)年に公営化されて横浜市瓦斯局となったのち、1944(昭和19)年に現在の東京ガスに統合されて今に至る。単にガス灯をともしたというだけならほかの都市で前例があるものの、創業時から現代まで都市ガス事業として綿々と続いてきたという点でも、横浜のガス灯の意義は大きい。
桜木町駅の近くにある横浜市立本町小学校の正門内側には、再現されたガス灯と「日本ガス事業発祥の地」という記念碑がある。
本町小学校校舎のすぐそばにある
ここは日本社中によりガス製造工場が作られた場所であり、それにちなんで「わが国ガス事業の発祥」と碑文に記されている。日本で初めて、一般市民のためのガス事業が創業されたことを記念したモニュメントだ。
東京ガス寄贈と記されている
また横浜の人々がガス灯の歴史をどう捉えていたかについては、ガス灯点灯から約70年後に横浜市瓦斯局が編纂した『横濱瓦斯史 沿革編』に興味深い記述がみられる。
「徳川末期、島津斉彬によつて行はれた石炭瓦斯の実験は、未だ実験の域を出なかつた。従つて横濱に於ける瓦斯灯は、わが国最初の瓦斯灯として発祥したのであつて、その初期の歴史は寧ろ「日本瓦斯史」といふべきである」(原文ママ)
薩摩藩での実験に言及しつつも、初めて民間事業として始まった横浜のガス灯こそが日本のガス灯のはじまりなのだという誇りが伝わる。この地元の歴史への誇りが、横浜こそガス灯発祥の地という見解になったのかもしれない。
再現されたガス灯にも歴史の重みを感じる
明治中期以降、電灯の普及でガス灯は姿を消していった。その後、観光資源としてガス灯を活用していく中で、鹿児島・大阪・横浜それぞれの街で、定義の違いから「日本初のガス灯」が共存することになったのだろう。
取材を終えて
文明開化の象徴、ガス灯。幕末の人びとも西洋からもたらされたその明るさに驚嘆(きょうたん)し、自分たちの街を明るくしようと決意したのだろう。取材で当時の歴史を調べていくうちに、そうした先人の業績に自然と頭を下げたくなった。
どこのガス灯が日本初と張り合うより、それぞれの街の歴史を大切にして近代日本の歩みを伝えて行くべきなのかもしれない。
―終わり―
取材協力
仙巌園
http://www.senganen.jp/
独立行政法人造幣局
https://www.mint.go.jp/
参考文献
「横濱瓦斯史 沿革編」(横浜市瓦斯局・昭和18年)
「高島翁言行録 名・実業家立志編」(東京堂・明治41年)
「がす灯資料抄」(中根君郎著・昭和52年)
「瓦斯燈会社の人々」(中根君郎著・昭和46年)
ナチュラルマンさん
2018年04月18日 00時23分
ありがとうございます!大阪の造幣局は全く知りませんでした。これはとても詳しく、簡潔にはまれぽさんが取材し、発表して頂きました。薩摩、大坂、横濱…いずれも日本人が西洋の技術をほとんど見様見真似で開発した素晴しさ、明治維新以降の西洋文化、西洋の技術は日本の文化や風土に合うように取り入れた、先人の方々の英知に頭が下がります。