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ココがキニナル!

龍馬の妻おりょうさんが働いていた事で有名な老舗料亭「田中家」の歴史を通じて現在の神奈川周辺と「田中家」の店内の調査を(浜っ子さん、カレー南蛮さん、ポスポスさん、やじやじさん、ピラフランチさん)

はまれぽ調査結果!

老舗の歴史は一朝にしてならず。前編では明治期までの神奈川宿と田中家の歴史を後編は大正・昭和を経た現在の田中家や周辺の神奈川宿の面影を紹介。

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2015年10月01日

ライター:ほしば あずみ

浮世絵に描かれた料亭と宿場町(つづき)
   

神奈川宿の景色の良さは、広重以外も描いている。
   


1834(天保5)年に刊行された『江戸名所図会』の「神奈川の台」

  
詞書(ことばがき/説明文)には「この地はいづれも海岸に臨みて海亭をもうけ、往来の人の足を止(とど)む。この海辺を袖の浦と名づく<ガイドブック風訳:このエリアはどのショップにもオーシャンビューのカフェテラスあり。立ち寄らずにはいられない。海辺のネーミングは「袖の浦」>」とあり、また・・・

平安紀行
あま小舟 軒端によする ここちして ながめえならぬ かの川の里 持資

とある(『平安紀行』は太田道灌が京都へ上った時の和歌日記。歌のおよその意味は「海に浮かぶ小舟が建物の庇の先にくっつきそうだ。なんとも素晴らしい眺めだ、神奈川の里って」)。
 


「さくら屋」と書かれた茶屋の2階には、遠眼鏡で眺望を楽しむ人の姿も
 

『金川砂子(かながわすなご)』に描かれた「さくら屋」のにぎわい

 
また、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、「爲(ここ)は片側に茶店軒を並べ何(いず)れも座敷二階造り欄干付の廊下桟橋(かけはし)など渡して波打ぎわの景色至ってよし」と書かれている。

客引きをしている茶屋の娘から「お休みなさいやァせ、奥が広うございやす」と案内された北八は「奥が広いはずだ、安房上総まで続いている」と座敷からの眺めの良さを称える。
 


歌川広重『五十三次名所図会』より「台の茶屋」
 

埋め立てが進み建物が建ち並んだ現在の眺めに、海は遠い
 

だがかつてはこんな景色を眺めることができたのだろう

   
 
 

さくら屋から田中家へ、時代は激動の幕末から明治へ

田中家が創業した1863(文久3)年は、現在の鶴見区生麦で起きた薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件、いわゆる「生麦事件」の起きた翌年。時代が江戸から明治へ大きく転換を遂げるうねりの中だった。

そんな幕末の宿場の面影が垣間見える場所へ、女将が案内してくれた。
 


田中家のそばにある関門跡
 

「さてここでクエスチョン」

 
関門とは一体なんでしょう? 答えは既に写真の案内板に書かれているとおりだが、外国人の安全を守るため1859(安政6)年に宿場の入り口に設けられた門である。生麦事件が発生する以前より、攘夷派(外国人を排斥したいという考えを持った派閥)などによって外国人が何人も殺傷されていた。

田中家には、高島嘉右衛門とも昵懇(じっこん※親しいこと)であった伊藤博文をはじめ、高杉晋作や西郷隆盛らがたびたび訪れたという。

田中家にほど近い本覚寺は当時アメリカ領事館だったため、総領事タウンゼント・ハリスも来たと伝えられている(ただし1863<文久3>年にアメリカ領事館は本覚寺から横浜の外国人居留地へ移っている)。
 


日米修好通商条約を結んだハリス総領事

 
「かつてこの辺りに並んでいた茶屋は、麦とろ汁や目の前の海でとれた魚といった簡単な料理を出すところばかりだったんです。田中家の料理は、初代は生粋の江戸料理、二代目からは京懐石だったうえに、外貨での支払いができたので外国人の要人たちに好まれたのだそうです」と女将。
 


明治時代の田中家の料理がキニナル・・・が、それはのちほど
 

このころの田中家の様子を幼いころから祖父に聞かされていた女将は、多くのエピソードを語ってくれた。



田中家にやってきたおりょう

1874(明治7)年、勝海舟の紹介で一人の女性が住み込みの仲居として田中家にやってきた。女性はツルと名乗ったが、実は坂本龍馬の妻、おりょうだった。
 


若き日のおりょうといわれている写真(別人説もあり)

 
1867(慶応3)年、京都の近江屋で坂本龍馬が暗殺された後の彼女は、土佐、京都、東京と転々としていたという。1841(天保12)年生まれのおりょうは当時33歳だったが、仲居として雇われるのは20代だったため、10歳以上年齢をごまかしていたという。

「どうして偽名をつかっていたんでしょう?」という光邦さんの疑問に、女将は「あの坂本龍馬の妻なんだっていうプライドがあったのでしょう。生活のためとはいえ人に雇われるなんて嫌だったんじゃないかしら。気丈夫で気風(きっぷ)が良いけれど人のいうことを聞かない頑固者だったそうですよ。集合写真でも真ん中に陣取っているでしょう」

