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元横浜DeNAベイスターズ選手のセカンドキャリアとは?-内藤雄太さん-

ココがキニナル!

2013年に退団した元横浜DeNAベイスターズ選手、内藤雄太さんのセカンドキャリアとは?(はまれぽ編集部のキニナル)

はまれぽ調査結果!

退団後、スポーツ用品店に就職したのち、カシマヤ製作所に転職。プロ野球選手にバッティンググローブの営業をするなど野球に携わる仕事をしている

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ライター:山口 愛愛

忘れられない開幕戦サヨナラヒット



いろいろな記憶が蘇るが「一番の思い出は、やっぱり開幕戦のサヨナラ」。この年のキャンプは2軍スタートで、自分が期待されていないことを感じていた。

沖縄キャンプ中に、お世話になっているお寺の住職が内藤さんの手相を見て「開幕1軍だからがんばりなさい」といったのだが、心の中では「ぜんぜん当たっていない」と思っていたという。しかし、怪我人が続出し代打のチャンスで結果を残した内藤さんは1軍に残れたのだった。

 

ビックリ! 開幕1軍が決まり、住職にすぐに報告とお礼の連絡をしました
 

そして迎えた開幕戦。東日本大震災の影響で開幕が遅れた2011(平成23)年4月12日。4対4で迎えた9回裏ワンナウト1、3塁の場面で代打として登場した。
対するは中日の浅尾拓也(あさお・たくや)投手。「相手は何億円プレイヤーで自分は何百万円の選手。打てなくても仕方ない」と開き直り「今までで一番冷静に打席に立てた」という。

迷いなく振り抜いた打球はショートの横を抜け、劇的なサヨナラ勝ち。8年ぶりに開幕戦の勝利をもたらし、ナインと抱き合いながら喜びを爆発させた。

 

当時のチームメイト森本稀哲(もりもと・ひちょり)さんも喜んでくれたという
 

「村田さんなどがめっちゃ喜んでくれて。すげぇことやったな! 野球やってきてよかったなと思えた瞬間でした」。内藤さんはヒーローインタビューで「本当に言葉が出ないぐらい、うれしいです。なかなか結果を出せなかったけど、一生懸命やってきてよかったです」と男泣き。苦労を分かっているスタンドのファンも思わずもらい泣きをする笑顔と涙の開幕戦になった。

 

泣く気はなかったんですが、いろんなことが込み上げてきしまって・・・
 

この年は満塁ホームランを打つなど好調だったが、内藤さんは怪我に泣かされる。翌年は守備中に指を骨折し、痛めていた肘と合わせて手術をして復帰するも、肘をかばい、今度は肩まで痛めてしまう。2012(平成24)年の1軍での出場は8試合にとどまった。

必死のリハビリでプレイできるようになり、2013(平成25)年秋には中畑監督から高い評価を得て「春のキャンプは1軍に呼ぶつもりだからがんばれよ」と激励された。それが記事冒頭の日のできごとだ。

 

中畑監督は来季の戦力として考えていた
 

しかし、この翌日には球団事務所で来季の契約を結ばないことを宣言される。中畑監督が球団に事情説明を求め、高田繁(たかだ・しげる)ゼネラルマネージャーと会談するも球団の方針は覆らなかった。突然の戦力外通告となり、トライアウトに臨むことになった。

 

シーズンの最後の方は指も肘も良くなり戦っていた
 

「もう最後だなと思ってやれることを出し切り、楽しく終わろうと思っていたのでトライアウトは楽しかったですね」といいつつ、心の片隅にまだ淡い期待が残っていた。

「トライアウトを受けて声がかからないか少しは期待しましたが・・・。3日間連絡がこなかったのでもうないと思い、すぐに切り替えました。家族のことを思うと、生活していかなきゃ、働かなきゃという思いの方が強くて、勝手に気持ちが切り替わりました」