【震災れぽ21】横浜市の被災者受入れ施設、物や人は足りているの?
ココがキニナル!
横浜市が被災者の受入れを開始してから約1ヶ月が経ちましたが、その後の状況を教えてください。
はまれぽ調査結果!
被災地へ戻る人が増えたので、物や人は足りています。
ライター:河野 哲弥
先日の【震災れぽ15】横浜市の被災者受け入れ施設の状況はどうなってるの?では、震災による被災者の受入れを開始してから3日後の、各施設の様子を取り上げた。その時は開始直後という事情もあり、中には多忙で十分なお話が聞けず、かなり速報ベースの内容となってしまったものもあった。
あれから2週間が経ち、ある程度落ち着きが見えてきた今、改めて当時の事情をお聞きすると共に、何がどう変わってきたのかを取材した。
2週間前は228名、今では8名まで落ち着いた「老健リハビリよこはま」
介護老人保健施設「老健リハビリよこはま」の、4月4日の様子
この施設は3月19日、福島県南相馬市の介護保険課や日本慢性期医療協会からの支援要請に基づいて、電気が不通となり医療機器が使えない現地の患者を迎えに行き、自ら受け入れたところが一般の受入れ施設とは違うポイントだ。
当初受入れを予定していたのはベッド数の空きに応じた130名ほどの人数。
しかし「このバスに乗ると原発から逃げられる」という噂が先行し、結局病人でない人も含め228名が殺到したとのこと。
さながら「ノアの箱舟」のような逃避行となった。
その後、近隣県の病院などで次々と通電が開始されたこともあって、今では避難者は8名まで減ってきている。元々の目的が緊急避難であったため、事態の回復に伴って現地へ戻る人が増えているようだ。
市のお役所仕事に絶句、是非現場を見てほしいと言う同施設
市のやり方に不満を感じると言う、同施設の西片事務長
話は震災直後の22日へ戻る。
避難者の受入れがひと段落した後、横浜市から調整役が訪ねてきたらしい。
ありがたいことに日常品などは近所のボランティアのおかげで集まっていたので、不足していた車椅子やAED (自動体外式除細動器) などの器具の支援を申し入れたそうである。
ところが、市の職員の口から出たのは「所管が違うので…」とのセリフ。
一体何をしに来たんだと憤りを感じる中、次に告げられたのは「避難者の動向を把握する為にリストを作れ」との指示。さすがに疑問を感じた同施設は、理事長などを通して再度要望を申し入れたところ、後日、物資が無事に届いたそうだ。
「今思えば、被災者を一人でも多く救うことを第一とした為、身元の確認をおろそかにしたところは確かにあった。しかし、市の言うリスト化の重要性も分かるが、優先度が違うんじゃないか。まるで現場を見ていない人が言うセリフとしか思えない」と、西片氏は言う。
2週間前は84名、今でも31名が残る「たきがしら会館」
ご対応いただいた、海原課長さま
では、当の横浜市の受入れ施設はどうなのだろうか。
前回から違ってきた点といえば、やはり現地の医療施設が復活したことにより、「家に帰りたい」という希望が多くなってきたこと。それと同時に新学期を境目として、横浜の学校に通わせることを決意した家族と、現地での生活を望む家族の境界線がハッキリしてきたことらしい。
このようなことから、前述の「老健リハビリよこはま」とは増減数に顕著な違いがある。主に、就学児童がいるかいないかで、戻られる方とそうでない方の差が出ているのではないかと、海原さまは言う。
また、長期滞在によるメンタル面のケアをすべく、神奈川県社会福祉士会による無料相談の窓口を設けるなどの工夫をしているそうだ。
寄せられる相談としては、最初は明日の生活に関することだったのが、次第に子供の学区などに変わり、今では将来の生活設計の悩みなど、時間線の長いものに変わっているそうだ。
善意と必要性の狭間に揺れる、ボランティア物資の問題
未だに続々と寄せられる物資の数々
ここで注意しておきたいのは、同施設の受入れ条件は基本的に「自立した生活ができる」こと。従って、本来なら支援物資やボランティアの必要はないのだが、そこは日本人の思いやりの心もあり、続々と支援の申し入れがあるそうだ。
そんな中、同施設ならではの悩みもある。
それは、「どうして被災者の為を思って物品を提供しているのに受け入れてくれないのか」という提供者からのクレームである。もちろん中には、ちょうどピンク色のランドセルが欲しいと思っていたところに、同じような寄付が届くこともある。
しかし時には「コレってどうなの…」という物もあり、お断りせざるを得ない状況も少なからずある。そのため、今では事前に避難者から欲しい物資のアンケートを募り、それにマッチしたものだけを受け入れているそうだ。
「人」と「物」を左右するのは、何よりも「情報整理」ではないのか
たきがしら会館に貼られた、様々なメッセージ
振り返ってみると、「老健リハビリよこはま」では、流言により予定数以上の避難者を迎え入れなくてはならなくなった事情と、それによってある意味「行方不明者」の予備軍を生み出してしまったことは否めない。また、それを防止しようとした市の職員との意識のズレもあったように感じる。
一方「たきがしら会館」では、正義感から援助しようという市民と、必要とされていない物資の処遇に困っているジレンマがあった。
こうしたちょっとした行き違いは、得てして起きやすいものであり、また時間と共に忘れ去られてしまうものなのかもしれない。だからと言って、同じ過ちを繰り返していていいものでもない。
取材を終えて感じたのは、こうした情報整理の重要性と感じた。こうした苦い経験を、これからも個人のスキルに任せておくのか、それとも組織立ったナレッジとして蓄積していくのか…。決してあってはいけないが仮に次の災害が起こったとした場合、その違いが対応の差として現れてくるだろう。
同じようなことにならないよう、しっかりとこの経験を活かしていただきたい。
―終わり―
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