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川崎はなんで「川崎」って名前なの?

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川崎はなんで「川崎」って名前なの?(chinoさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

川崎市の「川崎」は地形からついた地名。「川」は多摩川、「崎」はデルタ。つまり、多摩川が作った河口のデルタ地帯があったから「川崎」!

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ライター:吉澤 由美子

東海道川崎宿から川崎市へ

江戸時代に入ると、初代将軍徳川家康によって東海道が整備され、その道筋にあたった川崎も繁栄していく。
 


旧東海道川崎宿には案内板が多数設置されている
 

本陣に泊まる大名の関札レプリカがあった


川崎が宿場となったのは、東海道が整備されてしばらく経ってからの1623年。
 


イナセなフォントの看板


川崎宿には、350軒ほどの建物が約1.4kmにわたって並び、賑わっていた。
 


「砂子(いさご)の里資料館」には、浮世絵と川崎宿の模型が展示されている
 

街道筋の裏に水田が広がるのどかな川崎宿の模型


1787年には第11代将軍である徳川家斉が川崎大師に詣で、厄除けの祈願をしたことから、江戸の町民の間でも信仰と行楽を兼ねた大師参詣が人気となり、川崎宿も大勢の参拝客が立ち寄った。
 


川崎宿の万年屋は名物「奈良茶飯」で『東海道中膝栗毛』にも登場した茶屋だった


東海道第二宿として繁栄した川崎宿も、明治維新の後、東海道の宿場制度がなくなり、川崎宿も姿を消すが、1872年には国鉄(現在のJR)東海道本線の川崎駅が開業。

1889(明治22)年には市制町村制の施行で町や村の合併が進められ、久根崎 (くねざき) 町・新宿 (しんしゅく) 町・砂子町・小土呂町という川崎宿の4町に堀之内村を加えて川崎町となる。
 


川崎市役所前にも旧東海道案内があった

 
明治末から大正にかけて東京湾沿岸の埋め立てが進み、大きな工場がたくさんできて、人口も急速に増えていき、1924(大正13)年、川崎町は大師町・御幸村と合併して川崎市が誕生する。

それからも1927年(昭和2年)に田島村、1933(昭和8)年に中原町、1937(昭和12)年に高津村・橘村・日吉村の一部、1938年(昭和13)年に稲田村・生田村・宮前村・向丘村、1939(昭和14)年に柿生村・岡上村が次々と川崎市に編入され、第二次世界大戦直前には、現在の川崎市とほぼ変わらない市域を持つようになる。

地図を見ると、川崎市に合併されたのは、二ヶ領用水でつながっていた町や村だったことに気付く。

 


川崎市に合併されたのは、二ヶ領用水でつながっていた町や村だった 


稲作の盛んだった橘樹郡で、用水の絆が近代まで強く町を結び付け、川崎市ができていったのだ。
 


川崎市をつくった二ヶ領用水 ※3月下旬に撮影




取材を終えて

多摩川の河口に広がるデルタ地帯という意味を持つ「川崎」はもともと狭いエリアに付けられた地名。
 


現在の六郷橋は、親柱が六郷の渡し船をモチーフにしたものになっている


そこが東海道の宿場町となり、明治になって鉄道が通り、臨海部の工業が発展していって、川崎市が誕生する。

その川崎市に二ヶ領用水によって結ばれていた多摩川の沖積低地と、多摩丘陵の一部が加わって市域が広がり現在の川崎市ができている。
 


二ヶ領用水は現在も川崎市民の憩いの場 ※3月下旬に撮影


地名の由来も川にまつわり、市のなりたちも川が結ぶ。調べていくうちに「川崎」という地名に愛着がわいてきた。


― 終わり ―


日本地名研究所
住所:川崎市高津区溝口1-6-10 川崎市生活文化会館4F
電話:044-812-1106
 
隣接して、川崎市教育委員会の 「地名資料室」があります。
地名研究所と共同で、主に地名に関する展示や学習・情報サービス等を行っています。地理・歴史・民俗など地名関連の資料が開架されており、図書館のように一般の方が気軽に利用できるようになっています。
電話 044-812-1102
開館時間:午前10時~午後4時30分まで
休館日:水曜日・土曜日・日曜日は休業
http://www8.ocn.ne.jp/~timeiken/

川崎・砂子の里資料館
川崎市川崎区砂子1-4-10
044-222-0310
開館時間 10:00~17:00
休館日 日曜・祭日・8月・月末・月始
入場無料
http://www.saito-fumio.gr.jp/
 


砂子の里資料館の見どころは、テーマごとに定期的に入れ替わる浮世絵のコレクション

 

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  • 川崎の崎に地名額的にデルタという意味はありません。歴史的に川崎という場所がどういうところであったかということと、川崎という地名の由来や語源とは別。川崎という地名は川に面した所、あるいは川に対して地形が突出したと所というのが正解。神奈川県の川崎だけ意味が違うというには資料不足、研究不足で説得力を持たない。川崎の地名研究所はこの川崎という地名についてのパンフレットを作ったことがあるが、なぜデルタなのか説明がない。語源研究をしないといけない。

  •  些細なことですが、1ページ目の下の方の(北部の柿生地域は「武蔵国都築郡」)は「都筑郡」が正しいですね。 二ヶ領用水は川崎市に沿っているのではなく、二ヶ領用水に沿った地区が合併して川崎市が形成された、というのは興味深かったです。

  • 以前、サクサクで川の先ちょ川崎は~って歌がありましたね♪

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