【探訪】令和に生きる横浜の銭湯 ―南区永楽町・永楽湯―
ココがキニナル!
横浜にかぎらず日本中いたるところで減少を続ける昔ながらの銭湯。いったい今、横浜市内の銭湯事情はどうなっているのか。令和の時代をどっこい生き抜くキニナル現場を探る。(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
南区の永楽湯は、かつて周辺が横浜でもっとも長く続く遊郭だった時代からある老舗店。まわりの様子は変わったものの、やはりちょっと特殊な環境だ。その地域性ゆえに、今なお利用する常連客も少なくない。
ライター:結城靖博
横浜市浴場協同組合に確認したところ、市内にもっとも多く銭湯があった年代は1976(昭和51)年の479軒(組合未加入も含む)。
それが、2012(平成24)年に掲載されたはまれぽの記事「横浜市内には現在、銭湯が何軒あるのか?」では、94軒に。ピーク時の2割弱だ。
ならば、今は何軒に? 同組合によれば、「休業中も含めて」61軒とのこと。8年前の3分の2、なんとピーク時の1割に迫ろうとしている。
はまれぽの取材を通して、よく「かつてこの辺に銭湯があった」という言葉を耳にする。そのたびに銭湯の減少を実感してきたが、あらためて数字を見るとビックリだ。
だが、ゼロではない。平成を生き抜き令和になってもまだ昭和の香りを残す銭湯は、確かにあるのだ。今こそ、その姿を「はまれぽ」にとどめずしてなんとする!
そんな思いに駆られて、貴重な現場の突撃取材を、1軒1軒丁寧に、あえてシリーズとして敢行することにした。
第1弾はいきなりコアな場所にあった!
シリーズ最初の銭湯は、南区永楽町(えいらくちょう)にある「永楽湯(えいらくゆ)」。
永楽町といえば、売春防止法の成立によって1958(昭和33)年に赤線(公認売春地域)が廃止されるまでの70年間、横浜で最も長く続き、かつ最大規模を誇った色街「永真遊郭(えいしんゆうかく)」があった場所だ。
遊郭の名は、一帯にある二つの町名「永楽町」と「真金町(まがねちょう)」からとられた。
真金町の鎮守社・金刀比羅大鷲神社(ことひらおおとりじんじゃ)
その社を囲む古い石柱に「遊廓」の2文字
これこそ、過去の歴史を今に伝える唯一の証しだ。
別に、そんな地域にあるから選んだわけではない。神奈川県公衆浴場業生活衛生同業組合のホームページで調べたところ、外観の趣に風情を感じ、また伝統的な番台形式だったことに惹かれて取材を申し込んだのだ。
このシブいタイル貼りの外観に魅せられた
無事アポイントが取れて、正確な場所を確認して初めて、鈍い筆者は「ああ、ここはそこではないか」と気づいた次第。
永楽湯の場所
地下鉄ブルーライン・伊勢佐木長者町駅から地上に出ると
目の前に大通り公園がまっすぐ延びる
公園を黄金町方面へ向かってトコトコ歩いていくと・・・
まもなく左手に「まいばすけっと」を発見
その角を左に折れると・・・
そこはラブホテル街だった
さらに先に進むと・・・
マンションだらけの一角となる
そのマンションとマンションに挟まれるように、永楽湯はあった。伊勢佐木長者町駅からここまで、徒歩5分ほどだ。
赤い矢印が永楽湯
営業前の永楽湯をたっぷり取材
右隣には「坪川商会」という不動産屋がある
実は、永楽湯のご主人・坪川実(つぼかわ・みのる)さんは、この不動産会社も営んでいる(実さんの肩書は取締役部長)。
永楽湯は15時から開く。営業前に隣の不動産屋さんを訪ね、実さんから永楽湯についてじっくりお話を伺い、かつ銭湯の中の様子をたっぷり撮影させてもらった。
実さんに番台に座っていただく
永楽湯の開業は1951(昭和26)年。ということは、売春防止法施行以前から営業していたことになる。創業者は実さんの両親。現在61歳の実さんは2代目になる。
お母さんの坪川静江(つぼかわ・しずえ)さんがまだご健在で、現在の正式な経営者は静江さん。今は、二人で店を切り盛りしているという。
永楽湯の玄関の中に入ると・・・
入り口には昔ながらの下足箱が
下足箱の鍵は懐かしい木札
中へ入ると脱衣所はこんな様子(男湯)
失礼して女湯の脱衣所もチェック
女湯のレトロなパーマ機が郷愁をそそる。
2つの脱衣所に連なる天井は高い
天井はもちろん「格天井(ごうてんじょう)」
木材を四角く組み合わせた格天井は最も格式の高い様式で、もともと神社仏閣や城に使われていたが、古くからの銭湯にも多く見られる。手入れが大変なのだ。
ガラス戸を開けて浴室を拝見
こちらが男湯
こちらが女湯
男女平等、左右対称の設計になっている。
どちらにも――
気泡バスと
もっと泡の激しいジェットバスと
自慢の黒湯と水風呂がある
水風呂があるということは?
そう、サウナだってある(ただし100円の別料金)
黒湯は深さのちがう2種類の浴槽に分かれている
かぎられたスペースにスーパー銭湯並みに多様な浴槽がある。開業当初からある黒湯は、地下深く掘って湧出した源泉(鉱泉)を加温している。体の芯から温まると常連客に評判だ。
ただ永楽湯には、残念ながら富士山の絵がない。
実さんによれば、昔は立派な富士山が壁に描かれていたそうだ。しかし、絵師が少なくなり、壁面が広く描くのに日数もかかるので、40数年前から今の状態になった。
だが、バックヤードに続く扉の上のステンドグラスが美しい