加賀町警察署は、なぜ名前を変えないの?
ココがキニナル!
中区にある「加賀町警察署」ですが、100年以上前にあった「加賀町」という地名は現在無いのに、今でも「加賀町警察署」という名前なのはなぜなのでしょうか?(おかちゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
加賀町の町名に由来しているのと、加賀藩の屋敷跡地(現在の日本大通り61)で警察的な業務を行っていた事に敬意を表した名前でもあるため。
ライター:橘 アリー
加賀町の名前が由来!?
インターネットで「加賀町警察の名前・由来」と検索してみると、「横浜開港資料館」の館報に、『加賀町警察の名前は、居留地があった歴史を今に伝えるもの』とある。
「へ~え、そうなんだぁ・・・」と思いながらも、でもどうして、「加賀町」の名前を残したのか? 現在の加賀町警察署が在る場所が加賀町と呼ばれていた所なのだろうか?
次から次へと気になってしまうので、早速、調査開始!!
加賀町とはどの辺りか?
加賀町警察署は、横浜市中区山下町203番地にあり、横浜中華街に隣接している。
正面から見た加賀町警察署
「加賀町」の位置についてもう少し詳しく調べるため開港資料館へ。
横浜開港資料館の入り口
「加賀町」のあった場所は、現在の中華街で、外国人が住む居留地として整備された場所である。
居留地時代の中華街の様子(横浜市史資料室より)
加賀町警察署前から見た、現在の中華街の様子
横浜開港後の1875(明治8)年頃には整備がほぼ完了して居留地に地番が付けられたが、地番だけでは不便なので1879(明治12)年に30の町名が付けられ、加賀町はその一つであった。
ちなみに30の町名は、日本大通・薩摩町・越後町・加賀町・前橋町・小田原町・豊後町・武蔵横町・大坂町・琵琶町・京町・阿波町・堀川町・上田町・九州町・富士山町・花園町・蝦夷町・尾張町・函館町・本村通り・神戸町・長崎町・武蔵町・本町通り・駿河町・角町・二子町・水町通り・海岸通り、である。(町名は居留地地図の英語表記を漢字に直した通りの名前:横浜開港資料館より)
古い地図に昔の町名が載っていないかと探してみた。
「横浜実測図(内務省地理局測量課発行)」1881(明治14)年
1881(明治14)年の「横浜実測図(内務省地理局測量課発行)」で加賀町の名前が確認出来る。
現在の加賀町警察署や横浜水道局中営業所がある通りが「加賀町」の通りで、それに面した両側の区画が「加賀町」である。
水道局の方向から見た、加賀町の通り
その後、1899(明治32)年に居留地が撤廃されて、それまでの町名は廃止され、山下居留地は山下町となったが、その後の地図を見ていくと、居留地時代の町名が記載されているものが幾つかある。
「市区改正横浜実測新図(横浜弘文堂発行)」 1909(明治44)年
「最新大横浜市明細地図(地文社発行)」1940(昭和15)年
1940(昭和15)年の「最新大横浜市明細地図(地文社発行)」が、居留地時代の町名が載っている、一番新しい地図である。
町名廃止後も地図に残っているのは不思議であるが、「横浜開港資料館」で調べてみてもその理由は不明のようである。
では、警察署以外でも加賀町の名前を使うことはあるのだろうか?
そこで、昔の加賀町通りで聞いてみることに。
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