横浜の伝説、白塗りのメリーさんとは!?
ココがキニナル!
ヨコハマの伝説、白塗りの“メリーさん”って一体どんな人だったの!?(カイトーさん、yoshihiroさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
メリーさんは1960年頃に横浜へ来て以来、74歳まで街頭に立ち続けた“伝説の娼婦”。1995年に横浜から姿を消し、2005年岡山の老人ホームで亡くなった。
ライター:松宮 史佳
伊勢佐木町の人々の証言
メリーさんを伊勢佐木モールで「よく見かけた」という老舗店の店主に取材を申し込む。すると、メリーさんに「話しかけることはしなかった」「遠くから見るだけ」と答えてくれる。店主はメリーさんと「今はなき松坂屋のトイレですれ違ったことがある」そうだ。
松坂屋は惜しまれつつ2008(平成20)年に閉店
跡地は「カトレヤプラザ伊勢佐木」に
また、伊勢佐木モールの入口に、当時メリーさんが行きつけだった「森永ラブ」があった。
メリーさん行きつけの「森永ラブ」(イセブラ百科 神奈川新聞社より転載)
今は居酒屋「じらい屋」になっている
そのほか、メリーさんが「(自分の店に)よく入ってきた」という店主も。もちろん何も買わないので、話しかけることもせず「遠くから見ていた」と店主。理由を尋ねると、「(メリーさんは)娼婦だから」「かかわっていると思われたくない」とのこと。
ホテルニューグランド・県庁前・弁天通り・馬車道も出没スポットだった
(写真提供:森日出夫)
年老いてホームレスに
やがて、日本でエイズ騒動が勃発。メリーさんは行きつけの美容院に来店を断られ、頻繁(ひんぱん)に来店していた「相生」にも姿を見せなくなった。
以前はラブホテルなどに宿泊していたが、老いてからはホームレスに。
福富町のGMビルに住みつき、「エレベーターガールとしてチップをもらい、生活していた」
(写真提供:森日出夫)
現在のGMビル
シャンソン歌手の永登元次郎(ながとがんじろう)さんは男娼だった自分とメリーさんを重ね合わせ、心づけの小遣いをあげるなど気にかけていた。
1993(平成5)年夏、「ドキュメンタリー映画になる!」と新聞に載り、脚光を浴びる
(写真提供:森日出夫)
監督は、はまれぽでもおなじみの清水節子さん。だが、諸事情があって企画はとん挫。
この頃になると、メリーさんは白内障を患い、また体調を崩していたようだ。1995(平成7)年の冬、メリーさんは横浜から姿を消してしまった。
実は、メリーさんは故郷に戻っていたのだ。長年、メリーさんにロッカーを無料で貸していたクリーニング店の奥さんが体調を気遣って新幹線の切符を買い、故郷へと戻してあげたのだった。
メリーさんは故郷へ戻り、老人ホームで「好きな絵を描いて静かに暮らした」。そして、最後は2005(平成17)年1月17日に心臓発作を起こし波乱の人生に幕を下ろした。
取材を終えて
メリーさんと「実際に交流があった人」「遠目から見ていた人」「自分の店舗に来られていた人」が存在し、それぞれの立場により“それぞれの意見があるのだ”と思った。もちろんそれは「当然のこと」だ。
実際にメリーさんと交流があった人々は、好感を持っている方が多かったように思う。
メリーさんは自分を貫き、激動の人生を送った。その一貫した生き方と想像力をかきたてるナゾの部分が「多くの人々を惹きつけてやまない理由」ではないだろうか。
次回はメリーさんとかかわりがあった横浜の文化人の方々に、“それぞれが思うメリーさん”について伺いたいと思う。
―終わり―
2525fukuyamaさん
2020年02月26日 18時53分
40年位前に若葉町の喫茶店でバイトしてた時の常連さんでした。注文はいつも同じで ”ココアをひとつお願いします” って可愛らしい声が印象的だったなぁ
天ちん飯さん
2018年10月09日 16時29分
昨日のマツコの風俗特集は面白かった。
バサラさん
2018年03月24日 15時06分
高校生の頃松坂屋の トイレの前で説教されました