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横浜駅近くの金港公園付近に大量にある謎の石の正体は?

ココがキニナル!

金港公園は70~80cm大の石がゴロゴロ埋まっているかと思えば、周辺の歩道にも同様な石が至る所に。何か歴史的背景があるの?(HIDE.PDさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

国際的な彫刻家、岡本敦生氏を中心としたワークショップから生まれたデザインで、石は三菱重工ドック跡の石材を再利用したもの

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ライター:永田 ミナミ

岡本敦生氏にも聞いてみる



金港公園がどうしてああいう形状になったのか、経緯についてはほぼ全容がわかったが、ここでキニナルのは、ワークショップをとりまとめていたという彫刻家の岡本敦生氏である。金港公園建設計画全体を直接知る人物ということになるので、ぜひ話をうかがいたいと思い、問い合わせてみるとさらに詳しい話を教えてくださった。

岡本氏によると最初に、横浜市の担当者から「ランドマークタワー建設で大量に出て来た三菱ドックの石材は、市がキープするのに価値があるのかどうか? 石たちが果たして使えるモノかどうかを見て欲しい」という依頼があり、岡本氏が見に行ったところから始まった。
 


ドックヤードガーデンとしてのこる三菱ドック跡
 

壁面には「起工 明治二十八年一月 」とあるから1895年、119年前だ


岡本氏が見に行ってみると、歴史あるドックの石は、真鶴の小松石という石材が使われていて、もうかなり痛んではいたものの、その痛みの分だけ横浜市の歴史を記憶していると感じ、是非新たな街作りに使った方がよい、という提言をしたという。

金港公園は都市型の小さな空き地スペース的な公園であり、普通われわれがイメージする大きな公園ではないため、通常の公園の作り方から外れて新しい試みをしてみようということになった。そして横浜市の担当者と何回か話し合いを持った結果、ワークショップを開いて、住民の方たちや若い学生諸君の感覚や希望も取り入れて公園を作る、ということになったそうだ。


ワークショップでは「あえて放置してこの場所だけでも土に還す」などさまざまな面白いプランが提案された。最終的に岡本氏がそれらのプランを纏めるかたちで「ランドマークのドックの石を使い、20世紀を記憶する原点として、歴史を持った石の山=新たなドックを作る」という公園計画がまとまる。
 


この山は生まれ変わった新たなドックだったのだ


「小さな三角形の公園には、人が登れるような石の小山ができます。そこを出発点としてポートサイド地区全体の路傍にある車止め石になっていきます」と岡本氏は言う。これが周辺の歩道に置かれた石である。
 


石がならぶ道は地区のコンセプトである「アート&デザイン」にふさわしく
 

ギャラリーロードという名前がついていた
 

ポートサイド地区の地図やベイクオーターのエスカレーターにも案内がある


三菱ドックの歴史的な石がポートサイドの新たな街作りで生かされる。岡本氏は、石に着いた貝殻や使われていたコンクリートやペンキなども、街がこれから過ごす時間の中で意味を持ってくると思われたという。
 


かつて造船所をどこかでしっかりと支えていた石の表情


ところが、岡本氏の「金港公園は新たなドックとして石だけで作る」というプランは、公園緑地管理課からの「是が非でも木を植えたい」という申し出によって変更を余儀なくされる。

岡本氏は相当頑固に拒否したそうだが公園緑地管理課から「木を植えないと公園管理はしない」という話をされ、やむなく欅の移植に同意し、石の山の頂上には欅が1本植えられることに。そしてそれにあわせて「新たなドック」というコンセプトは「都市の中の鎮守の小山」というコンセプトに変わった。

ところが、結果的に公園課は管理をしなかったという。いつ岡本氏が行っても草が伸び放題で、とても管理しているとは思えなかった。しかも、せっかく植えた欅は枯れようとしていたそうだ。

というのも、当初は木を植える計画がなかったため、石の山の地下には分厚いコンクリートの基礎があり、すでにそのなかに「20世紀を記憶する原点」というコンセプトに基づいて、金港公園を作った多くの方たちの記憶を留めるために彼らが持参した「私の20世紀」というコンセプトの品々が埋められていたのである。

このことについても都市整備局に確認したところ「私の20世紀」については知らなかったという。コンセプトが変更される過程で情報が混乱したのかもしれないが、知らないということは掘り出される予定のないタイムカプセルが埋まっているということになる。ただ「それは非常に面白いですね」と興味を持って話していたので、今後、20世紀を記憶するための記録が残されていくことを期待することに。
 


この石の山の下に「私の20世紀」の品々が埋まっているのだ


心配した岡本氏が公園課の担当者に「コンクリートの中では木が枯れるのではないか」と話したところ、新たな工法を使えば枯れないという話だったという。新しい工法が功を奏したのか、欅は現在も枯れることなく立っている。
 


春が来たら、花を咲かせているか見にきてみよう


最後に金港公園と同じ石材を使っていたことからもしやと思ってきいてみると、何と「港の広場」も岡本氏がつくったものだということがわかった。

事業者の三菱地所から、ドックの残リ少ない石と大きな錨1個を組み合わせ、池のデザインとして使って下さい、という依頼があったという。広場の直線で構成された池と、フロア全体の植栽やタイル貼りのプランはすでにできあがっており、それに沿わせるかたちで作ってほしいという話だった。そこで岡本さんは、金港公園が「山」なので広場は「海」という設定にしたとのことだった。
 


この広場は、金港公園の「山」と対をなす「海」だったのだ




取材を終えて



石だから作りっぱなしでいいということはない、ビルや道路と同じように管理や補修することで時間を乗り越えることができ、よい公園になっていく、と岡本氏は言っていた。
幸い現在の金港公園は、石の間から草は生えているものの伸びてはおらず、岡本氏が失望した時とは変わって、定期的に管理されているようである。

今回の取材の最大の収穫は、石の山に「20世紀の記憶」が埋められているということだろう。金港公園が完成してから今年でちょうど20年。カセットテープもフロッピーディスクも写ルンですも公衆電話も、もうない。

スマートフォン1台にそれら全部ともっといろいろ入ってる時代が来るなんて思っていなかった。スマートフォンだって20年後にはまったく形を変えているだろう。

20年前のことはまだ思い出せる。これからさらに50年、100年と時間が流れて思い出せる人が少なくなった日、「20世紀の記憶」は意味と価値を持つだろう。その日まで埋められていることごと忘れられたりしないといいが。

―終わり―

 

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  • 行政のゆきあたりばったり感がヒドイ。

  • 前を通るたびに、これが公園?と思う不思議な空間でした。たくさんの石たちには歴史があったんですね。港の広場の方は気づきませんでした。とても面白い記事でした。

  • 児童公演→児童公園 です。折角の良い記事なので誤字にはご注意を。笑

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