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三渓園近くの「八王子道路」は、どうして「八王子」なの?

三渓園近くの「八王子道路」は、どうして「八王子」なの?

ココがキニナル!

「三渓園入口」バス停の前に、本牧大里町・国際ふ頭方面に向かう道に「八王子道路」という標示を見つけました。八王子から遠く離れ、八王子に向かうでも無い道に「八王子道路」とは一体なぜ?(呑屋の狸さん)

はまれぽ調査結果!

かつて当地にあった「八王子社」が由来。「おはちおうじさま」と親しまれ、地名としても長く使われてきた!

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ライター:田中 大輔

牛込村のランドマーク



「かつて、この辺りに八王子社という神社がありました。八王子道路の由来は、その八王子社で間違いありません」と相澤さんは答えを教えてくれる。
八王子というのは、牛頭天王の八柱の御子神、平たく言うと八人の子どもたちのことで、その八王子を祀った神社が八王子社とか、八王子神社と呼ばれるお宮だ(起源や定義には諸説ある)。

当地が牛込村と呼ばれていた時代に作られた神社だそうで、「規模は小さかったようですが、村の鎮守として信仰を集めていたようです」と相澤さんは話す。記録の上では、1802(享和2)年9月に書かれた書物にまで遡ることができるとのことで、その文書に当時の祭礼について記録があることから、それよりも昔からあったことは間違いなさそうだ。

八王子社があったのは八聖殿が建つ丘の中腹辺りだったそうだ。現在でこそ、埋め立て事業により海岸線はだいぶ遠のいてしまったが、往時はまさに崖っぷち。眼下にわずかな砂浜と海を望む切り立った高台に建てられた八王子社の姿は、海からも見えたと考えられている。
 


八聖殿裏手の展望台からの眺め。工場があるのは埋立地
 

三渓園側には今でも残る、かつての海岸線だった崖。八聖殿は崖の上に

 
というのも、漁業が盛んだった本牧だが、丘の近くの海は「荒洲(あらす)」と呼ばれる海の難所だったという。そのため、海を鎮めてもうらための神様として海辺の崖に祀られたのだろう、と相澤さん。
 


昔の海岸線辺りから。正面、崖上の白い建物辺りが八王子社だった

 
史料や時代によって、八王子社、八王子権現社、八王子大明神、八王子神社など、さまざまな表記の存在する八王子社だが、地元の人々からは「おはちおうじさま」と呼ばれ親しまれ続けた。

それを示すように、神社のある地域を「八王子」、神社の建てられた丘は「八王子山」、特にその突端を「八王子鼻」と呼び、神社下の砂浜は「八王子浜」、村の中心地から見て神社の裏手に当たる八聖殿の辺りは「八王子奥」、地域を流れていた小川には「八王子川」と名前が付いた。

いかに八王子社がランドマーク的な存在であり、生活に溶け込んでいたかがうかがえるわけだ。
 


1916(大正5)年の地図を加工したもの。地名として八王子の文字が
(画像提供:横浜市八聖殿郷土資料館)
 

なんでもない路地に見えるが、かつての八王子川の跡とのこと

 
この「おはちおうじさま」は、1911(明治42)年に国から出された合祀令(ごうしれい)により、慣れ親しんだ海辺から離れることになってしまう。合祀先は現在の本牧神社で、今でもそこに鎮座している。本牧神社はかつての本牧十二天社で、規模や歴史で言えば八王子社よりも上。しかし、八王子社は末社ではなく、相殿摂社として祀られている。

噛み砕いてイメージすると、吸収合併ではなく対等合併に近い形となり、これは破格の扱い。「恐らく当時の氏子さんたちが主張し、認められたのではないか」と相澤さんは言うから、そうだとすると地元の人々の強い思いが感じられる。
 


本牧和田にある本牧神社。ここに「おはちおうじさま」が

 
「おはちおうじさま」を慕う人たちの思いはそれに留まらず、神様が引っ越してしまった後も神社のあった場所に祠を残し、特別な場所としていたようだ。

八王子という地名も、1933(昭和8)年に本牧元町と改称されるまでは小字名として存在していたし、行政上は地名が消えてしまった後も地元の人たちの間では使われ続けた。「現在でも、お祭りのときに使われる地域名を“八王子若衆”を略したとされる“八若”と呼んでいます」と話す相澤さんは、「地元の人は大切にしているように感じますね」と続ける。
 
