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川崎市のJFE敷地内、不法占拠の家屋群の正体は?

ココがキニナル!

川崎市池上町がキニナル!時代に取り残されたようなこの一角はJFEスチールという会社の土地を不法に占拠した住宅地だと聞いたが調査して!(マイクハマーさん)

はまれぽ調査結果!

JFEスチールという工場の敷地内に、違法に建てられた住宅群。工場と住民との間で定期的に話し合いの場などが設けられるが、いまだに解決していない。

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ライター:小方 サダオ

敷地内に密集して建てられた住宅群



川崎市池上町あたりに工場の土地を不法に占拠している住宅地があるという。
早速川崎市の臨海部にある、現地へと向かった。
 


川崎市の臨海部にある池上町

 
横浜方面から国道15号線を進み、川崎市に入ると新川橋交差点で右折する。
 


国道15号線の新川橋交差点で右折する

 
しばらく進み、皐橋(さつきはし)交差点を左折する。
 


皐橋交差点を左折する
 

交差する産業道路の先を目指す

 
道なりに進むと、産業道路に出て、首都高速の高架下をくぐった先の右側に、JFEスチール東日本製鉄所京浜地区(元・日本鋼管)の工場の姿があった。その工場から南西部一帯が池上町だ。
 


JFEスチール東日本製鉄所京浜地区の工場の池上正門
 

トラックなどが行き来する

 
地図で見ると、敷地内はほとんどが工場のようだが、北西部の約8分の1の地域には、公園や民家やアパートが建っている。
これらが投稿の不法占拠の住宅群のことなのだろうか?

住宅地の散策は、南西部にある「つり幸」という釣り船店のあたりから始めることにした。
産業道路に近い場所には、高架に沿って幅の広い大きな道路がある。
 


釣り船店・つり幸
 

産業道路に近い場所には幅の広い大きな道路が通っている

 
そして奥へと進むと、公園、小さな工場や店舗などが建っていたりするが、普通の住宅地、と変わらない印象だ。
 


池上町公園

 
しかしある通りから奥へと入ると、家と家の間が極端に狭くなる。
 


ある通りから奥は、家同士の間隔が狭くなる

 
公道ではなく、人の家の敷地内を通り抜けているかのような路地裏になる。さらに路地は直線的ではない。道が出来てからそれに沿って家を建てたのではなく、それぞれの家を好きなように建ててその間の隙間が道になった、といった印象だ。初めての者が入り込むと方向感覚がつかめなくなり、迷路に迷ったような錯覚に陥る。
 


町内の路地
 

道幅が狭く、曲がりくねったものもある

 
印象としてはこのあたりが不法占拠の住宅群ではあるが、この町はどのようにして出来上がったのだろうか?




歴史的背景を調べる



この地区の歴史について調べるために資料を探すと、「おおひん地区街づくり協議会プランニング作業委員会報告書 おおひん地区街づくり協議会」というものがあった。

歴史に関しては「1910年代から始まる京浜工業地帯の発達史とともにある。浅野総一郎によって始められた埋立地に日本鋼管(現・JFEスチール)が工場建設に着手したのは1912(大正元)年であった」

「1931(昭和6)年の満州事変勃発にともない、軍需生産増大のために日本鋼管は池上町一帯を買収し、軍需工場の建設に着手した。1919(大正8)年から、多摩川で採取した砂利採取人夫として働いていた在日韓国・朝鮮人は川崎に住んでいた」

「しかし1939(昭和14)年に『募集方式』による、朝鮮人の強制連行が始まり、1942(昭和17)年には『官斡旋(かんあっせん)方式』による無差別な強制連行が行われ、多くの在日韓国・朝鮮人は、日本鋼管で働くようになる」
 


2005(平成17)年ごろの池上町(左上一帯)『桜本小学校70周年地域副読本 桜本小学校』

 
「池上町には、戦前・戦中は京浜工業地帯で働いていた労働者の飯場や寄宿舎が並んでいた。
1945(昭和20)年、敗戦とともに日本人の従業員が郷里に帰り、空き家になっていた所へ、それまで各工場内の寮などに収容され、強制的に働かされていたりしていた朝鮮人が住むようになった」

「おおひん地区(川崎市臨海工業地帯に存在するコリアタウン)の中でも池上町の朝鮮人の居住割合は高い1990(平成2)年、川崎市内に在住の在日韓国・朝鮮人は約9000人、半数強は京浜工業地帯の南部に集中する」

「池上町の土地(約54ヘクタール:約54万平方メートル、横浜スタジアム約20.6個分)は、大部分が日本鋼管の所有地であり、多くの居住者が歴史的な過程から、地権者との契約関係もなく土地を占有している」

「池上町では1990(平成2)年の段階で52%(居住者947人中494人)を占めている。1990(平成2)年の国勢調査によると、一世帯あたりの延べ面積は約55平方メートル、住宅合計161、戸数456、人口密度300人/ヘクタールである」
 


池上町にある住宅地工業地域にあるものだ

 
「1993(平成5)年3月、川崎新時代2010プランにおいて、おおひん地区まちづくり協議会という民間主導の団体が結成された。その協議会が地区の改善と活性化に向けて、環境整備を行った。その中でも池上町の改善をいかに進めるかが、重要であった」

「大気汚染に長い間悩まされ『法的に認められない占有』のため、地権者の許可が得られず、道路等の基盤整備が不十分、いつ立ち退きを迫られるか分からない可能性から粗末な建物を建てたり、居住者同士が占有地を広げて道路を狭めたりするなど、ルールが確立していない」

「在日韓国・朝鮮人の強制連行の歴史と係わっているため、『歴史的経過を踏まえた払い下げ』に向けて地権者・地域組織・行政の協力が求められている」とある。
 


日本鋼管で働いていた在日韓国・朝鮮人が中心に住みついた土地だ

 
池上町は、日本鋼管で働いていた在日韓国・朝鮮人が、戦後不法に住みついた、という歴史があるようだ。

また「池上町住環境整備に関する現況調査」という資料内に、土地の所有者を示した地図がある。それによると、東京電力、民地、日本鋼管などと区域によって書かれていて、すべてが日本鋼管の土地ではないことが分かる。
 


池上町住環境整備に関する現況調査(1995〈平成7〉年3月)
 

東京電力の資材置き場
 

坪井工業の敷地

 
ところで「在日韓国・朝鮮人に対する強制連行」に関しては、疑問を唱える説もある。

取材中ある人から「強制連行に関するそのような説明は、戦争責任を負う立場からの曲げられた歴史の事実です」との話を聞き、文献を調べると、東京キリスト大学教授の西岡力(にしおか・つとむ)著、『日韓歴史問題の真実』が見つかった。
 


日韓歴史問題の真実

 
そこには「制度的に『朝鮮人強制連行』とは、1939(昭和14)年に国家総動員法に基づいて作られた、『朝鮮人内地移送計画』のこと。動員されたほぼ2倍が自らの意志で日本に渡ってきた。
朝鮮では徴兵・徴用が適応されていなかったので若い男性の労働力が、高い賃金を求めて内地渡航者を生み出した」などとある。

「強制連行」には複雑な背景があるようで、人による歴史認識の違いなども、池上町の問題を複雑にさせているのかもしれない。