磯子区の団地の近くにかつて「底なし沼」があったって本当?
ココがキニナル!
磯子区の浜中の裏にあった坪呑という子供は危ないから近づいてはいけないという底なし沼について是非レポートお願いします。ちなみに今は団地ができて跡形もなくなっています。(昭和の80系さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
坪呑の池が「底なし沼」と呼ばれていたのは、水深があるため周囲で遊ぶ危険性と、他人の土地へ入らないように子どもたちへ警告を促すためだった。
ライター:小方 サダオ
磯子区の坪呑地区に残っていた豊かな自然
今回は、磯子区の坪呑(つぼのみ)に、かつて底なし沼があったというキニナル投稿。その痕跡を求めて、まずは現地を訪れることにした。
インターネットで場所を調べてみると、投稿にある「浜中学校」の南側は団地があり、「坪呑公園」という名の公園がある。
赤枠内が杉田坪呑地区、青矢印は浜中学校(Googlemapより)
坪呑には「坪呑中央」交差点があるが、その付近は団地が建ち並び、現在は底なし沼の面影はない。
坪呑中央交差点付近には団地がある
そこで以前はまれぽの取材に協力していただいた磯子区郷土史家の葛城峻(かつらぎ・しゅん)さんに連絡を取ると、事情に詳しい人として底なし沼を含めた周囲の自然保護運動に尽力した岩田順(いわた・じゅん)さんを紹介してくれた。
団地の裏手にある「坪呑公園」で岩田さんにお会いし、まずは底なし沼のあった場所へと案内してもらった。
坪呑公園入口
底なし沼について話してくれた岩田さん
岩田さんによると、「坪呑の『坪』は、701(大宝元)年の大宝律令で完成した『班田収受の法(農地の支給に関する法律)』の地割(じわり=土地)の単位です。杉田村は古くから水に恵まれない土地だったため、溜池が必要だった可能性があります。そのため、坪のほとんどが池で占められてしまうことから『坪呑(農地を呑んでしまう)』と呼ばれていたようです」とのことだった。
そして、この坪呑公園には、投稿にあるようにかつて「底なし沼」と呼ばれていた池があったという。
池があった場所は、現在公園になっている
公園の南側は崖になっている。崖の上から公園を見た写真
昭和50年代に上の写真と同じ位置から撮影された池
池を含めた自然保護活動
改めて、岩田さんに底なし沼と呼ばれていた池について話を伺った。
当時の坪呑について岩田さんは「坪呑と呼ばれるこの地には、湧水で出来た周囲約200メートルの大きい池と小さい池がありました。このあたりは、貴重な自然と多様な生物の宝庫で、池はその中にありました。多くの生物の生息の場であるとともに、市民の憩いの場でもあったのです」と話してくれた。
自然の宝庫だったという坪呑の池(昭和50年代)
また、「底なし沼」に関して伺うと「池には『危ない! 入るな危険』という看板と簡単な柵がありましたが、子どもたちは入ってザリガニ釣りをしたりしていました。実際には事故はなかったと思いますが、子どもたちに注意を促すために『底なし沼』などと呼んでいたのです」と答えてくれた。
「底なし沼」と注意を促していたそう
続けて、岩田さんは「この場所は、1984(昭和59)年都市整備公団による開発計画が立ち上がり、団地が建てられました。当時は、池を埋め立てて野球場にする予定でした」と説明してくれた。
開発計画によって池は埋め立てられることになった
そこで岩田さんは、同年に「杉田の風致と自然を考える会」を立ち上げ、横浜植物学会会長・野鳥の会神奈川支部長の村上司郎(むらかみ・しろう)さんらに植物やチョウを中心に調査してもらい、このあたりにどれだけ自然が残っているかということを裏付けて、保護するように訴えたそう。
岩田さんたちは、自然のまま親水公園として保存するように、1866名の署名を添えた要望書を横浜市長に提出したという。そして、1986(昭和61)年に完成したのが「坪呑公園」とのこと。
昔の自然を取り戻そうとして作った自然生態園
自然生態園の池に泳ぐカモ
公園ができる前の自然に関して伺うと「横浜植物学会会長などが調査を行ったときは、『ガマの穂が3種類も生えている』と驚いていました。またコケやチョウの専門家も『珍しい種類がいる』と言っていました」と話してくれた。
同じ地区に3種類ものガマの穂が生えるのは珍しいという
池の周囲で採られたチョウ
調査中の専門(提供:岩田さん)
自然保護協会の関係者も調査に来たという(提供:岩田さん)
「坪呑公園に関しては、最初は野球場を作るという話でしたが、誰でも使える場所にしてほしいと横浜市へ要望し、現在の公園が出来ました。以前は池の周囲にたくさんのホタルが生息しており、家の中にまで入ってきたこともありました。そのため、坪呑公園完成後にホタルを繁殖させようと池に放しましたが、居つきませんでした」という。
以前はたくさんのホタルがいたという
地元の人たちはこの池についてどのように思っていたのだろうか。
そこで古くからの住人に話を伺うことにした。