ログイン/会員登録

こんにちは、ゲストさん。

ログイン/会員登録する

ログインすると、すべてのコンテンツを
ご利用いただけます。

みんなのキニナルお店投稿募集キャンペーン
はまれぽ.com無料掲載について
横浜に根ざした舞台を中心に活動する、五大路子さんを徹底解剖!
イベントカレンダー2017年12月

Question みんなのキニナル投稿

投稿の中から、はまれぽ編集部もキニナルことを調査してお答えします!
ぜひ投稿してみてね。(200文字まで)

投稿はこちらから

みんなのキニナル

    緑区の十日市場中学のすぐ隣でマンション建設が始まってますが近隣の学校の児童受け入れ態勢は整っているのでしょうか?緑区とは名ばかり地主の土地売却と東電崩壊で住宅開発が進み既に受け入れ困難になってる小学校...

    ちゃたろうさん

    過去に記事になった「ポニータクシー」がクリスマス仕様でサンタさんと白馬になっていたので乗ってきました! 街をぐるっと1周まわって頂き、通行人の注目を浴びまくってお代は千円!激安です!採算が取れているの...

    スさん

    京急日ノ出町駅近くの奈川銀行本店横の小道にアートペイントが施されています。キニナルのはペイントと一緒に「長者町小唄」という歌の歌詞が書かれています。「川面に映るネオン街 歩めばはやる心うた(中略)異国...

    横濱マリーさん

もっと見る

あなたはどう思う?

過去のアンケート結果はこちら

トップページをリニューアルしたスマホサイトの感想は?

非常に使いやすくなった
使いやすくなった
使いづらくなった
非常に使いづらくなった
どう変わったのか分からない
スマホサイトを使ってない
そのほか

投票せずに結果を閲覧

アクセスランキング

ジャンル
1位
【はまれぽ名作選】 金沢区六浦の「ラーメン神豚」! 「631大ラーメン」と大格闘の巻!
2位
【はまれぽ名作選】相鉄ムービルにあるメガ盛りの店「金太郎」の「メガ盛焼スパ」を実食!
3位
【はまれぽ名作選】取材不可!? 横浜橋にある超有名天丼屋「豊野丼」に突撃!
4位
【編集部厳選】散歩ついでに噂のあれを喰らう!
5位
【はまれぽ名作選】陸の孤島の名店? 磯子区岡村で食いだおれ!
6位
【編集部厳選】あんあんあん! やっぱり大好き! 焼き鳥ちゃん!
7位
1ヶ月間しか食べられない!? 上海蟹の美味しさを中華街で検証!
8位
早朝6時から反町に漂うコーヒーの香りの正体は?
9位
【はまれぽ名作選】店名に横浜とつくのに他県の方が店舗が多い?横浜西口五番街のたいやき屋さん「横浜くりこ庵」に突撃!
10位
横浜赤レンガ倉庫の「ベッドでごろごろできる席」があるカフェに突撃!
11位
『今夜、ハマのバーにて。 vol.6』~「ウイスキートディ」と常連さん~
12位
【はまれぽ名作選】テレ東の「大食い王決定戦」のニューヒロインVSライター・クドー、3kgの唐揚げを完食できるのか?
13位
ユーザーが選ぶ家系NO.1店が決定!「IEK(イエケー)48総選挙」の最終ユーザーランキングを発表!
14位
激安激ウマ!? 「オーケーみなとみらい」にオープンした焼肉店をレポート!
15位
新横浜にあるセクシービキニ居酒屋ってどんな店?
16位
超個性派横須賀B級グルメパン「ポテチパン」とは?
17位
【ニュース】崎陽軒が「メガシウマイ弁当」を発売! シウマイの食べ比べができるプレミアム弁当も!
18位
ユーミンの歌『海を見ていた午後』に出てくる「山手のドルフィン」の今はどうなっている?
19位
「これぞ家系」、直系店第1号店の杉田家に突撃! ~横浜の家系ラーメン全店制覇への道~其の弐拾六
20位
かわいい「ホロ酔い女子」が集まる立ち飲み屋を探せ! 野毛編
21位
元町の老舗洋菓子店「喜久家」のオリジナルスイーツ「ラムボール」誕生秘話を徹底レポート!
22位
吉村家から受け継がれた味! 吉村家直系店と最初の独立店が登場! ~横浜の家系ラーメン全店制覇への道~其の弐拾四~
23位
横浜駅、行列の立ち食いそば店「きそば鈴一」に突撃!
24位
横浜生まれのバナナってどんな味!?
25位
【はまれぽ名作選】車橋、宮川橋、関内・・・横浜に急増中とウワサの「もつ肉店」の正体は?
26位
【編集部厳選】寒くなってきたんで、とりあえず、おでんでも!
27位
鎌倉・小町通り、盛りがすごいと噂の老舗カレー店「キャラウェイ」に突撃!
28位
【はまれぽ名作選】野毛には、リアルな深夜食堂がある?
29位
マグロも温泉も! 「みさきまぐろきっぷ」のお得な使い方は?
30位
分厚いパンケーキを横浜駅徒歩5分圏内で2店舗発見!!
横浜人にインタビュー
教えて○○さん!
はまれぽの記事がアプリでサクサク読める!! はまれぽアプリリリース!!

