横浜発祥!?「珈琲あんぱん」って何!?
ココがキニナル!
珈琲あんぱんは横浜発祥!? (スさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜発祥で間違いなかった! 1999年、エスプランというベーカリー&スイーツ屋さんが発売した、横浜市鶴見区生まれのカフェオレ風味のあんぱんだった。
ライター:はまれぽ編集部
はまれぽでも過去に取り上げてきたさまざまな横浜発祥(「牛丼のすき家は横浜発祥だったって本当?」、「トマトケチャップが横浜発祥って本当!?」、「横浜発祥ナポリタンが現在に至るまでの歴史とは」)シリーズ。
さすがにもうないだろうと思っていたら、「珈琲あんぱんは横浜発祥!?」という今回のキニナル投稿が。
投稿に添付されていた画像。「横濱発」と書いてある
「横濱発」と商品名になっているのだから、当然「珈琲あんぱん」は、横浜が発祥の地なのだろうと思いつつも、確証が得られない。
そこで、インターネットで詳しく調べてみると、どうやら、「珈琲あんぱん」とは鶴見区の発祥で、京急鶴見駅近くにある「エスプラン」というベーカリー&スイーツ店が発売したという情報が有力のようだ。
さっそく、取材の申し込みをして鶴見へ向かった。
建物はお洒落なヨーロッパのお菓子屋さんを思わせる作り
入口を開けると、店内には美味しそうなパンが並んでいて、思わず頬がゆるんでしまう。
お昼時ということもあってか、お客さんが絶え間なく店を出入りしていた。
香ばしいパンの香りが漂ってくる
今回、取材を快諾してくださったベーカリー&スイーツ エスプラン、代表取締役の塩田一善さんにお話を伺った。
ベーカリー&スイーツ エスプラン、代表取締役・塩田一善さん
エスプランの歴史
確認したところ、「珈琲あんぱん」を生みだしたのは、エスプランで間違いないとのこと。
エスプランの歴史は、今から約300年前にさかのぼる。
江戸時代、武士だった塩田さんのご先祖様が刀を捨て、鶴見、当時の生見尾村(うみおむら)で農業を営んだのちに茶屋をはじめた。
アシのおい茂る海岸だった生見尾村は、今では想像がつかないほど寒い地域で、鶴もよく見られたという。現在の鶴見という名前もこのことが由来と言われている。
茶屋の名前は「覇王樹(サボテン)茶屋」。九州から持ち込まれたサボテンがたまたまこの寒い場所で育ったことから、生命力の強い植物ということにあやかって、「覇王樹茶屋」と名付けた。昔の人は、誰もが足を止めてサボテンを見物していたらしい。
サボテンがお出迎えしてくれる
東海道の道中だった生見尾村。旅人の一服のため、お茶を振る舞ったことが茶屋をはじめたきっかけだった。鶴見川は昔、暴れ川で、渡るのに相当苦労したという。
命からがらやっとの思いで渡り切り、鶴見川近くのこの茶屋で、疲れを落とし、サボテンに癒されていた人が多かったようだ。
覇王樹茶屋跡の石碑
江戸時代から数えれば、現社長・塩田一善さんで11代目。覇王樹茶屋は、戦後、塩田さんの父親の代からベーカリーとなり、現在のベーカリー&スイーツ「エスプラン」となった。
歴史が想像以上に古いのに驚きつつ、エスプランの名前の由来を聞いてみたところ、スペイン語のエスプラナードが語源で「散歩道」という意味。お客様に気軽に寄ってほしいという思いが込められている。
珈琲あんぱん誕生の発想と秘話
塩田さんは、中学生のときからコーヒーが大好きで、パンを食べるときはいつもカフェオレを飲んでいた。
そしていつしか「カフェオレを食べたい!」という発想から、食べるカフェオレをつくることを思いついた。
「ただのカフェオレパンではなく、日本人の心、あんぱんにコーヒーを加えてカフェオレを作りたかったんです」と塩田さん。
そもそも、珈琲あんぱんとはパンの中に珈琲あんとホイップクリームが入っているあんぱん。
パンを焼く塩田さん
その主となる珈琲あんを作りあげるのに苦労したそうで、初めは市販のインスタントコーヒーを水で溶かし、あんこに混ぜ合わせただけで、インスタントコーヒーの味しかしない粗末なものだったと苦い顔で振り返る。
その後、コーヒーにエスプレッソを足してみたり、さまざまな改良を重ねた結果、現在のイタリアンブレンドのコーヒー豆を細かく砕いて使用することにたどりついた。そこにリキュールの香り付けをすることもポイント。
ホイップクリームも、市販の物にはやはり、塩田さんの求めている品質にはできなかった。やはり、純正なホイップクリームを使用することによってクリーミーさが格段に違ってくるという。なお、配合に関しては企業秘密とのこと。