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加賀町警察署は、なぜ名前を変えないの?

ココがキニナル!

中区にある「加賀町警察署」ですが、100年以上前にあった「加賀町」という地名は現在無いのに、今でも「加賀町警察署」という名前なのはなぜなのでしょうか?(おかちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

加賀町の町名に由来しているのと、加賀藩の屋敷跡地(現在の日本大通り61)で警察的な業務を行っていた事に敬意を表した名前でもあるため。

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ライター:橘 アリー

地元の人に聞いてみた!


 


加賀町警察署横から見た、昔の加賀町通り


この通りには、中華街のお店が軒を連ねている。最近の中華街は新しいお店も多いので、「さて、どこで聞いたらよいか?」と思いながら歩いていたら、「財団法人 中華会館」という看板を発見!
 


財団法人 中華会館


一目見て「ここだ」と思ったが、「でも、日本語で大丈夫かな?」とちょっとドキドキしながら入って行き、要件を告げると、「それだったら、ピンポ~ン!だね」と軽快なご返事に、ちょっとビックリ。

突然の訪問にも関わらず、財団の事務局長の関廣佳さんが、親切に対応して下さった。
こちらは、主に中国人墓地の管理を行なっているそうだ。
 


関廣佳さん


聞くところによると、「加賀町」という名前がつく施設は、警察署以外には無いようだ。

また、現在の加賀町警察署の建物は庁舎老朽化により1996(平成8)
に建替えられたもので、1926(大正15)建設時の前庁舎の正面のデザインが生かされているそうだが、正面の向きが反対になっていると教えてくれた。

 

大正15年落成の加賀町警察署(神奈川県警本部発行「わが署わが街」より)
 

裏から見た現在の加賀町警察署(1926〈大正15〉年の建物は、こちらが正面だった)


そして、中華会館は、居留地時代からずっとこの場所にあるとのことだった。
 


現在の中華会館前の写真


加賀町や、加賀町警察署の昔の様子がちょっと分かったところで、加賀町警察署へ行ってみることに。



どうして名前は変わらなかったのか?

訊ねて行くと、入って右側にある「警務課」で親切に対応して下さった。
署内の撮影は許可されなかったが、加賀町警察署の生い立ちなども含めたお話を伺った。

開港から明治政府発足までの間、横浜やその周辺の治安維持と行政を任されていたのは「神奈川奉行所」だった。

そして、開港に際して、横浜には、居留地の町名ともなっていた加賀藩や薩摩藩などの藩兵がおかれて、現在の警察のはしりのような業務が行われていたそうだ。
その後、1877(明治10)
1月25日 加賀町警察の前身の「境町警察署」が境町2丁目(現在の日本大通り61)に創立されたのだが、その辺りが、加賀藩の屋敷跡地のようである。

それからの加賀町警察署の沿革は、下記のように複雑であった。

―1882(明治15)
7月1日
「境町警察署」を「横浜警察署」に改称し、同時にその構内に「居留地警察署」を置く

―1884(明治17)
3月1日
「居留地警察署」は加賀町通り203番地に庁舎を新築移転
 


1884(明治17)年に落成の「居留地警察署」(わが署わが街より)


―1893(明治26)12月1日
地名を冠して「加賀町警察署」と改称

[1899(明治32)
 居留地が撤廃され、山下居留地は「山下町」となる]

―1923(大正12)
9月1日
関東大震災により庁舎が倒壊焼失、横浜公園内に仮庁舎を建てて執務

―1926(大正15)
5月15日
鉄筋コンクリート3階建の庁舎を竣工して移転(現在の場所)

―1943(昭和18)
5月5日
加賀町警察署と横浜水上警察署を併合して「横浜臨港警察署」を創設

―1945(昭和20)
6月18日
横浜大空襲後の警備情勢の激変により、「横浜臨港警察署」と「伊勢佐木警察署」を併合して「加賀町警察署」と称する

[1946(昭和21)
9月17日 併合していた伊勢佐木警察署を再び開設]

―1948(昭和23)
3月
警察制度改革により「加賀町警察署」と改める

[1952(昭和27)
10月 横浜水上警察署が復活]

―1955(昭和30)
7月
再度の警察制度改革により「神奈川県加賀町警察署」と改称

―1996(平成8)
3月19日
庁舎老朽化の為、建替え、現在に至る。
 


加賀町警察署の生い立ちを踏まえて改めて見ると、建物にも威厳を感じる


「加賀町警察署」の名前は、1893(明治26)に誕生している。

名前の由来は、加賀町警察署が出来た時にその場所が「加賀町」であったことと、「加賀町警察署」の前身の「境町警察署」が加賀藩の屋敷跡地にあった名残から来ているようだ。



まとめ



署の生い立ちには、正に「紆余曲折」といった経緯がある。

加賀町の町名が無くなった後も「加賀町警察署」の名前が残り、その後一度、他の名前になっても、また「加賀町警察署」の名前に戻っている事から、「警察業務のはしり」を行った事やその場所に敬意を評している様子が伺える。

加賀町警察署でも、このように云われのある名前なので、町名が変わったとしても、それによって名前を変える必要性を感じてはいないようだった。


―終わり―
 

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  • 加賀町や薩摩町は、加賀藩や薩摩藩の藩兵がいたことと関係ありません。ましてここに加賀藩の屋敷などなかった。明治期に外国人によく知られた日本の地名、山の名などを外国人居留地にまとめてつけたもの。こういう通りの名を町名に使うのは、欧米の道路名(Street Name)のネーミング方式を踏襲したものだろう。しかし日本の他の地方の町名の付け方と整合性がないので、直に「山下町」という町に統合されてしまった。今の山下町が外人居留地ではなくなったという時代背景もあっただろう。つまり加賀町という町名は主に、外人を対象に付けられたと考えると分かりやすい。なおこれは横浜地名研究会の会長の櫻井澄夫の説。

  • 昔ながらの町名や市の名前が合併などで今までの歴史と関係ない名前になることが多いなか、昔の名残の建物や交差点、バス停の名前で残っているのはうれしいですね。ちなみに川崎市川崎区には「桜本・桜本駅前」と、すでに無い桜本駅の名前がついたバス停があります。

  • 当時の町名が使われている例としては市営バスの停留所「薩摩町中区役所前」がありますね。こちらも現在、地名表記には使用されていません。歴史の浅い町だからこそ開港当時の このような名残が見られるのは いいなと感じました。

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