横浜に戦争の傷痕は残ってる?
ココがキニナル!
滝頭の市電保存館入口の保存展示されているポールに、横浜大空襲の際にあいた実弾の痕がありますが、市内には他にも戦争の傷跡が残る場所はありますか?(めだかさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
市内には市電保存館のほかにも国道駅の壁や普門院の墓碑など戦争の痕跡を残すものがある!
ライター:松崎 辰彦
横浜の戦争の傷痕と言えば、京急の旧平沼駅が有名である。横浜大空襲を受けた傷痕が残る場所として、以前はまれぽでも『京急線の「旧平沼駅」って今後はどうなるの?』の記事でとりあげている。
しかし現在、同駅は鉄板で覆われており、中を見ることは難しい。それでは記録や証言をたよりに“横浜の戦争”の残滓を探してみよう。いつも通りすぎる街並みの中に、「あの日」の痕跡があるかもしれない。
穴の向こうに惨禍が広がる
地下鉄吉野町駅からバスで数分。滝頭(たきがしら)というバス停で降りると横浜市電保存館はすぐそこである。
横浜市電保存館
入場料を払って足を踏み入れると、電車の模型や乗換券など、鉄道ファンの心をとらえて離さないさまざまな展示品が眼を奪う。のみならず、奥へ入るとかつて活躍した市電の車体が置かれている。
さまざまなグッズが売られている
かつて活躍した市電の車体
そんな市電保存館の門に寄り添うように立っているのが高さ約7メートル、直径約20センチの鉄のポール。横浜市電生麦線開業時に建てられた架線用のポールである。説明板によると国道15号線の歩道上にあったポールで、2007年に道路整備にともない撤去され、その後この市電保存館に移されたものである。
門のそばにあるポール
この赤茶けたポールが話題になるのは、地上数十センチの場所にある穴に人々の視線が集まるからである。縁が内側に曲げられて、ぽっかりと大人の握り拳ほどの黒い口を開けている。
地面数十センチのところにある穴。叫び声を挙げているようにも見える
この口は、昭和20年5月29日の横浜大空襲の際に受けた焼夷弾の痕であると言われている。
館長の山崎勲氏は言う。
「実際に焼夷弾が当たるのを見た人がいるわけではないのですが、そのように言われています」
穴を示す山崎館長
中は空洞だが、ポール表面の厚さは数ミリはあり、ピストルの銃弾など容易にはじき返すと思われる。
この頑強な鉄の板を貫通させた焼夷弾の威力は、想像するだに恐ろしい。
時折近くのバス停からも、バス待ちの人が見物にくるという。小さな穴の向こうに、言葉を失う惨禍が広がっている。