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白楽駅の近くにお洒落でイケてる伝説の映画館があった!?当時の貴重な証言とともに徹底レポート!

ココがキニナル!

昭和30年ごろ白楽駅西口に「白鳥座」という映画館があったそう。遠くから来る人もいるくらい有名だったとか。どの辺りにあって、いつごろどういう理由でなくなった?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「白鳥座」は昭和26年に白楽駅前のドトールと静岡銀行がある所にオープン。プログラムのセンスがよく、多数の人が訪れたが、昭和47年ごろに閉館

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ライター:松宮 史佳

白楽を大・大・大捜索!



三村さんと一緒に白楽の街を捜索する松宮。「この人なら知っているハズ!」という方を次々に訪ねる。だが、「閉館年はわからない」「覚えてないなあ」「兄なら詳しいけど、今は亡くなってしまって・・・」との答え。

・・・1時間が経過。

腰を曲げ、杖をついて歩き、何軒もの家を案内してくれる三村さん。悪いので、「もう大丈夫です」と言うと「時間があるから」と三村さんは答える。

と、突然三村さんは「あの人なら!」と言い、「高見屋商店」へ。
 


ここで何か手がかりが見つかるのか!?
 

店にいた店主の高見屋さんに伺う。すると、「亡くなった主人なら(白鳥座について)いろいろ知っていたんだけど・・・」と残念そうに答えてくれる。

「またもやダメか」とがっくりと肩を落とす松宮&三村さん。「白鳥座の写真があるか」と尋ねると、「ないんじゃないかなあ」「この中にあるかどうか・・・」とお菓子のカンを出してくれる。

カンを開け、山のような写真を1枚ずつ探していく。

・・・30分後。「やっぱりないか」と諦めかけた、その時!

「!!!!」

あった!「白鳥座」の写真が!「おお~!」思わず叫ぶ松宮。
 


昭和41年ごろ、白楽駅東口高台から見た六角橋商店街と白鳥座

 
写真には丁寧に説明文が書かれている。亡くなったご主人はとても几帳面な方だったのだろうと推測。この説明文がなかったら・・・「白鳥座」の写真とはわからなかっただろう。
 


「昭和43年8月31日 市電最後の日」という、貴重な写真も拝見できた

 
高見屋さんにお礼を言い、再び「白鳥座の閉館年」を調査。だがその後、2時間ほど調査し、10人以上に尋ねたが、わからなかった。

合計3時間もお付き合いしてくれた三村さんにお礼を言い、立ち去る。が、しかし・・・閉館年はいつなのか? ナゾは残ったままだ。

「静岡銀行」前で立ち尽くす松宮。すると、「白鳥座」閉館後に建てられた「静岡銀行の創業年を聞けはいいのでは?」と思いつく。同銀行の広報担当の方に伺うと、「創業は1975(昭和50)年12月」と答えてくれる。

と、いうことは“1975年以前に閉館した”のだ! 図書館へ行き、閉館に関する新聞記事がないか調べてみることに!



閉館年のナゾを追え!



横浜市中央図書館で新聞を検索。
 


頼みの綱は中央図書館!

 
しかし、「白鳥座の閉館」に関する記事は見つからない。そこでスタッフの方に伺うと、映画館が記載された『映画年鑑(別冊)』を紹介してくれる。「これはスグレモノ!」と思いきや・・・「途切れている!!!」 1960年代は67年まで。1970年代は73年からしかない。

「白鳥座」は67年の『映画年鑑(別冊)』には載っている。だが、73年版にはない。と、いうことは“68年から72年の間に閉館した”はず。「閉館したのは一体いつなんだろう」と一人悩んでいると・・・突然、「電話帳を調べれば載ってるかも!」とひらめく。68年版の電話帳から一冊ずつ調べていくことに。

すると・・・
 


1971(昭和46)年にはあった!

 
しかし、“1972年にはない!”つまり、「白鳥座」が閉館したのは1972年ころと推測される。

最後に「白鳥座」が閉館した理由を調査。

『日本映画史100年』(四方田犬彦)によると、映画の観客数は1958(昭和33)年の11億強をピークにその後、ゆるやかに下降。1963(昭和38)年にはその半分になった。原因は1953(昭和28)年に放映が開始されたTVの急速な普及。

1969(昭和44)年になると、日活が撮影所を売却。1971(昭和46)年には日活とともに大映も制作停止に・・・と書かれている。

1970年代初頭は“映画会社が制作停止に追い込まれた”という時代なのだ。「白鳥座」も時代の波が押し寄せ、観客が減少し、閉館したと考えられる。



取材を終えて



街にある一映画館の資料はほとんど残されていなかった。そのため取材には苦労したが、三村さんや白楽に住む人々に協力をしていただき、取材することができた。
 


当時のパンフレットは“超貴重なお宝”だ!

 
“何気なく街にあるもの”についての資料はほとんど残されていない。でもそれは、あるのが当たり前すぎて「なくなることが想像できない」からかもしれない。

一度消えてしまったものは再び作ることはできない。だからこそ、これからも“貴重な街の風景”を残したいと思う。
 


伝説の映画館よ! 永遠なれ!!!

 
※洋画はすべて日本公開年を記載しています。


―終わり―
 

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コメントする
  • 私は紅座へよく行きました。邦画ではなくロミジュリ、小さな恋のメロディ、ある愛の詩など3本立てに浸ってました。懐かしい記事をありがとうございます!

  • 白鳥座、懐かしいですね。子供の頃、真珠湾攻撃を題材にした「トラ・トラ・トラ」を観た記憶があります。お弁当持参で、3本立てを全て観た上で、トラ・トラ・トラをもう一度観て帰りました。小学校3年生か4年生の頃だったかな...。私は昭和36年生まれですので、小学校4年生としても1971年、少なくとも1971年には、まだ存在していたかと思います。天王町のライオン座と共に、横浜の誇る名画座の一つであったのではないでしょうか。

  • 白鳥座、懐かしいです。子供の頃、当時白楽の駅前の小さな菓子屋で育ち白鳥座の中で遊んでいました。
    ロビーには当時では高級なソファーが並んでいたような記憶(曖昧ですが…)があります。東京オリンピックのときに初めて白鳥座のロビーにカラーテレビがおかれ、オリンピックをカラーで観るために入り口から左手の坂の上まで長い人の列が並んだ時もありました。坂の左手には徳田医院、白鳥座の坂を挟んだ隣は名宝というパチンコ屋その前のパチンコ屋は安亭だったかなぁ…シゲタ(大火事で焼けました)という食料店やラーメン屋、靴屋、小間物屋、傘屋、靴屋等々白楽の駅前はとても賑やかでした。
    白鳥座の写真を見ると子供の頃の懐かしい記憶がよみがえってきます。

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