横浜のココがキニナル!

称名寺の裏山にある八角堂に地下へ続く入口?がありコンクリ密閉されてます。北条実時の逃げ道で抜け穴出口、住職の修行場、地下墳墓とか噂があり。いつ頃何に使われ、何故コンクリ密閉されたのか(dajaさん)

はまれぽ調査結果

八角堂には約35年前まで地下室に通じる階段があったが、災害防止を理由に密閉。地下には抜け穴出口はなく納骨室があり、住職の修行場ではなかった

ライター:小方 サダオ (2017年07月17日)

八角堂の起源とは

次に称名寺の副住職・須方審證 (すがた・しんしょう)さんに八角堂に関して伺うことにした。

須方さんによると「八角堂は1935(昭和10)年に大橋新太郎(おおはし・しんたろう)氏に寄付されたものです。以前は自由に八角堂へ入ることができ、地下への階段もありました」

「私も約35年前に入ったことがあります。堂内に10段ほどの地下へ降りる階段があり、その先は地下室になっていました。深さはあまりありませんでした。また正確な時期は分かりませんが、入口は埋められました」とのこと。

さらに投稿の「逃げ道の抜け穴」や「住職の修行場」について伺うと「そのような事実はありません」とのことだった。

 

大橋新太郎肖像写真(『目で見る近代の金沢』 金沢文庫編)
 

そこで大橋氏について調べてみると、横浜市のホームページに大橋氏についての記述があった。

父・大橋佐平(おおはし・さへい)氏は1887(明治20)年に出版社「博文館(はくぶんかん)」を創設し、その後出版界に一時代を築いた。新太郎氏は、1902(明治35)年に日本初の本格的な私立図書館「大橋図書館」を東京の邸内に建設し出版界から政財界へ活動の幅を広げたという。

金沢との関わりは、新太郎氏が1905(明治38)年ごろに風光明媚な金沢が気に入り、称名寺東隣にある海岸尼寺(かいがんにじ)の跡地に別荘を建てたことから始まっているとのこと。

 

日向山を背にした大橋氏別荘の庭園と持仏堂(『六浦文化研究』 六浦文化研究所)
 

その後、新太郎氏は、1923(大正12)年の関東大震災で倒壊した金沢文庫の再建にあたり、1928(昭和3)年に多額の寄付を行った。また、被害を受けた称名寺の本堂や鐘楼(しょうろう)を復興するために寄進も行ったという。

そして1935(昭和10)年に、創立者・北条実時の660年忌を記念して、境内の金沢三山に観世音菩薩を100体配置したお参りコースを作り、金沢山の頂上に八角堂を作った、とのことだった。

 

1935(昭和10)年に行われた百観音開眼式(『目で見る近代の金沢』 金沢文庫編)
 

