坂に名をつけ町を活性! 神奈川区六角橋北町のユニークな取り組み
ココがキニナル!
六角橋北町では町内の坂に名前をつけるプロジェクトを開始。募集した名前から候補を絞り、住民投票で決定するとのこと。投票は終わっていると思うのですが、どんな名前に決まったのか気になります(ねこぼくさん)
はまれぽ調査結果!
2月に行われた投票とその後の選考委員会での協議を経て、3つの坂に「ゆずりあい坂」「北町長坂」「めぐり坂」の愛称が決定。現地を訪ねると、名前にはそれぞれの坂の特徴が反映されていた。
ライター:結城靖博
町名はなくとも「六角橋北町自治会」は存在する
岸根公園のそばには「六角橋北町」という名のバス停もある
さらに「六角橋北町商和会」という名の商店街も
そう、地元の人たちにとっては、やはりここは「六角橋北町」なのだろう。
そんな同地区の名もなき坂のいくつかに、このほど愛称がつけられたという。しかも、住民たちから候補を募り、住民投票をもとに決められたとか。
プロジェクト名は「北町 道の愛称プロジェクト」。この名称からも、地域の人々の「北町」という名への愛着が伝わる。
それにしても、なぜ今このような取り組みを? プロジェクトを主催した六角橋北町自治会の森勤(もり・つとむ)会長に、まずはお話を伺った。
坂を地域のランドマークに
森会長によれば、かつて北町商和会の通りは、さまざまな店舗でにぎわっていたという。その数80~90軒ほど。当時は、商店の名前がその場所を示す目印になった。
(© OpenStreetMap contributors)
上の地図のピンクのラインが六角橋北町商和会。横浜上麻生(かみあそう)道路の西側を並行する通りだ。ちなみに地図に記載された「交通安全センター」は2年前に移転して、今はない。
1992(平成4)年当時の商店街案内図(資料提供:三澤明氏)
今から約30年前につくられた商店街の案内図。商店街で最後につくられた平成4年版の『六角橋北町自治会会員名簿』の中の2見開きだ。左が南側半分、右が北側半分に当たる。多種多様な店舗がずらりと並んでいるのがわかる。
これに対して下は現在の商店街のマップ。去年2019(令和元)年秋にあった地域の祭りのチラシだ。
(資料提供:森勤氏)
たくさん描き込みがあるので一見にぎやかそうだが、よく見ると商店の数は少ない。
実際の商店街の様子はこんな感じ
お店はポツリポツリ。戸建ての民家やマンション、駐車場などが道路脇に連なる。
こうした町の変化こそ、今回の坂道名付けプロジェクトの発端だという。
商店というわかりやすい目印がなくなることで、災害時などに場所を説明することが困難になってしまったからだ。何よりも一番の目的は、坂を新たなランドマークにすることで、地域の防災に役立てることだった。
プロジェクトから生まれた思わぬ意義
「でも」と森会長は言う。そのような目的で始めたプロジェクトではあったが、進めていくうちに新たな気づきがあったそうだ。それは最寄りの神橋小学校の子どもたちの存在とつながる。
(© OpenStreetMap contributors)
北町商和会のすぐ南にある横浜市立神橋(かみはし)小学校。その昨年度の3年2組の子どもたちが、授業の一環として今回のプロジェクトに参加した。
神橋小学校正門
子どもたちは小学校に隣接する杉山大神(すぎやまだいじん)を訪ね、宮司から町の歴史や言い伝えなどを教わった。
杉山大神は六角橋の地名ともつながる伝承に因む由緒ある神社だ
神社の入り口に掲げられた由来を伝える案内板
神社訪問だけではなく、子どもたちは地域についてさまざまなことを積極的に調べていった。「自分たちが大人になっても残る坂の名前をつけるんだ」という真剣な姿勢が、森会長にはとても印象的だったという。
また、子どもたちばかりか、彼らが学んだ知識を家に持ち帰り、坂の名付けについて親子で考え話し合うことで、大人たちの間にも地域をあらためて見直すきっかけが生まれた。
防災のために発案されたプロジェクトは、結果的に住民の地域意識を高めるという別の意義を生んだわけだ。
こうしてプロジェクト第1弾の対象となった3つの坂のために地域住民から集められたアイデアは全部で111案。これを選考委員会がそれぞれ3案に絞り込み、2月9日に自治会館で住民投票が実施された。当日来られない人には事前投票も行われたという。その結果をさらに選考委員会で協議し、「ゆずりあい坂」「北町長坂(きたまちながさか)」「めぐり坂」という名前が決定。3月10日に回覧板などで発表された。
商店街沿いの自治会掲示板に貼られた名称決定を伝えるチラシ
3つの坂のうち「めぐり坂」という素敵な名前をつけたのは、神橋小学校2019年度3年2組の生徒たちだった。子どもたちは考案者に贈呈される記念品を辞退したが、そのかわりに自治会長から子どもたち一人ひとりに感謝状が送られたという。
