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戸塚区の食堂「なべやん」はどんなところ?

ココがキニナル!

横浜市戸塚区下倉田町にある「なべやん」という食堂が気になります。この界隈は毎日のように車やバスで通っているのですが、味がありすぎて、なかなか行く勇気がありません。(あきさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

2004年に「なべやん」のご主人が亡くなった後、お母さん1人で頑張って2年間続けていたが、諸事情により、残念ながら2006年に閉店していた!

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ライター:松宮 史佳

伝説の大衆食堂「なべやん」のお母さんがついに登場!

私たち2人を笑顔で迎えてくれる「なべやん」のお母さんこと、渡辺智恵さん(86歳)。

お母さんは脳梗塞の後遺症のため歩行が困難で、現在はリハビリに通っている。
「呂律が回らないからうまく喋れなくてごめんなさいね」とお母さん。

だが、写真を出して「なべやん」のご主人のことを楽しそうに語るお母さんの想いは十分に伝わってくる。
 


「大切なアルバムの写真がくっつかないように」と写真の裏には紙が!


お母さんによると、「なべやん」のご主人・渡辺さんは奥さんの智恵さんを職場で見かけ、一目ぼれ。

「今でいうとストーカーみたいにすごかったのよ(笑)」というほど猛烈にアタックし、7歳年上だった智恵さんと結婚したらしい。

渡辺さんは日本の外食産業の草分け的な存在である鉄板焼きレストラン「紅花」でシェフをしていた。
腕がよく、自信もあり、またお客さんからの評判も高かった渡辺さんは独立を決意。

 


「紅花」勤務時代の渡辺さん


そして1968年2月12日、渡辺さんの誕生日にあだ名だった”なべやん”から店名を取り、大衆食堂「なべやん」を開店。すると、開店3日後に紅花の常連だった外国人の常連さんが「なべやん」に来店し、「ハワイで店を出さないか」とスカウトした。

もちろん店を出した直後だったという理由もあるが、渡辺さんは「どうせ一度きりの人生。

雇われるよりも自分で店を構えて『イチかバチか』で勝負したい」という気持ちが強く、その申し出を断ったという。
ちょうどその日に雪が降り、「開店祝のお花に雪が積もっていたのを今もよく覚えている」とお母さん。

 


1968年2月12日 開店当時の「なべやん」




移ろいゆく街の中で

当時は東海道本線の踏切が「なべやん」のすぐ近くにあったため、人や車の往来が激しかった。

線路の反対側にある日立製作所に勤務していた人などが数多く通っており、口コミで評判が伝わってお店はとても繁盛していたらしい。

また、お店の近くには日立の独身寮があったため、よく配達にも行っていたようだ。

 


お母さん手書きのメニュー 全部制覇したかった…


お店の人気メニューは「餃子」と「チャーハン」。理髪店のご主人によると、「なべやん」の餃子は「それはそれは本当に美味しかった」という。

「なべやん」があった上倉田町(ユーザーさんの投稿には『下倉田』とあったが、実際は『上倉田』だったことが判明)は、緑がゆたかな地域で今でもタヌキが出没するらしい。(半月前タヌキが車にひかれていたので、花を供えましたby理髪店のご主人)

「なべやん」が全盛期であった1970年代は美味しい「なべやん」の残飯を求めて頻繁にタヌキの親子!が出没していたという。「人間が食べてもあれだけ美味しいんだから、タヌキが食べて美味しくないはずがないよね」と理髪店のご主人。美味しさが評判となり、雑誌にも掲載された。

 


「なべやん」時代の渡辺さん


「昼も夜もとっても忙しかった」というお母さん。

だが、今から30年以上前に「なべやん」のすぐ近くにあった「開かずの踏切」の渋滞を解消するため、下倉田に陸橋が作られ、踏切が廃止。

すると、線路の反対側から流入する人や車(主に日立製作所勤務の人など)が減り、続いて日立の独身寮がなくなった。

また、以前日立では電話交換機(電話機と電話回線をつなぐ装置)を製作し、海外などにも輸出していたが、時代の流れと共に需要が少なくなり、電話交換機の製作に携わっていた人は解雇されたのも人通りが減った原因だという。

 


1998年「なべやん」開店30周年記念リニューアル!


「なべやん」のご主人、渡辺さんは心臓が弱っていたため、日頃からお医者さんにタバコを辞めるよう言われていたが、かなりのヘビースモーカーだったようだ。

2006年、渡辺さんは理髪店のご主人に散髪をしてもらった数日後、大好きなイチゴを食べ、火のついたタバコをくわえたまま”眠るように亡くなっていた”という。

その後、お母さんは渡辺さんが亡くなってから2年間、1人で頑張って夜のみ営業を続けていたが、自身の心臓病や糖尿病、脳梗塞が悪化、再開発のための道路拡張が開始…ということが重なり、40周年を目前にしてついに閉店を決意した。


取材を終えて

実は、戸塚区の再開発は45年も前から計画されていた。しかし、戸塚区は商店が多く、地権者が多かったため、なかなか再開発が進まなかったそうだ。

「もし、再開発が早く進んで、お父さんが生きている時に次の店舗が決まっていたらお店を続けていたかもしれない」とお母さん。

現在、歩行のリハビリを行っているお母さん。訓練中に「『なべやん』のお母さんですよね」と声をかけられることが「とてもうれしい」のだとか。

今回は理髪店のご主人をはじめ、何人もの戸塚区民の方に助けていただき、お母さんにお会いすることができた。残念ながら「なべやん」はなくなってしまったが、伝説のシェフ・渡辺さんと「なべやん」の味はこれからも永遠に語り継がれていくであろう!


―終わり―
 

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  • お店の存在は知っていましたが、あの通りは通勤時にバスで通過していたので、いつの間にかなくなっていたのが気になっていました。

  • 記事にも書かれていますが大船方面に向かうほど道が狭くなり、特に歩道はすれ違いすら難しい道になります もし歩く予定がある方は十分注意してください

  • 記事自体はおもしろいんだけど、投稿者はなんで数年前に倒産した飲食店の話を持ち出したんだ?売名行為・・じゃないだろうけどちょっと胡散臭いぞ・・・

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