金沢区「小柴貯油施設」、整備計画の現状は?
ココがキニナル!
金沢区にある米軍に接収されていた「小柴貯油施設」ですが、米軍から返還されて「150年の森」として整備する計画だったかと思いますが、現在どうなっているのでしょうか?(浜っ子魚河岸五代目さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
土壌汚染やタンクなどの処理に関して、国と協議中。将来、市民が憩う都市公園を目指して横浜市もさまざまな角度から検討している。
ライター:松崎 辰彦
土壌汚染が判明した
米軍に接収されていた土地が返還された場合、防衛省が建物やその他の状況を調査する。
小柴貯油施設の場合はジェット燃料の貯蔵場所として使っていた経緯があり、土壌汚染の可能性があったので、土壌汚染対策法に準じて2007(平成19)年、2008(平成20)年、2009(平成21)年の3年間に渡って土壌調査をした。
その結果、小柴貯油施設の総面積53ヘクタールの3.6%にあたる1.9ヘクタールの土地から鉛やひ素が検出された。土壌汚染が判明したのである。
現在、この調査結果を踏まえて、国と横浜市が継続して協議を行っている。
基地対策課でお話を伺った
あの厳重な立ち入り規制は汚染から一般市民を守るためのものであった。
土壌汚染の調査結果を受けて懸念されたのが、地下水の安全性である。調査用の井戸を掘って、地下水の状況をモニタリングしていくとのこと。
こうした汚染ももちろん厄介な問題だが、のみならず小柴貯油施設には地上に5基、地下に29基、あわせて34基のタンクが存在する。
34基のタンクが存在する
横浜市政策局基地対策課HP内『小柴貯油施設跡地利用基本計画』より
これらのものをどうするか、いまだ決着がついていないのが現状ということである。
公園として生まれ変わることが期待されている
米軍の跡地を自治体が利用する場合、「処分する面積の3分の2を無償貸与、3分の1を時価売り払いする」という規定がある。小柴貯油施設も当然この条件に当てはまるわけだが、現在、国と協議をしているとのこと。
こうした中でも、2008(平成20)年3月に基地対策課では『小柴貯油施設跡地利用基本計画』を策定し、今後の同地の活用法を提言している。この中でこの広大な樹林を、都市公園として活用することを提案している。
横浜市政策局基地対策課HP内『小柴貯油施設跡地利用基本計画』より
この恵まれた自然環境は多くの人が安らぐ公園にこそふさわしく、横浜市も当然そうした視点から跡地利用を考えていることがわかる。
横浜市は開港150周年の年である2009(平成21)年度末までに、150万本の植樹を目標に市民とともにに植樹を行い、先に述べたように小柴貯油施設の中の管理受託を請け負った地域(盛土をして安全性を確保した)に市民が植樹するイベント「開港150周年の森植樹祭」を開催した。
市民がドングリの種を集め、苗木になるまで育て、生育した苗木を大地に植えるという催しで、当時の中田市長も参加した。現地では横浜国立大学の宮脇昭名誉教授が植樹のポイントを指導するなど、環境思想を推進した。
当時の看板
このイベントを主導した環境創造局みどりアップ推進課に伺うと、苗は現在1メートル前後で、順調に生育しているとのこと。職員の方が定期的に草刈りを発注するなどして、保護管理しているとの説明をいただいた。
今後に課題を残している
市民としてはこの森が1日も早く開放され、憩いの場として活用されるのが待ち遠しいところだが、課題は少なくない。もとより土壌汚染をどうするか。土を除去するか、あるいは舗装して人間が触れないようにするか、とにかく何らかの処置が必要になってくる。またいずれ自治体が手がけることになる、34基あるタンクの処理も一苦労だ。更地価格がいくらになるのか、それもこれからの懸案である。
なお小柴貯油施設は2012年9月現在、97.3%が国有地だが、0.9%が市有地で、1.8%の民有地がある。この民間の地権者の意向も、もちろん尊重されねばならない。
2010(平成22)年、2011(平成23)年、2012(平成24)年と、横浜市と国との間で協議が続いているが、まだ結論が出ていない。
現在は政策局基地対策課が管轄し、国との処分条件を協議している小柴貯油施設だが、もし国と横浜市で処分条件が決まり、契約が結ばれたならば、将来的には環境創造局が主体となって事業が推進される。民間の意見も聴きつつ、公園基本計画が策定され、工事のための基本設計、そして図面作成、実施設計を経て工事が開始される。
都市公園として生まれ変わることが期待される小柴貯油施設
横浜市政策局基地対策課HP内パンフレット『横浜市と米軍基地』(2008〈平成20〉年3月発行)より
現段階では、これがいつになるのかはわからない。現場の職員の方々も、直面するさまざまな問題を前に、日々業務を進めている最中のようである。
取材を終えて
横浜は戦後、米軍に広範囲に土地を接収されたために復興が遅れた、とはよく聞く話。将来に向けて、返還された跡地をどのように利用するかは大きな課題である。
小柴貯油施設の場合、米軍は土壌汚染というあまりありがたくない置き土産を残して出ていった。この処理に、市も国も頭を悩ませている。
実際に訪れた小柴貯油施設は、大きな森だった。たしかにここは、「150周年の森」にふさわしい。いつこの広大な森全体に、2009(平成21)年に子どもたちが植えた苗木が広く移植され、真に市民の森となるのだろうか。私たちも経緯を見守っていきたい。
─終わり─
横浜市政策局
http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/
横浜市環境創造局
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/
救国の民さん
2013年07月28日 20時14分
手つかずの森林を伐採して、都市公園を作るって? 横浜市は気が狂ってるのでは? 都市部ではここにしか生息しないような動植物がいっぱいあるのに。環境保護が叫ばれるこの時代に何を考えているのか。
円海山さん
2013年07月12日 11時45分
昭和48年生まれで当時小学5年生だったムスコの授業参観中に 彼方からドッカーンと異様な爆発音がして、黒煙も見え、何事かと恐怖を感じたのを覚えています。すべからく不景気のおかげで計画が進捗してないみたいですね。
浜っ子五代目さん
2012年09月27日 00時42分
国から横浜市へ無償貸与の話が来ているようですね。交渉・活用が前進することを祈っております。