磯子区の住宅街、東京モノレールの走行実験車庫の跡地があるって本当?
ココがキニナル!
笹下釜利谷道路の上中里交差点から坂道を登ると、枕木の塀で囲まれた建物がある。調べるとかつてここで東京モノレールの走行実験が行われていたそう。どのくらいの規模でどのように行われていたの?(GEOさん)
はまれぽ調査結果!
昭和30年代、東京モノレールのゴムタイヤの摩擦軽減や騒音対策の実験が行われた。実験場で使用された枕木を再利用するため塀に使用した。
ライター:橘 アリー
現地の様子は
東京・浜松町と羽田空港を結ぶ東京モノレール。
東京を走る路線なので、横浜との関わりはなさそうに思えるが、以前、東京モノレールの走行実験が磯子区杉田で行われていたという、キニナル投稿があった。
投稿には磯子区の上中里交差点から坂道を上った場所で、実験が行われたとある。その上中里交差点を地図で確認すると・・・
赤丸のあたり
まずは現地の様子を、笹下釜利谷道路の上中里交差点から見て行こう。
上大岡方面から見た上中里交差点
交差点を左折すると、道はほどなく上り坂となる。
1つめのカーブを曲がり、数メートル坂道を上って行くと
道路沿いに建物が見えてくる
建物の手前には「杉田梅の木坂」の看板があり
キニナル投稿にある枕木の塀を発見した
この枕木はコンクリート製である
看板によると、この場所は現在、「杉田梅の木坂(すぎたうめのきざか)」というイベントスペースとして近隣住民に使われているようだ。
では、「杉田梅の木坂」とは、どのようなものなのか、そして、かつて東京モノレールに関する実験が行われていたのか、調査していくことに。
まずは「杉田梅の木坂」について。
杉田梅復活の願いを込めて
「杉田梅の木坂」の管理・運営をされているのは、料理研究家である市原由貴子(いちはら・ゆきこ)さん。市原さんは、梅干し・梅ジュース・梅酒作り、梅の木の剪定などを教える「杉田・梅塾」の代表もされている。
市原さん。取材日は梅塾の生徒の方々と、梅干し作りをしていた
市原さんによると、もともと、ここ杉田は江戸時代から梅林で有名だった場所で、この地の梅は杉田梅と呼ばれる品種とのこと。
戦後は、道路拡張や宅地造成により梅林は姿を消し、杉田梅も絶滅の危機に瀕したそう。
そこで、市原さんなど地域の方々が中心となり、梅塾を開くなどして“杉田に梅を取り戻そう”という活動を行っている。
敷地内には「杉田梅」の木が植えられている
また、この建物のオーナーの高橋道子(たかはし・みちこ)さんも、杉田梅の復活を強く望んでいた。使われていなかった建物を活動などで使えるようログハウスに改修。「杉田梅の木坂」と名付け、2013(平成25)年5月31日にオープンした。
そして、道子さんは、現在は都内に在住で、ご高齢でもあるということで、建物の管理・運営は、市原さんが一任されている。「杉田梅の木坂」は、「杉田・梅塾」の活動のほかにも、パーティーなどのレンタルルームとして使うこともできる。
また、建物は高台にあるので、暑い日中でも窓から涼しい風が吹き込み、快適な空間となっている。
涼しい空間で、梅塾の塾生さんたちの作業もはかどっているようだ
ログハウスは、道子さんの「都会の人たちに、実際に木の手触りや匂い、木の良さを感じてもらいたい」という希望により設計されたそう。
また、エコへのこだわりも強く、材料には、森林の成長過程で間引かれた間伐材を使用している。建物の設計者には、間伐材を有効活用する栃木県の設計会社、有限会社ナベ企画代表の渡辺保(わたなべ・たもつ)さんにお願いしたそうだ。
ログハウスの外観は、洒落た雰囲気
庭から中の様子も見え、自然との一体感がある
外階段があり
上っていくと
屋上には、木製のイスとテーブルがある
眺望も素晴らしい
現在の様子が分かったところで、続いて、東京モノレールの実験について。