第10代「横浜市長」の記念碑が「川崎市中原区」にあるのはなぜ?
ココがキニナル!
第10代横浜市長として関東大震災からの復興事業や区制施行で横浜の礎を築いた有吉忠一の記念碑が川崎にできたとか。なぜ川崎なの?(てんぱれさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
有吉忠一が神奈川県知事時代に築いた代用堤防「有吉堤(てい)」100周年を記念して、川崎市中原区の中丸子公園に記念碑が建立された
ライター:岡田 幸子
有吉忠一(ありよし・ちゅういち)をご存じだろうか?
1925(大正14)年、第10代横浜市長に就任。1923(大正12)年の関東大震災からの大規模な復興事業を迅速に推し進め、「大横浜建設」をスローガンに、われらが横浜を貿易都市から商工業都市へと大きく飛躍させた立役者なのだそうだ。
神奈川に住んでもうすぐ20年のオカダ、恥ずかしながらまったく知りませんでした
そんな有吉忠一の治績(ちせき)を讃える記念碑が、川崎市中原区に建立されたという。
「なぜ川崎?」
「治績って、どういうことをしたの?」
「そもそも誰?」
そんな疑問を抱えて、キニナル記念碑除幕式の会場にお邪魔してみた。
記念碑は川崎市中原区「中丸子公園」に!
今回、有吉忠一の治績を讃える「有吉堤(てい)竣工百年記念碑」が建立されたのは、川崎市中原区「中丸子公園」の一角。
いたって普通の児童公園
「有吉堤竣工百年の会」の関崎益男(せきざき・ますお)さんによると、「有吉忠一が横浜市長を務めたのは晩年の話で、先んじて神奈川県知事としても辣腕(らつわん)を振るいました」
「稲毛米」記事に続いての登場となる関崎さん
「今回の記念碑は、神奈川県知事時代に彼がこの地に築いた堤防を後世に伝える目的ですので、川崎市中原区中丸子公園となったのです」とのこと。
なるほど、「なぜ川崎?」の謎は、これで解けた。
小田原の根府川石(ねぶかわいし)を使った記念碑は、高さ約1.5メートル、幅約70cm
有吉忠一の肖像写真や古地図などが掲載された解説板も設置されている
2016(平成28)年10月30日に行われた除幕式には、300人を超える人が参列。華々しくとり行われた。
大勢で綱を引いての除幕式をメインに
「無量寺」住職による落成式記念法要や
神奈川県大会知事賞受賞、東関東大会出場「玉川中学吹奏楽部」の演奏も
中原区長・鈴木賢二(すずき・けんじ)氏や
有吉忠一の曾孫(そうそん)にあたる有吉徹(ありよし・とおる)氏ら来賓も多数
盛大に執り行われた
予想をはるかに超える除幕式の盛大さに、ますます興味が湧いてきた。まずは、有吉忠一って誰? 治績ってどんなものがあるの!? というところから調べてみよう。
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