掃部山(かもんやま)公園ってどんな公園?
ココがキニナル!
インタビュー!(はできないけれど)井伊直弼(かもんのかみ)《横浜港を見下ろす感じで建っている銅像は圧巻》、かもん山公園などの特集が見てみたいです。(ハマっこ3代目さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
公園としての歴史は、1914(大正3)年から始まった。震災・空襲による木々の焼失、戦時体制下での銅像の金属回収という逆境を乗り越え、現在に至る
ライター:ナリタノゾミ
愛されていたからこそ何度もよみがえった土地(つづき)
ところで、掃部山にご当地ソングがあることをご存知だろうか。
「掃部山音頭」(作詞:西條八十/作曲:杵屋六郁)や、「掃部山さくら音頭」(作詞・作曲:掃部山見番)という、昭和初期に作られた新民謡だ。
もっとも、残念ながら音源を発見することはできなかった。
もしかしたら、「虫の音を聞く会」や花見の季節に、この音頭を歌いながら踊るという習慣があったのかもしれない。しかし、少なくとも、2012(平成24)年の花見の際に、それらしき音頭を歌っている者には会えなかった。
いずれにしても、民謡が作られてしまうほど、この山は地域住民に愛されてきたということだろう。
さて、掃部山での古くからのイベントについて調べている中で、明治末期から1974(昭和49)年頃まで、園内に和風の喫茶店が常設されていたという事実が判明した。
喫茶店があったといわれている場所
井伊家の植木職人が始めた店舗で、かき氷やラムネ、甘酒やおでんなどを販売していたという。
震災や戦争を乗り越え、経営を続けていたものの、二代目が亡くなった時に横浜市の条例に基づき撤去された。
戦前の喫茶店前の風景(再現イラスト:ナリタノゾミ)
和風喫茶店の様子を収めた写真をいくつか発見したが、残念ながら権利の関係により掲載はできない。
いずれにしても、どの時代の写真にも活気溢れる様子が写し出されており、掃部山が古くから地域住民の憩いの場であったことを確信させるものだった。
取材を終えて
掃部山公園は2014(平成26)年で100周年を迎える。
これに伴い、2年ほど前から「掃部山公園魅力アップ検討」と題した検討会が複数回開催され、市民から広く意見を募った。
現在、検討会での内容に基づき、園内では大規模な工事が行われている。
遊具広場は全面工事中
100周年を迎えるにあたり、歴史を伝える札が随所に設置されている
検討会では、滝から池までの流れを整備しようという声や、石灯籠に明かりを灯そうという声もあったようだ。安全対策との兼ね合いもあることから、それらの意見が今後どのように反映されるか、大変興味深い。
現在は水が流れていないものの、本来この穴から滝が流れ、池に繋がる仕組み
掃部山の散策マップ(地図制作:ナリタノゾミ)
-終わり-
参考文献
・「西区史」(横浜市西区史編集委員会編)
・「西区の今昔」(西区観光協会)
・「横浜復興誌」(横浜市)
・神奈川新聞(昭和47年8月25日)
・「写真集 昭和の横浜」(横浜市史資料室編)
掃部山公園
西区紅葉ケ丘57
猫丼さん
2016年04月03日 13時00分
直弼に関しては「事態を軟着陸させたいのにどいつもこいつも勝手なことばかり言いやがって」というポジションなので同情の余地は無いでもない。
ketsuさん
2013年02月22日 12時57分
西区民です。図書館に行く時に横を通りますが暗い雰囲気で桜の季節にしか寄りません。像の話がおもしろかったです。「虫の音を聞く会」もそんなに立派な催しとは知りませんでした。今年は行きたいと思います。西区三大祭り、初耳なので検索しましたがわかりませんでした。
ushinさん
2013年02月21日 21時57分
毎回、俺から誤字指摘されてムカツイてるかもしれないが、「今度こそ、奴に揚げ足取られないようにしっかり校正して出稿するぞ!」とか思わないの? たかが誤字だけど、正直言ってもう数えきれず発生しているんだから、取材対象や参照資料に対する感謝や敬意が欠けているとか思われたりされかねないと思うんだが。 それとも、記事はみんなで作るもの、間違いがあったら気づいた人が指摘する、WikiやらLinuxみたい(オープンソース的)なこと考えて頼りにされてる? それならそれで納得するけどw