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横浜に戦争の傷痕は残ってる?

ココがキニナル!

滝頭の市電保存館入口の保存展示されているポールに、横浜大空襲の際にあいた実弾の痕がありますが、市内には他にも戦争の傷跡が残る場所はありますか?(めだかさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

市内には市電保存館のほかにも国道駅の壁や普門院の墓碑など戦争の痕跡を残すものがある!

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ライター:松崎 辰彦

壁に刻まれた「あの日」の記憶



鶴見線国道駅。もとより高架下の空間が異様な雰囲気を帯びているとして、黒澤明が映画『野良犬』の撮影に使用したことでも知られている。
 


国道駅の高架下


この駅はまた、一部外壁に空襲時に受けた機銃掃射の弾痕があることでも有名である。
現在は崩落を防ぐためであろうネットが張られているが、たしかに相当数の銃弾が撃ち込まれた痕が残されている。
 


銃弾が撃ち込まれた痕が見える


一部は高架下内部にも入り込み、壁を直撃している。
 


駅の内部にも銃弾は撃ち込まれた


大空襲の日に焼夷弾を投下したのはB-29爆撃機だが、P-51戦闘機は地表に向けて機銃掃射を行っている。
おそらくそのときの
痕跡と思われる。

ご近所の方に伺うと、この銃弾痕を取材しにテレビ局がくることもあるという。
また話を聞きつけて、見物に訪れる人も昔はいたということである。

独特の雰囲気を持った内部の空間と、壁に残る弾痕。国道駅は不思議な駅である。



空襲で割れた墓碑



昭和20年5月29日午前9時22分に始まった横浜大空襲はB-29 が517機、P-51が101機、計618機という大編隊によるものであった。空に蓋をするような光景だったとも言われる。
 

B-29爆撃機  P-51戦闘機

 
1時間8分続いた空襲時間中に投下された焼夷弾は一説には35万発、2570トンとも伝えられるが、これは3月10日に行われた東京大空襲での焼夷弾1700トンのおよそ1.5倍に上る。猛火に逃げまどう人々に、急降下したP-51戦闘機が機関銃で襲いかかった。

戦争の惨禍を語るものに、黄金町にある普門院の
墓碑がある。

京急黄金町駅付近は、最も空襲の被害が大きかったとも言われている。
空襲が始まり、木造家屋から逃げ出した人々はコンクリート作りの黄金町駅に退避したが、そこに大火災が襲いかかった。猛火に巻かれ、628人が死んだとの証言が残されている。真っ黒に焦げた無数の遺体があとに残された。

駅から歩いてわずかの所に真言宗の寺院である普門院がある。空襲の日、駅から死に者狂いでここまで逃げてきた人も多数いたが、少なからぬ人々が境内に続く石段で絶命し、また境内までたどり着いても建物全体に火が回り、幾多の人命が失われた。
 


現在の普門院。戦後再建された



当時の住職は境内に逃げ込んだ人々を防空壕に誘導したが、自らも犠牲になった。
 


普門院の石段。人々が折れ重なるようにして亡くなった


空襲直後、黄金町駅周辺は真っ黒に焦げた無数の焼死体が重なり合うまさに地獄絵図と化した。あまりの惨状に人々が地蔵を祀ったが、その後地蔵は普門院に移された。
毎年5月29日には供養が行われている。
 


犠牲者の魂を弔うために黄金町ガード下に祀られた黄金地蔵尊。今は普門院に移されている


境内の一画に、空襲の惨禍を物語るものがある。
個人の大きな墓碑が、へし折られたように欠けている。焼夷弾が激突したのだろうか。空襲は、死者の尊厳すらも奪ったのだった。あまりに痛々しい戦争の傷痕である。
 


痛々しく折れた墓碑


無数の声なき声を感じつつ、普門院を後にした。
(参考文献『神奈川県の戦争遺跡』神奈川県歴史教育者協議会
〈大月書店〉)



取材を終えて



市電保存館のポール、国道駅の壁、そして普門院の墓碑と三つの戦争の傷痕を歩いた。
戦争の“物的証拠”は探せばまだあるだろう。現在の平和な横浜からはそんな時代は想像できないが、「あの日」はたしかに存在したのだ。

これほどの命を奪う戦争とは、一体なんであろうか。
我々はそんな時代を忘れてはいけない。


―終わり―
 

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コメントする
  • あの日から71年目の今日、横浜にも原爆投下の危機があったこと、そして、今年5月27日にアメリカ大統領の初の広島訪問。ここ数日の間、戦争に対し何時になく感深い思いが込み上がってきました。

  • 終戦直前の空襲は、想像をはるかに超えて壮絶だった事がわかります。国同士のあらそいは、国民も矢面に立たざるを得ない状況に追い込まれます。本当に、二度と起こしてはいけない事です。でも風化させてはいけない事でもあると思います。

  • 小・中学校では楽しいことばかりでなく、横浜の歴史のひとつとして知って欲しいです。風化させてななりません。

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