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東白楽にある「立派な行き止まり」の謎を調査!

ココがキニナル!

東白楽にあるグリーンベルトのある立派な道路なのに短距離で行き止まり。一体何のために作ったの?急坂で市電の支線とも考えられません。途中の喫茶店も良い雰囲気なので偵察を(ときさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

戦災復興の過程で昭和23年に事業計画されたこの道路は、住民の反対によって工事が中断されたと見せかけて、何とこれで完成しているという。目的は謎

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ライター:永田 ミナミ


横浜市都市整備局市街地整備調整課にて



さて、1週間後、木村さんから連絡があり、都市整備局市街地整備調整課の大胡(だいご)さんという方が知っているようだと紹介してくれた。

さっそく連絡して都市整備局市街地整備調整課に伺うと、大胡さんはいろいろな資料を調べてくれていた。そして、何とあの100メートルで行き止まる道路は、あのかたちで計画され、あのかたちで完成している、という話だった。
 


ここからグリーンベルトを取り去った状態で完成していたという


この道路は事業認可が出されたのが1948(昭和23)年12月16日で、この日が着工日となるという。行き止まり道路を含む西神奈川地区は、1945(昭和20)年4月15日午後10時過ぎから16日午前1時過ぎにかけてB29約200機が来襲した川崎鶴見大空襲で大きな被害を受けた焼失地域であり、戦災復興の区画整理の過程で出された事業計画であることが分かった。
 


現在公開されている西神奈川地区換地確定図はほぼその事業計画どおりという
〈クリックして拡大〉


「換地」とは、土地区画整理事業において、土地所有者から提供された土地に代わるものとして新たに公布される土地のことである。

土地区画整理事業は、立ち退きや提供によって換地の必要が生じる。事業が認可されると、換地をどう配置するかという「換地設計」を行ない、その際に決定した換地は「仮換地」と呼ばれる。
そして仮換地への移転などがおこなわれ、道路などの工事が完了したあとに「換地処分」が行われる。このときようやく正式に所有権が移る、つまり換地が確定する、というふうに進展する。
 


赤い部分が行き止まり道路である〈クリックして拡大〉


大胡さんによると、資料から分かったのは、計画当初から道路は幅15メートル、長さは100メートルだったということだそうだ。幹線道路以外の道路の一般的な道幅は4~6メートルであるというから、異例であるのは間違いないという。ちなみに横浜上麻生道路道路の道幅は22メートルである。

異例ではありながらこれで完成とする根拠としては、事業計画区域には山裾は含まれないこと、道路が延長される計画があれば予定線(点線など)が道路予定地に引かれているはず、などが挙げられるとのことだった。

換地確定図を見てみると、たしかに道路は山裾の手前で道路が切れており、道路の上の白い部分は事業計画区域外である。
 


戦後まもないこの事業計画には、反町公園も含まれていた
〈クリックして拡大〉


また、地権者から反対があったというような記録もないというから、もはや真相はすべて藪の中である。

可能性としては、戦災復興の事業計画には国から補助金などが出る申請期限があり、それまでに計画を決定しなければならなかったため、設計者にはその後の都市開発のイメージがあったが、ひとまずこのかたちで事業計画が出され、認可されたことが考えられる、と大胡さんは言う。

とはいえ、現在残っている記録からは、今あるかたちの道路として計画されて、計画どおりに道路が完成している、という結論になるということだった。

また、グリーンベルトについては、事故があったという記録が残っていないので事実かどうかは不明だが、路上駐車には格好の場所なので、近隣住民からの要望があって設置されたのではないか、とのことだった。



とはいえやはり何かがあるのでは



大胡さんは、面白い情報が提供できなくて残念と話していたが、話のなかで「もうひとつ不思議なこと」として出てきたキニナル情報があった。それは、短期のものでは工事終了まで2年程度であるのに、この道路の工事終了が1978(昭和53)年9月5日、つまり着工から30年も後であるということだ。

ただし、この「終了」は工事そのものの終了を意味するのではなく、道路局に移管する書面上の手続きがおこなわれた日付であるという。

そこで、過去の地図を調べてみると、1953(昭和28)年発行の「横浜市精密大地図」に、この行き止まりの道路が記載されていることがわかった。
 


横浜市精密大地図(横浜市中央図書館所蔵 提供)
〈クリックして拡大〉
 

この地図をかなり拡大すると、行き止まり道路が確認できる


着工から5年後に発行された地図に記載されていることから、すでに現在の状態の道路が完成していたことがわかる。
この地図によって、喫茶店の本田さんは「42年以上前」と言っていたが、少なくとも61年前までさかのぼることができるだろう。地図の発行以前に測量や作成の期間があったことを考慮すれば、さらに1〜2年前という可能性もある。