さて、そのようにして決まった3つの坂の様子を、いよいよ取材してみよう。
といっても、森会長曰く「ただの普通の坂ですよ」とのこと。それはそうだろう。だからこそこれまで名もなき坂だったわけで。でも、いいのだ。実際の坂を見ることで、坂の名付けに寄せた住民たちの思いが少しでも浮き彫りになれば。
「ゆずりあい坂」を上る
というわけで、まずは「ゆずりあい坂」から。これもまた素敵な名前ではないか。
名称決定のチラシには、「1階が美ゆ喜鮨のマンション・南側~コンフォール北原1号棟」とある。すぐにわかった。その坂は北町商和会の通りから始まっていた。
目印は「美ゆ喜鮨」
そのマンションの南側とはココ。目の前の通りが商店街、左手の道が「ゆずりあい坂」
正面から坂を望むと左側のフェンスにプレートがあった
金属板のプレートには確かに「ゆずりあい坂」と書かれていた
上ってみよう。比較的なだらかな坂だが、ほぼまっすぐなのでけっこうきつく感じる。
そこを両手にレジ袋を提げて歩いて行く人がいた
ズンズン上っていくが、やはりほぼまっすぐな道が続く。
前かがみになってゆっくり坂を上る人の後ろ姿が印象的
坂の途中の消火器のところに名称プレートを発見
さらに上っていくと、途中で脇道から中年の女性が現れたので声をかけてみた。話を聞いてみると、生まれも育ちもこの町だという。
新しい坂の愛称について尋ねると「この坂は車が1台ギリギリ通れるぐらいの道幅しかないから、車も人もゆずり合わなきゃならない。その意味ではピッタリの名前なのでは?」とのこと。
確かに車1台分がやっとの道幅。通行人が道路脇によけているのがわかる
上りきる少し手前の右手にまた名称プレートがあった
だがこのプレートの近くに「ここから先私有地」云々という貼り紙もあったので・・・
これ以上先へ進むことは控えることにした。
足を止めた場所から、上りきった地点をズームで撮る
道が途絶えた先に見える左手の建物が、「コンフォール北原1号棟」のようだ。
ブルーのラインが「ゆずりあい坂」の全行程(© OpenStreetMap contributors)
筆者の足で300歩弱、3~4分で上りきれる距離だった。
「北町長坂」を上る
続いて「北町長坂」の上り口を探す。
名称決定のチラシには「1階が美ゆ喜鮨のマンション・北側~旧八百貞商店」とある。なんだ、「美ゆ喜(みゆき)鮨」のあるマンションを挟んだすぐ隣りではないか。
いずれも坂下は北町商和会の通りに面していた
そして上り口に同じく名称プレートが
確かに「北町長坂」であることをチェック
こちらの坂の始まりはちょっと右にカーブしている
そのあとしばしまっすぐな道が続き
その途中の右手に東電の大きな鉄塔がそびえていた
もう少し進むと左手に名称プレートを発見
この辺りからゆるやかに左にカーブし始める。傾斜はそれほどきつくないが、なだらかな坂が延々と続く感じ。道幅は「ゆずりあい坂」よりも余裕がある。
さらに坂は左へゆるいカーブが続く
この付近で写真を撮っていると、ゆずりあい坂で見かけたような両手にレジ袋を提げて坂を上ってくる男性に出会い、話を伺う。坂の上の先のほうに10年ぐらい前から住む50代後半の方だった。
「両手に荷物で大変ですね」と尋ねると、「いやいや、このぐらいの坂は横浜ではまだ可愛いほうでしょう」と言われた。坂の名前については「比較的長い坂だから『長坂』。そのまんまですが、わかりやすいからいいのでは?」と笑った。「すぐ近くに避難所の岸根公園があるから、名前がついたことは防災上良かったと思います」とも。
男性と別れてさらに上っていくと、今度は右手の民家の擁壁に名称プレートを発見。坂の途中に2ヶ所プレートが設置されていることが、この坂の長さを物語っている。
この辺りは比較的まっすぐな道
男性の言う通り、脇道を覗くとすぐそこに岸根公園の木々が見えた
少しまた右にカーブしたあと、ようやくゴールが近づく
坂はT字路に突き当たり、めでたく登頂を果たす
左手の黄色いポールに山頂標識のごとき名称プレート発見
坂上のT字路の右手を見る
左の自動販売機がある辺りが名称決定のチラシに書かれていた「旧八百貞商店」だろうか。その向こうに見える森は岸根公園。
T字路左手の先にはやはりコンフォール北原が
「ゆずりあい坂」と「北町長坂」は並行する(© OpenStreetMap contributors)
北町長坂の長さは筆者の足で400歩ほど、およそ5~6分の行程だ。
「めぐり坂」を下って上る
3つ目の「めぐり坂」は少し離れた場所にあった。
名称決定のチラシには「神橋小学校南門~杉山大神・横~南へ下りる」とある。先の2つについては「坂下~坂上」の順で表記されていたが、この坂は「坂上~坂下」の順。そこに何か深~いワケが隠されているのだろうか?
