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みんなのキニナル

    戸塚駅周辺では。多数のマンションが建設中です。タワーマンションが林立する武蔵小杉駅周辺でも開発が継続しています。次に建設ラッシュが起きそうなのは何駅でしょうか?

    ほわりんさん

    瀬谷にある田園釣り堀が気になります!ドラマ、映画とかにも出ていて芸能人もたくさん来ているようです!取材してきてください!

    はまっこさん

    市営バスが大型二種免許の取得から支援する養成バス乗務員の採用を始めたそうです!どういう研修があったりするのか気になります!

    はまっこさん

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みんなのコメント

横浜人にインタビュー
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横浜のココがキニナル!

昔の新子安は海水浴場で有名で、昭和初期までにぎわっていたそう。夏は京急も特別ダイヤで運行し、新子安駅から海水浴場までの道沿いには露店が軒を並べていたそう。当時の様子を知りたい(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

京急が1909年に埋立地に開設した「新子安海水浴場」は、休憩所や桟橋も備え人気を集めたが、工場の増加にともない20年ほどで幕を降ろした

ライター:永田 ミナミ (2014年05月01日)

海は遥か遠い

今、新子安駅を出ると、海側には首都高が壁のように立ちはだかっていて何も見えない。それでは、と駅の上にある新子安橋の上までのぼって海のほうを眺めてみても、今度は見渡す限り工場と倉庫があるばかりで、遠くに小さく見える横浜ベイブリッジの橋脚が、その方向に海があることを知らせるばかりだ。
 


工場や倉庫でびっしりと埋め尽くされた現在の新子安沿岸部
 

新子安駅の上に架かる新子安橋の上に架かるスカイオルトデッキからの眺め


上の地図でいうオレンジ色の首都高速より下の陸地は、すべて埋立地である。 そこに立ちならぶ工場倉庫群から、かつて大勢の人でにぎわう海水浴場があった風景を想像するのは難しいが、新子安に海水浴場があった、という話はわりと知られているようだ。

「このあたりは、明治の終わりごろまでは、砂浜の海岸が目の前にまで迫る美しいところだっという。それが埋め立てによって一変してしまった(『各駅停車と鎌倉物語』)」とあるように、かつては第一京浜のすぐ向こう側には埋立地や工場ではなく、砂浜と海が広がっていた。

なるほど、その砂浜に海水浴場があったってことか。そう思って調べてみると、横浜市中央図書館で新子安の海水浴場を写した写真絵葉書がたくさん見つけることができた。
 


「波静か(貝が取れる)」(横浜市中央図書館所蔵 提供)<クリックして拡大>
 

「大船小船(横濱湾内の展望)」(横浜市立央図書館所蔵 提供)
<クリックして拡大>
 

「水煙り(海の中の遊戯)」(横浜市中央図書館所蔵 提供)
<クリックして拡大>


どれも楽しそうな夏のにぎわいが感じられる写真だが、この海水浴場の風景にはどうも何かが足りない。特に上の「水煙り(海の中の遊戯)」を見てみると、何だか少し不思議な感じがしないだろうか。
 


波を待つサーファーたちが語り合う2013年夏。砂まじりの茅ヶ崎


そう、城を作ってみたりむやみに穴を掘ったり、流木で書いたI LOVE YOUが波に流されて消えてしまう、あの「目の前に迫る」「砂浜の海岸」がどうも見当たらないのだ。



いきなり海水浴場

今は遥か遠い新子安の海にあった海水浴場は、ノービーチでいきなり海だった。というのも、新子安海水浴場は埋め立てられる前にあったのではなく、埋立地の先につくられた海水浴場だったからである。
 


1929(昭和4)年発行『大横濱市交通地図』(横浜市中央図書館所蔵 提供)
<クリックして拡大>
 

地図の中央にある「場浴水海安子新」を拡大してみた


上の地図を見ると「新子安海水浴場」と書かれているのは守屋町の海側であることがわかる。ちなみに点線で囲まれた「埋立工事中」の場所は現在の恵比須町、宝町、大黒町である。

もちろん、埋め立てられる前の自然な砂浜で海水浴を楽しんだ人もいただろう。ただ「新子安海水浴場」という名前で開設されたのは埋立地だったのである。
 


「人雪崩れ(浅い浅い)」(横浜市立中央図書館所蔵 提供)<クリックして拡大>
 

「人雪崩れ」が起こっていたのはこのあたりだろうか
 

上の写真は恵比寿橋からこのアングルで撮影したものである


それではこの、埋立地の海側につくられた階段を降りて海に入るという少し不思議なスタイルの海水浴場は、どういう経緯で誕生したのだろうか。



守屋此助と守屋町

かつて砂浜の先に広がっていた海はかなり遠浅だった。そこに目をつけた、平沼新田の埋め立て事業を完成させたことでも知られる7代目平沼九兵衛らが1899(明治32)年にその海を埋め立てる計画を立てたが実現には至らず、1905(明治38)年に弁護士、政治家で横浜市会議長も務めた守屋此助(このすけ)が計画の権利を譲渡され、安田財閥を築いた安田善次郎の協力のもと埋め立てに着工したのである。
 


新子安橋を渡りきったところにある「守屋町」の信号
 

守屋町の安田倉庫入口前には、守屋此助の事業を讃える碑が立っている


守屋町という町名はもちろん守屋此助に由来する。1939(昭和14)年発行の『横浜市町名沿革誌』には次のような記述がある。

守屋町
明治39年より42年に至る間において子安町地先海面151,737坪4合6勺を守屋此助が埋立せし地にて子安町に編入し字海岸通と命名せり。然るに明治44年4月1日横浜市編入に際し、市内に同名たる海岸通あるを以て、大正7年10月15日子安町より分離し守屋氏の姓を採り守屋町と改称、4丁目までを置く。
 


守屋町より海側の恵比須町など周囲の埋立地はこの時点ではまだ存在しない


資料では守屋町が埋め立てられたのは1906〜1909(明治39〜42)年とあるが、石碑には1912(大正元)年12月5日竣功とある。1909年にはほぼ埋め立ては終わっていたが、完了したのは1912年だというところだろうか。


海水浴場の誕生と、にぎやかな夏・・・キニナル続きは次のページ
 

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