事業認可が1948(昭和23)年12月16日ということは、換地設計を経て本格的に工事が開始されたのは1949(昭和24)年以降と考えられる。そうなると、工期については「短いものであれば着工から2年ほどで工事が完了する」という大胡さんの話とほぼ一致するか、あるいはもっと短かったかもしれない。

1951(昭和26)〜1952(昭和27)年ごろに工事は終わっているのに、そこから道路局に移管するまでに25年ほどもの間、「完了」したとはせず「工事中」としていたという不思議な時差。やはりここに何かありそうだ。

そこで、行き止まり道路沿いに隣接し、現在突き当たりの土地が駐車場にもなっている、1936(昭和11)年開山の孝道山に問い合わせてみた。
 


以前通りかかったときは行き止まり道路を孝道山の参道だと思ったりしていた


すると、対応してくれた総務の方が、工事が行われていた当時孝道山にいたわけではないので「聞いた話ですが」と前置きして、またもや「白幡方面に延長する計画だった」という話が出てきた。
総務の方の話では、着工後に地形的な問題が浮上し、山を造成するのは不可能ということになり工事が中断され、行き止まりになったという。
また、地形的な問題にくわえて白幡周辺が住宅街であることも用地の確保を困難にしたとのことだった。

以上の情報からひとつの仮説を立ててみると、

(1) 空襲によって焼失した地域の復興事業が計画されるが、おそらく期限などの問題で区画整理の詳細は未決のまま事業計画を申請、1948(昭和23)年に認可される。
(2) 近隣住民には「道路は白幡方面に開通させる計画である」と説明して土地の提供を求める。
(3) 工事開始後に、起伏の多い地形の造成、白幡地区の住宅街での用地買収が困難であることが発覚し、1953(昭和28)年ごろ、100メートルで工事が中断される。
(4) その後も造成と用地買収の可能性を探りながら時間が流れる。その間に路上駐車あるいは事故が原因でグリーンベルトが設置される。
(5) そしてだんだんあきらめムードが広がり、放置される、あるいは忘れられていく。
(6) 何かのきっかけで移管が完了していないことが発覚し、1978(昭和53)年に道路局への移管手続きがおこなわれ、工事が完了する。
(7) 良くいえば高原の別荘地のような空間、悪くいえばどこにも行けない、無駄に広い無駄な道路が残る。

ということになるのではないだろうか。



取材を終えて



都市計画幹線道路の事業については、道幅20メートル以上のものは記録に残っているが、それに満たないものは記載されておらず記録は残っていないという。今回の道路は残念ながら15メートルだ。

この言ってみればグレーゾーン道路について、66年前の詳細な記録が残っていないことは、戦後の混乱期という状況を考えればしかたがないとも言えるだろう。また、公務員はその土地の住民ではないし、同じ部署に何十年もいることもまずないから、記録の有無しか判断材料がないのもしかたがない。

それだけに道路のすぐそばで長い時間過ごしてきた人たちの言葉のほうが、より信憑性が高いような気がしてくる。そして、やはり絵空事に終わった幻の道路計画はあったのではないかと思われてくるのである。
 


そしてやっぱり幻の道路はこんな感じだったのではないかと思うのだった
 

というのも個人的に目をつけた西大口の換地確定図も見つかったからである
 

そしてやはり、現在の地図とほぼ一致した


ここから東白楽まで延びていたかもしれない道路が、終戦直後に設計した人たちの頭のなかにあったとすれば、彼らはどのような街を思い描いていたのだろう。
 


二つの道路の間に広がる住宅地は「わが町かながわ50選」に選ばれている



―終わり―
 

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  • 廃線&未成線マニアというか、近現代の都市発展に興味をもつ者として、いち早く発展しつつあった横浜の都市計画は、半世紀どころでない昔に端を発していて、歴史の中の謎の領域になっているところが非常に興味深い。ここに道路があったなら・・・と細い路地に分け入ってゆくところ、ゾクゾクします。

  • 白楽駅から孝道山を見に行こうと思って間違えてこの道を歩いたことがありました。傾斜がすごいのに行き止まりだったので、腹立ちまぎれにここに出てくる喫茶店でコーヒーを飲んだ記憶がよみがえってきました。その節はごちそうさま^^

  • この道路、私が物心ついた頃から、広い癖に行き止まりの変な道路として記憶に残っていますね。確かに、記事の想像通りに繋げるつもりだったと言うのは合点がいきますね。あるいは、白幡八幡神社前の通りに繋げるのも有りかも?白幡八幡神社前の道路は、白楽に入ってすぐに、急に曲がって、白旗小学校方面からの道路と合流してますからね。逆方向にカーブしてゆけば、件の行き止まりに繋がりますよね。いずれにしても、自動車が利用するには、急勾配過ぎるのですが。戦後まもなくの計画であったのなら、設計者の頭の中に、自動車で利用する際の勾配の要素が無かったのかもね。まだ自動車=業務用のトラックとバスな時代ですからね。

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