【横浜の名建築】三溪園の重要文化財 茶室『春草廬』
ココがキニナル!
横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第12回は、三溪園にある重要文化財『春草廬』。信長の弟で、利休の弟子だった有楽斎が作った、9つもの窓を持つ茶室は、穏やかに美しい異世界だった。
ライター:吉澤 由美子
控えの間である広間には小振りな畳
(続き)
水屋の先には、広間がある。
広間は八畳だが、特別に作らせた小さな畳を使っているので、四畳半程度の大きさ
こちらは主に控えの間として使われたが、人数の多い茶席ではこちらでも茶会を行うことがあり、また茶席の懐石をいただく場所としても利用された。
主に原三溪の奥様が使われていたらしい
フリーハンドのような横線が入ったモダンな襖。無造作な印象だが魅力的
庭に広間専用の蹲踞がある。
四面仏が彫られた石塔の一部を使った蹲踞
春草廬のそばにはイチョウの古木
大人数が参加する茶会のために、春草廬の近くには待合(まちあい)と呼ばれる待機場所が設けられている。
春草廬の増築部分から少し下がった場所に待合がある
苔むした庭の中の待合
このすぐ近くには、横浜開港よりはるかに樹齢が古いであろうイチョウがある。
大人ふたりでも手が回せないのではと思われるイチョウの古木
12月初旬の紅葉の季節には、地面にイチョウの黄色い落ち葉が散り敷かれ、取り囲むように生えるカエデが紅く染まる。
取材を終えて
三溪園の内苑は、臨春閣を中心にした桃山時代の明るい印象の場所と、奈良の古い廃寺をイメージにした侘寂を感じる場所に分けられる。
春草廬へと続く小道の傍らには苔むした石棺などが置かれ、ここは特に奈良の風情が色濃い場所だ。
奈良は海竜寺付近から出土した5~6世紀の石棺と、それより100年以上も古い石棺の蓋
古代に思いを寄せつつ進んだ先に待つ、窓が多く優しい華やかさを感じさせる小さな空間。
戦国時代に信長の弟としてドラマティックな運命を辿り、最後は茶人として美を追い求めた織田有楽斎。
その有楽斎が作った茶室は、日常から遠く離れた、穏やかで美しい異世界だった。
― 終わり―
※一部の写真は特別な許可をいただいて撮影しています
三溪園 公式サイト
http://www.sankeien.or.jp/
紅葉が見ごろを迎える11月26日(土)~12月11日(日)まで、春草廬が公開されます。
この期間中、同じく聴秋閣近辺の遊歩道も公開!
春草廬は、茶会や句会、撮影などに借りることができます。詳しくは公式ページを参照してください。
ikuchanさん
2015年01月30日 12時28分
随分前に三溪園へ行きましたが、この庵を覚えていません・・・ もう一度見に行きたくなりました。