ちょっとそんなことも期待しつつ、今回は上から攻めることにした。
というわけで、神橋小学校南門に到着
右手のフェンスに名称プレートがあった。
名称プレートの下に「『めぐり坂』の由来」と題した掲示が
そこにはこのように書かれていた
さらにこのように続く
神橋小学校のグラウンドのまさに裏手が杉山大神だ
神社を左手にして、その先にめぐり坂が下る
坂が下り始めるところまで来てわかった気がした
なぜこの坂が上から下へ道順を案内しているか、を
ほぼ直線状の坂全体を一望できるほどの短い距離なのだが、この坂上からの風景がなんとも風情があるのだ。
とはいえ平等を期すため、この坂もいったん下に降りてから上ってみることにした。
坂下にはやはり名称プレートあり
坂の途中にもう1枚プレートが
上りながら、さらにわかったことがある
なぜこの坂を坂上から紹介しているのか、そのもう一つの理由だ。
坂の長さは筆者の足で200歩ほど。およそ2分程度で上りきれる。だが、道路上に「O(オー)リング」が施されていることからもわかる通り、この坂、短いけれどもなかなか急峻だ。3本の坂の中では、もっともきつい。したがって、不要不急の散策であれば、上りよりも下りをおすすめする。
めぐり坂下の右隣りは杉山大神の入り口
むしろ上るならこの鳥居をくぐって、巨木に囲まれた石段を上っていったほうがいい。
石段は「めぐり坂」と並行して走っている
途中には樹齢200年を超えるケヤキの古木もあり目の保養となる
いずれにせよ神橋小学校の子どもたちは、豊かな歴史に彩られた贅沢な環境の下にいる。うらやましいかぎりである。
オレンジのラインが「めぐり坂」(© OpenStreetMap contributors)
とっても元気な商店街老舗店主に遭遇
「ゆずりあい坂」と「北町長坂」を取材していて、気になったことがある。いずれの坂でも両手にレジ袋を提げた人たちに出会ったが、この方たちはどこで買い物をしてきたのだろうか。
そこで、坂の探訪のあと、ふたたび北町商和会に戻って周辺を探ってみた。
商店街の向こう、西岸根交差点の角にスーパーが見えた
交差点角の「トップフレッシュマーケット岸根店」は買い物客でにぎわっていた
「なるほどね」と思いつつ商店街の中に戻ると、一軒の自転車屋さんが店を開けていた。
「サイクル工房 MISAWA」とある
店内を覗くと、店主らしき方がそこにいた。
声をかけると、それはそれは丁寧に、六角橋北町商和会の今昔物語を聞かせてくれた。前出の『平成4年版六角橋北町自治会会員名簿』も、このお店にあった資料だ。
同店店主・三澤明(みさわ・あきら)さん
「あの店がなくなりこの店がなくなり・・・」と事細かく教えてくれた三澤さん
三澤さんは今年72歳になる生粋の北町っ子。店の創業は終戦直後の1946(昭和21)年で、父の跡を継いだ2代目店主だ。
膨大な道具と部品を揃え、「オーダーメイドが自慢」なのだという
さらに三澤さんは家の隣りの駐車場にある防空壕跡を見せてくれたり
小学校低学年の時に岸根公園の上の米軍基地跡で拾った砲弾を見せてくれたり・・・
坂とは全然関係ないのだが、全盛期の10分の1ほどにまで店舗が減ってしまった「六角橋北町商和会」の中に、こんなにも元気で、しかも貴重な記憶を有した方がいらっしゃるとは。そのことをぜひ記録にとどめておきたかった。
取材を終えて
六角橋北町自治会の森会長からは、今後のプロジェクトの展開についても話を伺った。
「こんな状況だから、今はなかなか集まって話し合いができないけれど」と前置きしつつも、「次はほかの町会とも一緒に六角橋全体でまたやろうか、という声が上がっています」という。
森さんは、六角橋の6つの町会(東町、西町、上町、中町、北町、南町)を束ねる「六角橋自治連合会」の会長でもある。
北町にかぎらず、六角橋は日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国征討という古代日本史にまでさかのぼる歴史の色濃い土地柄だ。六角橋全体に対象を広げれば、きっと魅力的な坂道の名前が続々生まれるにちがいない。
ぜひ、プロジェクトの拡大に期待したいところだ。
―終わり―
取材協力
六角橋北町自治会(六角橋自治連合会)
問合せ先/横浜市神奈川区六角橋3-3-13(六角橋ケアプラザ)
電話/045-413-3281
サイクル工房ミサワ
住所/横浜市神奈川区六角橋6-29-27
電話/045-491-8569
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フリーバードさん
2020年06月01日 10時42分
家の近所です。とてもステキな取組ですね。
秋沙さん
2020年05月29日 16時51分
西区東久保町で、東久保町夢まちづくり協議会が主催で6か所の坂道に名前を付ける取組が行われました。2009年頃だったと思います。 ついでに取材して下さい。
Yang Jinさん
2020年05月29日 16時44分
坂を登って大変でしたねーお疲れ様でした。