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綱島駅近くの急階段の上にある謎の石碑の正体は?

ココがキニナル!

綱島駅の東口の綱島街道沿いを東急ストア方面に進むと、途中にやたら急で長い階段があるんです。その頂上に石碑っぽいのがあるんですが、あれってなんでしょうか?よろしければ調べてください(会長さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

階段の上には神明社という神社があり、石碑はかつて建っていた木造の祠に替わって建てられたものだった。

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ライター:永田 ミナミ

諏訪神社にて



綱島街道を渡り緩やかな勾配をのぼっていくと、右に回り込むように境内が広がっていた。
 


諏訪神社に向かう坂の下にも神明社と同じような真新しい案内板が
 

諏訪神社境内。手前にあるのは注連縄柱(しめなわばしら)と呼ばれるもの


本殿脇の家屋のインターホンを押すと、宮司ではないが諏訪神社の管理をしている、加藤さんという女性が出てきてくださった。そして以下のような話を聞くことができた。

諏訪神社と神明社はともに古くからある神社で、神明社では今も毎年4月10日に祭事が催されている。全国の神明社と同様、御祭神は天照大神で、戦時に産業道路として日吉まで整備された綱島街道に分断されるまでは、ひとつの山の上に畑と森をはさんで地続きで2つの神社があるという感じだった。

神明社にはかつては木造の小さな祠があったが、古くなり傾いてきたため取り壊され、現在の石碑になった。また、神明社は「桃雲台(とううんだい)」とも呼ばれ、綱島が桃の名産地であった当時、神明社から見降ろす一面の桃畑が、まるでピンク色の雲の上にいるようだったことから名づけられたという。

なるほど、達筆の石碑は「桃雲台」と書いてあったのだ。
 


地図上の地形から推測して、東横線以東の地続きだった丘陵地を復元してみた
(Googleマップより)
 


綱島街道が分断する前は、山のふもとであるこちら側が正面だったのだ


綱島街道から回り込むように境内に入るのも鳥居の位置も、かつての地形を考えれば納得がいく。ちなみに諏訪神社には、神明社にあった黒松を伐採した際に、根元部分を輪切りにして磨いたものが納められているという。現在の神明社の管理は、諏訪神社と同じ綱島各町の氏子総代の方々が行っているそうだ。

諏訪神社や神明社の宮司は石川正人さんという方で、大倉山にある師岡熊野神社の宮司も兼ねているとのことだった。
 


なるほど。写真を撮っておいてよかった


最後に、当時の写真や資料を数多く持っている方ということで、日月桃(じつげつとう)農家の池谷(いけのや)さんを紹介していただいた。地続きのころの写真はぜひ見てみたい。期待を胸に諏訪神社を後にした。



池谷邸にて



綱島街道を下り鶴見川の手前を左折すると、まもなく池谷邸に着いた。
 


またもやこの案内板が。まるで行動をすべて読まれているかのようだ


ご主人に諏訪神社から紹介して頂いた旨を伝えると、資料の所有者である光朗さんは現在入院中で、資料の場所は光朗さんでないとわからないということだったが、「そういったことは熊野神社の石川宮司なら詳しいと思いますよ。とても忙しい方ですが」と紹介してくださった。

どうやらすべての情報は石川宮司につながっているらしい。分厚さを増す雲に雨の気配を感じながら、熊野神社に向かうことにした。