と見せてくれた写真は、当時の田中家の従業員たちの社員旅行の集合写真だという。
 


その人数の多さに圧倒される
 

歴史の生き証人のような女将の語り口に光邦さんも惹きこまれる

 
「おりょうは英語ができたので、外国人客に重宝されたそうです。田中家でしばらく働いたのちに結婚して横須賀へ移り住み、生涯を終えました」と女将。

結婚相手の西村松兵衛(にしむら・まつべえ)は、おりょうの妹婿で元海援隊士の菅野覚兵衛(すがの・かくべえ)の紹介とも、田中家で働いている時に知り合った客ともいわれている。

1896(明治29)年から田中家の店主は二代目の晝間駒之助(ひるまこまのすけ)となり、1914(大正3)年には晝間富長が25歳で三代目を継いだ。

駒之助の趣味は写真だったため、明治時代から大正時代、昭和時代にかけての田中家の貴重な様子が数多く残されている。当時の写真はガラス乾板で、相当に高価なものだった。

「写真にお金をつぎ込んだから身代が傾いたといって、その後はまるで家訓のように写真はご法度になった」と女将は冗談めかして言うが、その膨大な量の写真を10年かけて整理し、ファイルにまとめあげたのも女将である。
 


そこに映っているのは田中家の歴史だけではなく
 

神奈川宿の料亭文化の歴史そのものでもあった




伊藤博文も舌鼓を打った!? 明治時代の田中家の献立とは

明治以降、商業の中心は外国人居留地が置かれた横浜(現在の中区周辺)へと移っていき、人々の交通手段も馬車や蒸気機関車へと変わり、神奈川宿は宿場町としての役目を終えていった。

だが、軒を連ねた旅籠や茶屋は料亭となって華やかな花柳界(かりゅうかい)がそこにはあった。

その様子は稿を改めるとして、今回は最後に明治時代の献立を再現したという田中家自慢の料理をご紹介したい。
 


座敷には明治時代の献立が表装され飾られている

 
田中家に残されている明治時代の献立表を読み解き、盛り付けなどを現代風にアレンジした「神奈川宿御前(5500円)」は予約をすれば誰でも味わうことができる。
 


献立の一例。季節によって内容が変わる

 
かつて「五品一円」だったという田中家の料理。現代の感覚だと3万円ほどになるという。
 


料亭デビューの光邦さん。盛り付けの美しさにため息

 
「盛り付け方やお皿で印象も変わるんでしょうけど、明治時代と聞いてイメージする古めかしさは感じないですね」と感心する光邦さん。
 


前菜とお造り

 
この日の前菜は、甘海老糀付け 木の芽、煽り烏賊うるか和え、子持ち昆布 、サーモンチーズ巻き、干し柿市松巻き。お造りは公孫樹(いちょう)大根盛り、鮪、平目、煽り烏賊。
明治時代にもすでにこのような献立があったことに驚きを感じるが、田中家は当初より外国人や政府要人らを接待する料亭だったため、本格的な懐石料理にこだわらず柔軟な発想で献立を作っていたのだという。



取材を終えて

江戸時代末期まで遡る田中家の歴史は神奈川宿の歴史でもあった。江戸時代、神奈川県域においては城下町であった小田原につぐ大都市だったという神奈川宿が、開港以降その座を横浜へ譲り町の姿を変えていき、やがて関東大震災、横浜大空襲を経て戦後の転換期を迎える。その流れの中で田中家と神奈川宿の面影はどう変化するのかを次回お届けしたい。

―終わり―
 

参考文献
『浮世道中膝栗毛1』/十返舎一九 著/諧文堂/1882(明治15)
『横浜姓名録』/加藤大三郎 編/横浜姓名録発行所/1898(明治31)
『江戸名所図会1』/斎藤幸雄 編/有朋堂書店/1922(大正11)
『金川砂子』/煙管亭喜荘 著/武相考古会/1930(昭和5)
『東海道分間絵図』/遠近道印 [著] 菱川師宣 [画] 正宗敦夫 編・校/日本古典全集刊行会/1934(昭和9)
『神奈川区誌』横浜市神奈川区役所 編/横浜市神奈川区役所/1937(昭和12)
『三代目晝間富長の回想録』/晝間富長 著/1959(昭和34)
『神奈川宿のABC 神奈川区歴史散歩シリーズ』/神奈川区役所 編/横浜市神奈川区役所/1985(昭和59)
『神奈川宿歴史の道』[改訂]/神奈川区役所 企画/神奈川区役所/1990(平成2)
『東海道と神奈川宿』/横浜市歴史博物館 編/横浜市ふるさと歴史財団/1996(平成8)
『横浜繁昌記 復刻版』/横浜新報社著作部 著、横浜郷土研究会 編/横浜郷土研究会/1997(平成9)
『ハマの「田中家」奮戦記 よみがえった老舗料亭』/神奈川新聞社出版部 編/神奈川新聞社発行/2006(平成18)
『史料が語る坂本龍馬の妻お龍』/鈴木かほる 著/新人物往来社/2007(平成19)
『神奈川の近代~宿から町、そして区へ~』/神奈川宿遊学セミナー、横浜開港資料館 編/神奈川宿遊学セミナー/2008(平成20)
『わが夫 坂本龍馬 おりょう聞書き』/一坂太郎 著/朝日新聞出版/2009(平成21)
   

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