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東戸塚の環状2号線陸橋下にひっそりある「尼将軍縁の植松寺跡」の石碑とは?

東戸塚の環状2号線陸橋下にひっそりある「尼将軍縁の植松寺跡」の石碑とは?

ココがキニナル!

環状2号、東戸塚の陸橋下(自転車保管場所の所)に「尼将軍縁の植松寺跡」という石碑がひっそりとあります。植松寺がキニナル。(山下公園のカモメさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

植松寺については不明点が多い。環状2号線の建設に伴い、100年以上前に廃寺となった寺院の名前が石碑として残ることとなった

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ライター:中田 淳也

「植松寺」の名を石碑に


 
植松寺の跡地は吸収合併した光安寺が管理していたとのことで、環状2号線建設に伴う用地買収交渉の話が昭和50年代に持ち上がり、旧檀家の末裔の方と相談をされたという。話し合いが行われていくうちに、植松寺の名前を何とかして残せないかとなり、横浜市の担当者と交渉して高架下に石碑をつくることになったそうだ。

そうして、環状2号線の建設にあたり、1986(昭和61)年に植松寺跡地にあった墓地を光安寺に移転し、今回の石碑が1990(平成2)年に建てられることになるのである。

このお話を伺った印象として「長谷川さんは旧檀家の方々の思いや寺院の名前を残すために一生懸命頑張られたんだなあ」と思い、もう一方の当事者である横浜市の担当者にもお話を伺うことにした。
 


石碑の背面には植松寺の由来や歴史、石碑建立の経緯が刻まれている

 
 
 

気を遣った墓地の道路建設


 
30年以上も前のことなので、当時の担当者にお話を伺うことができるか不安に思ったが、横浜市道路局に問い合わせたところ、当時道路局特定街路課に所属し用地買収の交渉にあたっていた小林勉(こばやし・つとむ)さんと連絡がついた。この場を借りてご尽力いただいた総務課のご担当者に御礼を申し上げたい。
 


横浜市道路局外観

 
現在は定年退職されている小林さんが「なにぶん昔の話で記憶が曖昧ですが・・・」と切り出した後に真っ先に発したのは「墓地の移転に気を遣った」ということだった。

実は環状2号線が造られた場所は植松寺に関する建造物はなく、境内にある墓地だけが残っていたといった方が正確で、さらにこのあたりは高架の道路であるために地面をほじくり返して地盤改良を行う必要があった。そのため、お墓もすべて掘り返す必要があったのである。
 


環状2号線遠景

 
そして、当時の植松寺のお墓のうち半分程度は所有者が不明だったために個別の交渉を行うことができず、光安寺前住職の長谷川さん(当時は住職)を窓口として交渉を進め、所有者が不明のものについては無縁仏として扱ってもらうことにしたという。

そうした中で、おそらく旧檀家の方々を中心に地元の方々とも話し合いを重ねていき、要望を受けて石碑を建てた。また、それにともなって慰霊祭のようなものも行ったと話してくれた。

このような調整が行われ、廃寺から100年以上も経ってから植松寺跡の石碑が建つことになったのである。
 


光安寺の墓地。この中には植松寺から移転してきたお墓もあるのだろう

 


旧東海道から植松寺跡石碑の方角を臨む

 
 
 

取材を終えて


 
「中先代の乱」「承久の乱」「本山・末寺」「地租改正」と高校の日本史で出てくる用語もあり、若干教科書的な説明が多くなってしまったことはご容赦いただきたい。しかしながら、学校の授業の内容が身近なところに影響していることもある一例だとご理解いただければ幸いである。
 


植松寺跡石碑に刻まれた由来

 
植松寺の創建に関しては真偽不明ながらも今回記した以外にさまざまな情報があり、そういった情報を組み合わせて推理(想像)を発展させていくのもなかなか知的な作業となった。

植松寺に関連する書籍や情報は今回ほぼすべてを出したが、北条政子については関連する書籍や情報がいくらでもあるので、そちら側からアプローチしていけば植松寺の新たな一面も見えてくるはずである。興味がある方は試していただきたい。
 
 
―終わり―
 
 
参考文献
『天龍山栄林院光安寺』(光安寺・平成26年)
『川上小学校100周年記念誌』(横浜市立川上小学校・平成3年)
『はれやか通信さんぽみち』(横浜市東戸塚地域ケアプラザ・平成19年10月号)
 
参考資料
川上小学校沿革
川上北小学校沿革

 

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