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横浜駅近くの金港公園付近に大量にある謎の石の正体は?

ココがキニナル!

金港公園は70~80cm大の石がゴロゴロ埋まっているかと思えば、周辺の歩道にも同様な石が至る所に。何か歴史的背景があるの?(HIDE.PDさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

国際的な彫刻家、岡本敦生氏を中心としたワークショップから生まれたデザインで、石は三菱重工ドック跡の石材を再利用したもの

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ライター:永田 ミナミ

金港公園のまわり



周辺道路といっても、公園を囲む道路の歩道に似たような石はない。
 


公園の周囲はノーストーン歩道だ


そこで来た道を戻ってみると、さっき歩いてきた歩道に思いきり石は置かれていた。完全に見過ごしていた。
 


さっき左に曲がった信号のすぐ手前に同じような石を発見
 

というか第一京浜を渡ったすぐのところにも石は置かれていた
 

反対側の歩道にも置かれている


意識していないとこんなにも気がつかないものかと目を疑った。石は通り沿いにすべての街灯の両側に置かれていたのだ。
 


新しい街のなかに点々とならぶ古い石
 

歩道を進んでいくと、街灯の両側以外にも石は置かれていた
 

歩いた結果、石は地図の緑線の通り沿いに置かれていることがわかった
 

地図上★の場所は12個の石がならんでいる石過密地帯だ


さらに、ふと入り込んだ広場にも興味深いものがあった。地図の緑色の線の上の水色で囲んだ長方形の場所である。
広場の中央に正方形の池があるのだが、その池の対角につくられているオブジェが、猛烈に金港公園との繋がりを感じさせるのだ。
 


金港公園の小山を思わせる石組みの頂上に重厚な錨(いかり)が置いてある
 

この石の表面の感じはまさしく金港公園のそれだ
 

池をはさんで反対側には船の舳先(へさき=船首)を思わせるような石の構造物
 

舳先的構造物の延長線上に埋められている石たちとDSに熱中する子どもたち
 

広場の名前は「港の広場」だった。舳先ではなく波止場なのかもしれない




都市整備局に聞いてみる



この高層マンション群が林立する整備された街区と金港公園、そして点在する古石群はいったいどういう関係があるのか。公園を横浜市都市整備局に問い合わせてみた。

担当者の話によると、1993(平成5)年の都市公園法改正によって遊具を設置しなくてもいい「街区公園」をつくることが可能になったことから、ポートサイド地区再開発のコンセプト「アート&デザイン」にふさわしい公園をつくろうということになったという。資料がなくわからないが、金港公園はもともと1963(昭和38)年につくられた児童公園だったそうだ。
 


そこで資料を発見。『横浜市の公園 平成4年4月1日現在(横浜市緑政局)』

資料の赤く着色したところに金港公園についての記載がある。備考欄に「ブラ,シー,ジャ,砂場,下管,消防,防火」とある。前半は謎めいているが別のページに「ブラ」はブランコ、「シー」はシーソー、「ジャ」はジャングルジムという説明があったので、そうした遊具がならぶ児童公園だったことがわかった。

さて、担当者の話に戻ると、コンセプトに基づいたあの大きさと形状を生かした小さな公園(ポケットパーク)をつくるため、石の彫刻家として国際的に活躍されている岡本敦生氏を中心として、地域住民、市民、美大生などが参加しワークショップが開かれた。

そしてさまざまな案が出されたなかから、ランドマークタワー建設で廃材となる旧三菱重工ドックヤードの石材を使う案に決定したという。

さらに小山の上に近隣の神奈川公園の欅(けやき)を移植するということになって、公園のイメージが固まった。
 


現在の神奈川公園
 

遊具がならぶスペースでは子どもたちがやはりDSに熱中し
 

「ブラ」の向こうには公園らしい広々とした芝生と大きな木々がある


山下公園と同様に関東大震災からの復興事業として着工し、1930(昭和5)年に完成したという神奈川公園は、戦後、米軍から返還された翌年の1953(昭和28)年に公園として再整備された。

そのため当時は園内の木々が大きく成長して視界が悪くなるなど、治安やホームレス対策などの問題があり、樹木の数を減らすことが考えられていたが、何とかその木を生かせないか、というところから浮上したアイデアだという。かくして1994(平成6)年、現在の金港公園が竣工したのである。
 


都市整備局サイトに掲載されている、岡本氏によって描かれたドローイング


「港の広場」のオブジェについてもきいてみたが、マンションとその敷地内の広場はヨコハマポートサイド街づくり協議会に参加していた三菱地所などの事業者主体で進めたもので、公園とは種類が異なるため詳しい経緯はわからないという。

ただし、横浜市と協議しながら「アート&デザイン」のコンセプトに基づいてつくられたものであることは間違いないということだった。
 


事業者はすでに協議会を離れているという。錨を上げ次の港へ向かったわけだ