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三渓園近くの「八王子道路」は、どうして「八王子」なの?

三渓園近くの「八王子道路」は、どうして「八王子」なの?

ココがキニナル!

「三渓園入口」バス停の前に、本牧大里町・国際ふ頭方面に向かう道に「八王子道路」という標示を見つけました。八王子から遠く離れ、八王子に向かうでも無い道に「八王子道路」とは一体なぜ?(呑屋の狸さん)

はまれぽ調査結果!

かつて当地にあった「八王子社」が由来。「おはちおうじさま」と親しまれ、地名としても長く使われてきた!

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ライター:田中 大輔

その昔、生糸の集積拠点だった東京都八王子市から、海外への輸送拠点だった横浜へ続く道。それが、いわゆる「絹の道」だ。
そして、横浜で成功を収め、現在も本牧の三渓園にその名を残す生糸商と言えば、原三渓(本名・原富太郎)である。

今回のキニナルにあるのは、原三渓ゆかりの地を通る「八王子道路」。となると、真っ先に思い浮かぶのは「絹の道」だが・・・。
 

 
かつてのシルクロードと「八王子道路」に、果たして関係はあるのか。八王子道路からもほど近い、横浜市八聖殿郷土資料館で取材した。
 
 
 

絹の道は勘違い!?



八聖殿は、1933(昭和8)年に時の政治家・安達謙蔵(あだち・けんぞう)氏によって建てられた八角三層の建物で、現在は横浜の海の暮らしを中心に、地元・本牧の歴史にも詳しい資料館となっている。
今回、取材に応じてくれたのは、八聖殿郷土資料館の相澤竜次(あいざわ・りゅうじ)館長だ。
 


丁寧に「八王子」の話を聞かせてくれた相澤館長

 
相澤さんにさっそく八王子道路について聞いてみると、「八王子市までつながっている絹の道だと思っている人が結構いらっしゃるのですが、これは勘違いなんです」。
相澤さん自身、来館者に「絹の道と関係あるんでしょ?」と聞かれることがあるそうで、この誤解をしている人は少なくないそうだ。
 


八聖殿の外観。法隆寺夢殿をモチーフにした特徴的な建物

 
しかし、キニナルにもあるように、この道路は八王子市までつながっているわけではない。というか、どこにもつながっていない。
いや、まぁ、道路だからどこにもつながっていないと言うと語弊があるが、この八王子道路、実は三渓園入口停留所付近の七差路辺りと本牧元町交差点の間の、わずか500メートルばかりの市道なのだ。
 


地図だとこの辺り(Googlemapより)
 

こちらが八王子道路。ごく普通の生活道路という感じの道
 

三渓園入口停留所前には「八王子道路」の名前を示す看板

 
辺りは住宅街でこれといったものがあるわけでもなく、名前が付いていなければ特に注目することもない、なんてことのない道路なのである。
ここを生糸を持って行ったり来たりしたところで、1円の儲けにもならない。では、なぜ八王子道路なのだろうか。