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横須賀で関東大震災の際に起きたトンネル事故とは?

ココがキニナル!

京急安針塚を降り、JR横須賀線の田ノ浦踏切の傍らにある「轢死者供養の塔」という古びた墓石の供養塔。ときどき花が時折活けられてはいますが、由来が知りたい(三浦虎次郎さん)

はまれぽ調査結果!

田浦駅を中心に東京寄りの踏切に関東大震災の際、トンネルの崩落事故で無くなった方を祀る供養塔があったが、安針塚の塔の詳細は不明

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ライター:やまだ ひさえ

静円寺と海軍のつながり



静円寺は、JR横須賀線が真横に通る立地にある。
 


田浦ガードの向こう、丘の上に建つ。画面の右側に踏み切りが
 

静円寺
 

副住職の石本真教(いしもと・しんきょう)さんにお話を伺った。

同寺は、室町時代後期の1536(天文5)年、開基の日蓮宗のお寺。かつては、踏切がある場所も境内の一部だった。
 


明治時代初期の古地図
 

赤い線が同寺の参道。右上から斜めに延びているラインの部分が横須賀線の線路だ。

横須賀線は、陸軍の命令で作られた軍用線。着工からわずか1年半という短時間で開業にこぎつけている。それだけ整備が急務だったということだ。

静円寺の最寄駅となるJRの田浦駅は、海軍工廠部(こうしょうぶ)軍需部があったことから、軍の利便性向上のために開通と同時に開業した駅だ。
 


大正末期の田浦駅。利用者には水兵も多かった(『ふるさと横須賀』より)
 

さらに、横須賀線が走る三浦半島は、半島を南北に三浦丘陵が貫いており、平地が少ない。

強請か、譲渡か、売買か。文献が残っていないのではっきりしないとのことだが、平地にある静円寺の境内に線路が通ったのもうなずける。
 


本堂から線路が見える
 

もう1つ、軍と同寺のつながりを物語るものが本堂に残されていた。
 


お寺の本堂にしては鴨居が低いと話す石本副住職
 

鴨居には障子やふすま用の桟(さん)が設けられている
 

障子を入れると8畳間になる
 

御本尊のある中央部分の両側に、それぞれ2つずつの8畳間ができる構造になっている。第二次世界大戦中、8畳間は、軍の宿舎として使われていたとのことだ。
 


宿舎になっていた本堂
 

踏切にある追弔塔は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の際、同寺から約600メートル離れた場所にある沼間トンネルの崩落によって亡くなった方を供養するためのもの。

建立した帝国在郷軍人会田浦町分会田浦班から要請したのか、当時の住職が提供を申し出たのかは、やはり文献がないので不明とのことだが、同寺では、毎年、お盆には卒塔婆(そとば)をあげ、供養を続けている。また、田の浦踏切の碑の由来についても、寺ではわからないとのことだった。
 


取材した8月には新しい卒塔婆になっていた