「心臓麻痺プール」と呼ばれる「元町公園プール」はなぜ冷たいと言われるのか?
ココがキニナル!
元町プールは心臓麻痺プールと呼ばれていたりクレイジーケンバンドの歌詞にもあるがどれくらい冷たい?横浜でいちばん水温が低い?入口にある写真はいつの?プール内で温度差が?(maniaさんほか多数)
はまれぽ調査結果!
元町公園プールはかつて井戸水を使用していたため冷たかった。現在は水道水を使用しているため、ほかの横浜市内のプールと水温は変わらない。
ライター:細野 誠治
みんな、お待たせ! そして、あの編集が・・・脱いだ!(つづき)
確認をしよう。編集長、出番ですよ!
今週の名場面「俺の夏」
森に囲まれた50メートルプール(いいなぁ、このロケーション)
横浜の喧騒からちょっとだけ離れた小高い丘に、こんなプール。ひょっとしたらCKBの名曲『タオル』の舞台もここなんじゃ・・・。
(あの娘が~忘れていったタオル~♪)
スタンバイ完了な土星人。さっそく行ってみよう
入水! 吉田:「細野さん、温くて快適ですっ!」
この日の午前9時、水温は31.5度をマーク
絶好の日和に水温を確認。冷たくはない。では場所による違いはあるのか?
編集長、GO!
スイ~~~っと
吉田:「細野さん、若干ですが建物の近く、手前側の水温が低い気がしますっ」
この差、施設の遠藤さんによると2つの理由があるそうだ。
「注水口がプールの5メートルの位置(手前側の位置)にあるため」と「(ほかの場所が)日差しによって水が温められたこと」によるという。
いずれも誤差の範囲内とのこと。
元町公園プールで一番冷たいのはこの場所、5メートルの位置(誤差内ですが)
実地による検証を終了する。残るキニナルはプールの歴史と、市内で最も冷たいプール探しだ。
仕事前にプールでひと泳ぎ。エグゼクティブな吉田(お疲れ様でした!)
案の定、吉田がアイスを食う。次回のSASUKEまで1年切ってるぞっ!
井戸の名残りと昔の姿(証言)
さて、かつての元町公園プールは井戸水を使っていたという証言。これを裏付ける碑が同じ敷地にある。
公園入口に掲げられたプレート
幕末期に来日したフランス人実業家・ジェラールが明治初頭にこの地を手に入れ、敷地内に湧く水を横浜港に出入りする船に水を供給していたという。この湧水が後年、プールの水としても使用されていた、というワケ(諸説あり)。
公園に隣接するジェラール水屋敷貯水槽。国登録の有形文化財だ
元町公園プールの水が冷たかったのは、いつまでだろう? そして冷たかった当時のプールを知る人は、どんなことを語るだろう?
元町から中村川を越えて中華街へ。ここに細野が頼る、横浜の事情通がいる。
2度目の登場、上海路の喫茶店「比韻豆(ビーンズ)」
お店の馬(マー)さんに聞いてみよう。今から50年前の元町公園プールの話
「(元町公園プールは)井戸水だもの、そりゃ冷たかったわよ。意を決して入るの。しばらくすると唇が紫になるほどだもん。真夏でもよ?」
そんなに冷たかったのか・・・。
「あと、昔はプールの底が傾斜になっててね。飛び込み台の方は足がつかないんだから」
横浜市史資料室で見つけた、かつての姿(撮影年不明)
横浜市資料室提供・米国国立公文書館所蔵
「プールの周りは木々の枝が茂っててプールの上を覆っていたの」とも
「昔から大人が多かったね。日焼け目的で」
「ビキニ着た、近くの私立の女の子たちがたくさんいてさ。その子たち目当ての男の子でいっぱいだったんだから!」
おぉ、そうなのか!(このなかに剣さんもいたのかな?)水の冷たかったころの元町公園プール、何だか楽しそうだ。
横浜市資料室所蔵『横浜グラフ』(横浜国際写真通信社)
馬さんの証言は、ここまで。いつからあるのか? 井戸水を使わなくなったのはいつ、そして何故なのかは判明しなかった。
今度は行政・所管をしている横浜市に聞いてみよう。年代記としてのプールの歩みだ。