京急線の車窓から立体文字が目を引く「ミナミの丘」にあるものとは?
ココがキニナル!
京急弘明寺駅あたりで車窓から見える「みどりの丘」という立体的な刈り込み文字はなに?/市内最古の寺、弘明寺の周辺に古いお寺が集まっているのにはなにか理由があるの?(彗星さん/慈悲深い虎さん)
はまれぽ調査結果!
「ミナミの丘」なる文字は「南の丘メモリアルパーク」という霊園が作った。霊園を擁する乗蓮寺や弘明寺がこの地にあるのは鎌倉幕府と関係があった
ライター:小方 サダオ
仏教文化と古墳文化が交差した地、弘明寺
鎌倉幕府の保護を受けた横浜最古の寺・弘明寺が、この地に作られた理由は、古墳時代の国家的勢力からの影響があるという。
文献『みなみ区の歴史』には、「仏教は大和朝廷(3~7世紀の古墳時代に栄えた日本の国家的中心組織)や中央豪族(大和政権に仕え大きな勢力を持つ一族)によって信仰され、中央(大和=現・奈良県)から派遣された役人や大陸から来て日本に帰化した人々によって広められた。中央の文化の移入は古墳(古代の墓)を作った人々と深い関係があったものと思われる」とある。
その証拠として、例えば川崎市橘樹郡(たちばなぐん)の中心は、日吉・加瀬古墳群一帯であったが、その近くの川崎市野川に、8世紀ごろに創建された影向寺(ようごうじ)があるのは、大規模な古墳と古寺との関連性を感じさせるものだ。
兵庫県神戸市にある五色塚古墳
「弘明寺は久良岐郡に属し、南区の六ツ川の古墳群や永田遺跡、保土ヶ谷区の瀬戸ヶ谷古墳、西区の軽井沢古墳などとも近い。屯倉(みやけ・大和朝廷の直轄領)は保土ヶ谷区・西区・南区にかかる地点を中心としていた。その中心地に近い位置に8世紀創建の弘明寺がある」
大和朝廷の直轄領であった西区(緑丸)、保土ヶ谷区(紫丸)、南区(赤丸)
「このような直轄地では中央から派遣された役人や家族が生活を営み、中央の生活を任地でも続けた。仏教の信仰も同様でそこに住む人々にも広まり、信仰として寺院の建立となったと考えられる影響を与えた」とのこと。
この地が古墳時代に成立した大和朝廷の直轄地であったことで、古墳時代の終わりに大陸から仏教が流入した時、この地に横浜最古の寺が出来た可能性があるのだという。そのため古墳群の近くに古い寺が建っている場合があるようだ。
弘明寺周辺の古墳時代の遺跡を巡る
さらに横浜市の古墳について、『埋文よこはま』のホームページによると「早渕川上流・鶴見川上流・大岡川中流・柏尾川上流にそれぞれ中規模の古墳群が築かれ、日吉の大首長の下で、中位の首長たちが分担して各地域を治めていたと考えられる」とある。
日吉の古墳群(緑丸)は大首長のものであったという(Googlemapより)
そこで中位の首長が治めていたという、弘明寺の周辺の古墳時代の遺跡を巡ってみることにした。
瀬戸ヶ谷古墳・殿ヶ谷古墳群・横浜市三殿台考古館の3ヶ所を訪れてみた。
弘明寺(青矢印)。殿ヶ谷古墳群(緑丸)・瀬戸ヶ谷古墳(紫丸)・三殿台考古館(赤丸、Googlemapより)