1935(昭和10)年の百観音開眼式の様子(同)
 

また、金沢区の歴史などが書かれている『かねさは物語』に、八角堂の地下室についての記述があった。

『かねさは物語』によると、堂の下には高さ8尺(約2.4メートル)の地下室があって、たくさんの棚が設けられていた。これは一般人の分骨を預かるためのもので、大橋一族の分骨も納められている、とある。

 

1935(昭和10)年10月の金沢山八角観音堂(同)
 



称名寺にある隧道と洞窟

八角堂には「地下室はあった」とのことだが、投稿にある抜け穴出口のような地下道はなかったようだ。

ただ、称名寺の境内には、隣接する金沢文庫をつなぐ隧道がある。
八角堂は納骨のための施設で、抜け道はなかったが、周辺の地元住民からは「境内にある隧道内に洞窟があり、その洞窟は鎌倉に続いているという噂があった」とキニナル投稿の噂話と合致するような話を聞いた。

その隧道や隧道内の洞窟が、投稿の噂のひとつである「北条実時の逃げ道で抜け穴出口」と言われたのだろうか。

 

称名寺境内には金沢文庫へ繋がるトンネルがある
 

境内から金沢文庫へ繋がるトンネル近くには古い隧道があった。

 

金沢文庫へ繋がるトンネル(青線)と古い隧道(緑線)
 

隧道は現在入れないようになっている
 

この隧道は、境内と金沢文庫を繋いでいたようだが、隧道の入口にある説明板によると、称名寺には東側と西側に隧道があり、中世に作られたものとのこと。

 

隧道についての説明が書かれている
 

1323(元亨3)年に描かれた『称名寺絵図』には、阿弥陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置は東側の隧道と一致するという。

 

扉のある隧道(青矢印)は中世の道路とつながっていた
 

また、説明板には金沢文庫の建設直前に行われた発掘調査で、この東側の隧道に繋がる中世の道路の遺構が検出された、とあった。

 

鎌倉時代の隧道の様子(史跡称名寺境内 横浜市教育委員会文化財課編)
 

さらに、東側と西側の隧道のうち、東側は風化が進んでいるものの、西側は旧状を残しているという。

また『かねさは物語』によると、1939(昭和14)年の時点では、現在の称名寺境内の場所に金沢文庫があったが、その場所には1267(文永4)年まで実時邸宅があったそうだ。現在の金沢文庫が建てられている場所には、昭和塾という県の研修施設に付設された図書館と講堂があったという。

 

現在の金沢文庫
 

実時が山を隔てた不便なところに金沢文庫を建てた理由は、鎌倉は度々火事がおこり、極度に火災を恐れて、わざと山を隔てた安全な場所に文庫を立てることにした、とのこと。そのため実時は、この場所に文庫を往復するための隧道を作ったようだ。

 

1939年ごろの金沢文庫(緑線)と昭和塾(青線)、往復するための隧道(紫線)
(史跡称名寺境内 横浜市教育委員会文化財課編)
 

隧道の隣には、数段上がった場所がある。そこにも隧道があり、これが東側の隧道だという。この東側の隧道が前出の地元住民が噂していた「内部に鎌倉へ続く洞窟がある隧道」のようだ。

 

鎌倉時代からある西側の隧道(青矢印)と洞窟がある東側の隧道(緑矢印)
 

東側の隧道の入口にも、金網が張られている
 

西側の隧道(青線)と東側の隧道(緑線)(国指定史跡 称名寺境内 横浜市教育委員会/編)
 

この東側の隧道は、中世時代の道路に繋がっていたので、この隧道を使って、武士が鎌倉と金沢を行き来していたのかもしれない。

 

称名寺の案内図には隧道(青線)と洞窟(緑線)の記述がある
(史跡称名寺境内 横浜市教育委員会文化財課編)
 

 
八角堂と洞窟の関係は!? キニナル続きは次のページ
 

はまれぽアプリ
App Store
Google play


おすすめ記事