京急線の車窓から立体文字が目を引く「ミナミの丘」にあるものとは?
ココがキニナル!
京急弘明寺駅あたりで車窓から見える「みどりの丘」という立体的な刈り込み文字はなに?/市内最古の寺、弘明寺の周辺に古いお寺が集まっているのにはなにか理由があるの?(彗星さん/慈悲深い虎さん)
はまれぽ調査結果!
「ミナミの丘」なる文字は「南の丘メモリアルパーク」という霊園が作った。霊園を擁する乗蓮寺や弘明寺がこの地にあるのは鎌倉幕府と関係があった
ライター:小方 サダオ
弘明寺周辺の古墳時代の遺跡を巡る(つづき)
そして副葬品(遺体とともに墓に埋葬するもの)から見て太陽神に仕える女性司祭であった可能性がある古墳の被葬者の股間に陽光が差し込み、彼女が身ごもることを祈念したかのような峠と遺体の配置にあったのこと。
さらに日向峠から秋の10月下旬に出た朝日の光芒が、古墳の被葬者の股間に射し、その儀礼的な意味を持つ現象を鳥居で神として祀るような、峠と古墳内の遺体と鳥居の配置になっている。この場合太陽は男性で女王はその妻と考えられたのだという。
太陽と女王の一体化を祀る鳥居
平原一号墓から見た年間の日の出方位
京都府にある天塚古墳の石室
さらに高い山と遺跡との関係性については「死者の赴く先について中国の『礼記(儒教に関する書)』には、『魂(精神に宿るもの)は天に帰し、魄(はく・肉体に宿るもの)は地に帰す』とある。魂はいったん山に赴き、一定間隔を置いて天に昇る。その山は標高が高く、姿の整った山であることが共通する場合が多い」という。
五色塚古墳の頂上からは明石海峡が望める
標高が高い山は天に近い意味になり、埋葬場所として聖なる地といえるのかもしれない。弘明寺周辺の遺跡も高い位置にあったのは、このことと関係しているのではないだろうか。
取材を終えて
古墳群と横浜最古の寺である弘明寺の周辺には、古墳から仏教式の墓に変わる時代の名残が感じられた。日本仏教の変革を起こしたという「鎌倉仏教」が華開いた背後には、鎌倉幕府の鬼門封じの地の影響力があるのかもしれない。
古墳時代と仏教時代の埋葬方法がまじりあった地・弘明寺にある「南の丘メモリアルパーク」。
「ミナミの丘」と冠された山の頂上の霊園の姿に、周辺にあった太陽に近い位置に、と山の上に古墳という墓地を作った人の思いと重なる気がした。
太陽に近い場所に埋葬地を選ぶことは過去の風習とつながるものなのかもしれない
―終わり―
今宵月男さん
2018年02月13日 00時59分
謎の文字からずいぶん飛んでスケールの大きな話になりましたね。いい記事でした。勉強になりました。