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今はなき多摩川の渡し船、「丸子の渡し」の当時の様子とは?

ココがキニナル!

多摩川に架かる丸子橋が開通するまでは、中原街道の東京都側と神奈川県側は、「丸子の渡し」と呼ばれる渡し舟で行き来していたそうです。栄えていたころの、「丸子の渡し」の様子を知りたいです。(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

丸子の渡しが活躍していたのは中世から1934(昭和9)年12月まで。自動車の普及により待望の丸子橋が架橋されたことで廃止された。

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ライター:岡田 幸子

丸子の渡し、渡河(とか)の現場を訪ねる(つづき)
 
さて、左岸に到着。右岸と同様に橋の近くで探してみるも、渡しの痕跡は見つからない。河川敷をしばし下流側に向かって歩き、大田区調布清掃事務所前あたりでようやく・・・

 

 それらしき看板を発見!
 

 川へと続く小道、草をかき分けて進むと
 

 コンクリート製の階段の先に
 

 渡し場跡があらわれた
 

 地図で確認するとこんな感じ(矢印の先が渡し場跡)


大田区立郷土博物館で古地図を確認してみよう。

 

 1909(明治42)年発行の地図には「丸子ノ渡」の文字が(大田区立郷土博物館所蔵) 
 

 1932(昭和7)年発行の地図では「丸子渡」と小さな船の絵(大田区立郷土博物館所蔵)
 

 1936(昭和11)年発行の地図では上流に「丸子橋」が登場(大田区立郷土博物館所蔵)

 
3枚の地図を見比べると、「丸子橋」架橋とともに、中原街道のルートが変わっているのが分かる。以前の中原街道は現在の大田区田園調布警察あたりを直進、「桜坂」を通って現在の東急多摩川線「沼部」駅付近で右に曲がり、多摩川を渡るルートであった。それが、「丸子橋」の完成とともに最短距離を突き進むルートへと変更されたのだ。

 

 赤実線が丸子橋架橋前の旧中原街道、点線が現在の中原街道


「桜坂」というと、2000(平成12)年に発売された、福山雅治のバラード『桜坂』が200万枚を超える大ヒットとなったあの「桜坂」だ。フクヤマが歌ったのは、中原街道の坂道だったんだなぁ。
 

 
どうしても丸子の渡しに乗ってみたい!


 
徐々に全貌が明らかとなってきた「丸子の渡し」。こうなると思いはひとつだ。
「丸子の渡し」に乗ってみたい!

そんな願いをかなえてくれるのが、前出の鈴木さんが運営に携わるNPO法人「とどろき水辺の楽校」。2013(平成25)年から毎年秋に「丸子の渡し」を体験できるイベントを開催しているのだ。

 

 集まった参加者は500名超。2014年度はもっと多かったとか(とどろき水辺の楽校提供)


例年規模を拡大して行われているこのイベント。2015(平成27)年11月に開催された「丸子の渡しまつり」では、小雨の降りつづく悪天候のなか、多数の参加者が渡しを体験したという。

 

 風をきって進む渡し船、気持ちよさそう!(とどろき水辺の楽校提供)


両岸では地産野菜や多摩川産エビの唐揚げ、アユの塩焼きなど、趣向を凝らした出店が多数並び、マジックショーやお囃子の演奏なども訪れる人々を楽しませた。

 

 アユの塩焼きやエビの唐揚げは完売御礼に(とどろき水辺の楽校提供)
 

 川を挟んだ大田区側でももちろん各種イベントが(とどろき水辺の楽校提供)

 
運営はすべてボランティアによるもので、川崎市観光協会、大田区観光協会、漁業組合、六郷用水の会、うのき水辺の楽校など両岸の有志、企業、団体などから協賛を募り、保険代実費270円を入れて、渡しの参加費は300円に抑えたとか。

鈴木さんによると、このイベントには「丸子の渡し」という地域の歴史遺産を知るだけでなく、多摩川の豊かな自然に触れてほしいとの願いも込められているとか。「多摩川がこんなに豊かで美しい川だということをみなさんに知っていただき、もっと水辺に親しんでいただきたいのです」とのこと。

2016年の開催は10月30日(日)が予定されているという。これは絶対に行かねば! 渡らねば!!


 

取材を終えて


 
現在は比較的まっすぐに流れている多摩川だが、その昔は「暴れ川」と呼ばれ、曲がりくねって流れていたという。その蛇行ぶりは大水のたびに流路が変わるほどだったとも。

多摩川の両岸には同じ地名が残る場所が多くあるが、それらはかつて二つの町が地続きの集落であり、多摩川の流路変更により分断されたことによるのだという。

例えば「丸子」では、川崎市中原区に「新丸子」駅、東京都大田区に「下丸子」駅があり、「等々力」も世田谷区と中原区の両方に町名として存在する。東急田園都市線で多摩川を挟んで「二子玉川」駅と「二子新地」駅が並んでいるのも、こうした経緯によるものだろうか。

上京当時、「等々力って東京なの? 川崎なの? なんでどっちにもあるの?」と戸惑ったことがあるが、数十年の時を超えて、思わぬ形でその答えを得ることができた。個人的にとてもすっきりした取材だった。

 
―終わり―
 

取材協力

大田区立郷土博物館
https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/
住所/〒143-0025 大田区南馬込5-11-13
電話/03-3777-1070
開館時間/9:00〜17:00 月曜(祝日は開館)、年末年始休(ほか臨時休館あり) 

とどろき水辺の楽校
http://www.todoroki.org/
電話/090-5814-9604
 

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  • 昔神奈川側に自転車の練習場?だったかあったような…。この辺で遊んだ後、橋まで戻って渡るのが面倒くさいと思っていたら、近くにいた船頭さんが子どもでも出せるくらいの金額で向こう岸まで乗せてあげるよと言われたのだけど、それですかねぇ??河が臭かったのを覚えています。河からシャボン玉が飛んでいた頃…。

  • 郷土史系や社会科見学系は、本当に楽しみです(中原街道とかね)この辺りは昭和後期頃は汚染が酷く、東横線の鉄橋のすぐ上流の堰の段差で洗剤の泡が立ったものが新幹線の橋脚辺りまで続いていたのを、多摩川を渡る電車の窓から眺めていた記憶があります。その頃と比べると、水質や環境の改善ぶりは隔世の感さえありますね。それと確かに、昔は丸子橋と新幹線の鉄橋の間の東京都側で貸しボートが営業していました(何度か乗りました。ボートから落ちて泳いだこともあります…)。多摩川(昔は多摩川園前でした)の駅前通りを歩いて玉堤通りへ出るところの角の売店で、釣り餌やジュース、アイス等を買った記憶もあるなあ。最近通りかかったら、角のところによさげなカフェができていたりして…まあ街も変わるなあ、と。いずれも東京都側の話なので、はまれぽで扱うのは難しそうですが…。

  • 昔、この辺に数件あった貸しボート屋さんはどこへ行ったんだろう。渡し舟と関係あったのかな。

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