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横浜市内に点在する杉山神社を全社制覇!vol.3

ココがキニナル!

横浜にはいたるところに杉山神社があり、「杉山神社」「杉山社」の名前で宗教法人登録されているだけで35社もあるそうです。とりあえず全部の杉山神社を回ってみませんか?(べいさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今回は保土ケ谷区・旭区の杉山神社を調査。この分布域に見られる特徴は、歴史的背景に由来するもの?それは杉山神社の謎を解くヒントになるのか。

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ライター:ほしば あずみ

横浜市と周辺のみに分布する杉山神社。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』(以下『武蔵風土記』)に記載されているすべてをまわろうというのがこの企画(市内のいたるところに存在する杉山神社。その謎に迫る!今回は保土ケ谷区と旭区に分布する杉山神社を調査する。
 
これまで、旭区が保土ケ谷区から分区した1969(昭和44)年以前の文献を資料とし、杉山神社は保土ケ谷区に7社と紹介していたが、正確には保土ケ谷区6社、旭区1社(合祀社・・・2柱以上の神を一つの神社に祀っている神社)。改めて分布図に示すと以下のようになる。

 


杉山神社の分布、旧国郡境と、杉山神社周辺の主な河川を示した

 


表にするとこのようになる


また、緑区東本郷の本郷神社にも杉山神社が合祀されており、その1社を足すと確認できる杉山神社は73社になる(多くの研究で72社とされているのは典拠とする杉山神社の研究書『杉山神社考(戸倉英太郎著)』に本郷神社の記載がないため)。
 
 
 

ちょっと気になる、ある神社との関係



今回は保土ケ谷区の西久保町、星川、仏向町(ぶっこうちょう)、和田町、上星川、川島町の杉山神社(杉山社)、旭区上川井町の神明社(杉山神社を合祀)を2回にわけて紹介する。
1回目は、保土ケ谷区の西久保町、星川、仏向町。

なお、神明社とは、伊勢神宮を総本社とする神社で天照大神を祀る。全国に数多くあり、横浜では西区の伊勢山皇大神宮が有名だ。
 


グーグルマップだとこのような位置関係


各神社は、帷子川と八王子街道に沿うように点在しているのがわかる。また、保土ケ谷区内は比較的近い距離に密集し、旭区の神明社はぽつんと離れた印象。

この神明社を調べる際、旭区に多くの神明社(神明宮等の別名称も含む)がある事に気付いた。区内16神社のうち、実に9社が神明社。これは横浜市18区内で最も多い。
 


「関東のお伊勢さま」伊勢山皇大神宮(横浜のオススメ初詣スポットはどこ?より)

 
旭区に神明社が多いのは、古代から中世にかけての保土ケ谷区、旭区一帯が「榛谷御厨(はんがやのみくりや)」だった事と関係があるのかもしれない。

御厨(みくりや)とは平安時代以来、有力な神社の所領として諸国に置かれた荘園の一種。榛谷の地を開発した豪族が、占有権を確実なものにするために伊勢神宮の神領地として寄進(寄付)したことから、榛谷御厨と呼ばれるようになったと言われている。

古代・中世の有力者は神宮に土地を寄進(寄付)する事が、いわばステータスであり税金対策でもあった。その寄進された土地(神領地)が御厨。「榛谷御厨」は歴史的にも名の知れた御厨の一つだった。

お伊勢さまである神明社が多いのはそのためと考えられる。だが、御厨の中心があった保土ケ谷区には神明社は現在1社しかない。『武蔵風土記』を読むと、保土ケ谷区内には8社の神明社があったが、合祀され姿を消している。そして逆に、旭区では1社(合祀社)しかない杉山神社が、6社も存在する。
 


くっきりわかれる分布域は何をあらわすのか

 
保土ケ谷区唯一の神明社は、御厨の中心「神戸(ごうど)」にあたり、今の保土ケ谷区神戸町にある。
宮司の飯塚充さんは郷土史愛好家でもあり、杉山神社の考察もしている。御厨があった歴史は保土ケ谷、旭域杉山神社の謎解きヒントとなるか、話を伺った。
 


神戸町の神明社。飯塚宮司は残念ながら写真NG

 
「杉山神社の研究は『杉山神社考』以降、新しい発見や進歩があったとはいえないんです」という飯塚宮司。杉山神社の分布は、海から来た杉山神社を祀る一族が川を遡っていった足跡という説をとる。

「明治時代、多くの神社が元の姿を失ってしまいましたが江戸時代初期にも、氏子や別当(管理)寺を定めるため各村で神社を整理しました。小さな神社はその過程で合祀され由来もわからなくなった可能性もあります」
 


合祀された塔や祠(ほこら)は場所を移し、やがて由来不詳となる(西久保町杉山社境内の石塔群)


旭区内に明治の合祀以前に消えてしまった杉山神社があるのでは? 保土ケ谷の密集地帯からぽつんとはなれた杉山神社がどうにも不自然に思える。
飯塚宮司の答えは「その可能性はあるでしょうね」とのことだった。

「榛谷御厨の勢力が広がったのは11~12世紀。その影響でそれよりも古くから祀られていた杉山神社が駆逐された可能性は考えられます。神社が時を経て名や祭神が変わるというのは、この地域、神明社に限らずほかの場所、ほかの神社でも起こりうる事です」

しかし、榛谷御厨の中心だった神明社の周辺に、なぜ杉山神社が残り、ほかの神明社が消えたのか、疑問は残る。

榛谷御厨と杉山神社に関係性は感じるものの、今の段階ではこれ以上の事はわからないので謎はさておき、杉山神社めぐりに出かけよう。