 
 
合祀から60年が経ち

神社がなくなった後も、「おはちおうじさま」は地域の人に親しまれ続けたようだ。
実は、今回の本題である八王子道路の名前も、その証拠になっているように感じられる。

この八王子道路、戦争の最中には、家を立ち退かせるなどして、周辺の数本の道と合わせて拡幅され「疎開道路」と名付けられていたこともある。
相澤さんによると、海まで一直線に逃げられる道で、幅を広げることで火災の延焼を防ぐ役割もあったそうで、「今でも疎開道路と呼ぶお年寄りもいます」とのこと。

だから、「八王子道路」という名前が付いたのは戦後ということになる。

道路局に問い合わせたところ、「昭和50年代に市内の道路に愛称を付けようという事業があった」そうで、「八王子道路」もこのときに命名されているという。
事業の成果がまとめられた『愛称道路』という冊子から考えるに、1976(昭和51)年度か1977(昭和52)年度に決まった名前であることは間違いがなさそう。
 


疎開道路の別名も持っていた八王子道路

 
道路局の担当者は、個別の経緯については分からないとしながらも、「全体としては地元からの提案をもらい、市や識者から成る委員会で決めていった」と教えてくれた。
だから、地元からの要望があったのだとすれば、「おはちおうじさま」のお引っ越しから60年以上を経て、道路にその名前が戻ってきたことになる。

当時の地元の人が神社の名前という意識を持っていたか、それとも地域の名前という意識だったかは分からないが、「八王子」という名前が当地で生き続けていたことがうかがえる。
八王子社に端を発し、地元に根付いた「八王子」という言葉が「八王子道路」の由来になったことは疑う余地がなさそうというわけだ。

ただ、興味深いことに、「実は、現在の八王子道路がある場所は、かつての八王子地区からはちょっとだけ外れているんです」と相澤さん。
 


赤で囲われているのがかつての八王子地区。道路とはずれている
(クリックして拡大。画像提供:横浜市八聖殿郷土資料館)

 
どうしてそうなったかは分からないが、「神社が別の場所へ動き、行政上の地名が消えてしまった後、八王子という言葉を残すために道路に付けたのではないか」と相澤さんは推測してくれた。
 
 
 
取材を終えて

地域を守るための神様として祀られ、人の都合で別の場所へ移された「おはちおうじさま」だが、地元の人々の思いは時代を越えて息づいてきたようだ。
現在、かつの八王子社参道跡の脇には「おはちおうじさまの碑」が建てられている。
 


階段がかつての参道。上がって左手に神社があった

 
この碑、市や区が建てたのではなく、地元の有志によって作られたもの。しかも、1990(平成2)年にだ。八王子社の合祀から実に80年が経ったころの話。八王子社を知らない世代の人たちにも大切にされ続けているわけだから驚くほかない。

これだけ地域に根付いた「おはちおうじさま」なのだから、道路の名前になっていたって不思議ではない。そして、この道路の存在が、さらに若い世代にもその思いが受け継がれていくきっかけになるのかもしれない。
 
 
―終わり―
 
 

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  • 調査依頼者本人です。 いつの間にやらアカウントが無効になっており、すぐに記述出来ずスミマセン。 お忙しいところ、丁寧な調査いただきましてありがとうございました。記事も読んでいて楽しかったです。 それにしても、神社由来の地名でしたか。八王子社…かなりの規模のようですね。山梨の昇仙峡、ロープウェイを上がった先にも、山のてっぺんに八王子社の祠があり、様がお祭りされていたような記憶があります。関西にもあるのですか…。八王子社にも興味がわきました。 今後、ご祭神や由緒などを調べてみたいと思います。 有難うございました。

  • 本牧元町の新住民です。断片的に聞いていた事柄が、よくつながり、スッキリしました。丁寧に調べていただいたことを感謝します。

  • なるほど、八王子の意味がよくわかりました。親族の故郷(関西)にも八王子という地名があり、長年、なぜ東京の八王子から遠く離れた関西に八王子?と、疑問に思っていました。

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