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「ちょんの間」の過去からアートで再生を目指す「黄金町バザール」をレポート!

「ちょんの間」の過去からアートで再生を目指す「黄金町バザール」をレポート!

ココがキニナル!

2008年開催の黄金町バザールですが、最近はあまり話題にも上らない気がする。10年以上続くなら理由や価値があると思う。近況やこれまでの歴史、黄金町の黒歴史も含めレポートして(キッスイノハマッコさん)

はまれぽ調査結果!

初回に10万人訪れた黄金町バザールは、その後来場者規模は縮小しつつも一定の数を維持し、イベントとして定着。また年間を通して地域と取り組むまちづくり活動も、年々多様化・拡散し継続されている

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ライター:結城靖博

黄金町バザールはなぜ生まれたのか

 
もともと初音町や黄金町一帯は、開港後大岡川の水運を利用した問屋街として繁栄。一方、日ノ出町周辺は落ち着いたお屋敷街で、閑静な環境ゆえ多くの病院があった。
その景観を一変させるのは1923(大正12)年の関東大震災だ。しかし震災による町の激変はこの地域にかぎったことではない。むしろその後の戦争との関係のほうが、より大きいようだ。
 


震災時の伊勢佐木町付近の惨状を伝える絵葉書(横浜市中央図書館所蔵)

 
戦時下の統制経済がもたらした闇屋(入手しにくくなった品物を闇取引で売買する業者)の横行、そして戦災。
1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲は、横浜市全域に大きな被害をもたらすが、特に黄金町付近は最悪だった。逃げ惑う人々の上に焼夷弾が降り注ぎ、戦闘機が機銃掃射を浴びせ、黄金町駅には600人以上の犠牲者が出たという。
 


横浜の空襲被害を描いた絵葉書(横浜市中央図書館所蔵)

 
空襲で焼け野原になった土地にさらに追い打ちをかけたのが、戦後GHQによる伊勢佐木町を中心にした土地の接収だ。人々は突然24時間以内の立ち退きを命じられ、大岡川の川向う、黄金町側へと追いやられる。その当時、市は接収された人々に「空いている土地ならどこに家を建てても構わない」と指導したという。
 


戦災後の横浜の庶民を描いた絵葉書(横浜市中央図書館所蔵)

 
自ずとそれまでの秩序は大きく乱れ、治安は悪化していく。
移転を強いられた人々は、今日を生きるために必死だ。自然、闇市がはびこる。また、大岡川沿いの高架下には飲食店のバラック小屋(仮設建築物)が建ち並ぶ。転入者の中には伊勢佐木町界隈の娼婦たちもいた。娼婦たちはバラック小屋の飲食店で客を取り、店はやがて特殊飲食店、いわゆる「ちょんの間」(外観は飲食店だが2階で売春を行う店)と化していく。

一方、土地を接収した占領軍のもとには旧日本軍から押収した麻薬が大量に保管され、それが密売組織に横流しされたことが、この界隈に麻薬の売買が蔓延する引き金となったという説もある。

こうして黄金町周辺は、戦後屈指の非合法売春地帯「青線」と「麻薬の巣窟」となってゆくのだが、その背景に「戦争」があったことを忘れてはならないだろう。

麻薬禍については1962(昭和37)年の警察による一斉取り締まりをピークにさまざまな対策がとられ次第に沈静化していく。しかし青線地帯については、1958(昭和33)年の売春防止法施行後も、むしろ廃止された合法の「赤線」の客が非合法の「青線」に流れるわけで、その後も長く存続する。

ただ、その姿は時代とともに変化してゆく。もっとも大きく変わるのは娼婦たちの国籍だ。昭和40年代ごろまではほとんど日本人だったが、50年代以降外国人娼婦の姿が増え始める。初めは台湾人、やがてタイ人・・・1990年代に入ると中国・東南アジア・中米などさらに人種は多様化し、同時に「ちょんの間」の規模も拡大。最盛期には250とも260ともいわれる店舗がひしめいた。

この辺の事情は、過去記事「黄金町の『ちょんの間』ってどうなったの? 」に詳しいので、ぜひご一読いただきたい。

だが2000年代に入ると、環境悪化に業を煮やした地域住民がついに立ち上がり、2003(平成15)年、行政や警察などとの連携による「初黄・日ノ出町環境浄化協議会」が発足。そして2005(平成17)年1月、「バイバイ作戦」と呼ばれる大掛かりな警察の一斉摘発が始まり、同年8月には特殊飲食店が一掃される。
 


2009(平成21)年に開所された「黄金町交番」

 
この交番も地域一体の環境浄化活動の産物だ。かつての特殊飲食店街の中心地に、住民の寄付によって土地が提供され、待望の交番が生まれた。今でも24時間体制で署員が監視活動を続ける防犯拠点となっている。

ただ、特殊飲食店がなくなるということは、曲がりなりにも商業施設だったものがなくなるわけで、そのままでは地域は閑散とした状態になる。
折しも2001(平成13)年には横浜トリエンナーレも始まり、文化芸術振興に力を入れ始めた横浜の地。黄金町でも、アートを生かした街の再生を目指すことになる。
こうして生まれたのが、地域住民・行政・警察・企業・美術関係者などの協働のもと2008(平成20)年に初開催を果たす「黄金町バザール」なのだ。
 


「黄金町バザール2008」にて。すでに閉店した「ちょんの間」

 
上の写真は11年前、第1回の「黄金町バザール」を訪れたときに筆者が撮った1枚。「バイバイ作戦」からわずか3年後。店は閉店していたが、かつての店の外観はまだ生々しく残っていた。
 


だが現在の同じ通りに、象徴的だった原色のテントは皆無だ