小机にある「横浜のジャングル」が花見の穴場スポットって本当?
ココがキニナル!
小机駅前「愛宕山平成遊歩道」は聖徳太子堂の反対側の稲荷神社下まで近所の八百屋さんが30年守り続けた遊歩道。ここ7~8年でジャングルに。 (太子堂の縁側に座り一人花見酒は最高)(三ッ沢さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
遊歩道は戦前からある道を町内会が整備管理、八百屋さんが草木を植え剪(せん)定、現在は町内会が管理。太子社は年一度開帳。1人花見酒は確かに最高
ライター:ほしば あずみ
手習いのはじめ小机へ
太子堂と稲荷神社を結ぶ、「近所の八百屋さんがたった1人で作り上げた遊歩道がここ7~8年の間に荒れ果てている」。いきさつも何もかもがキニナルので、さっそく現地へ向かってみることに。
場所は小机。
googleマップによる位置関係。投稿どおり、駅前にあるようだ
JR小机駅の南口から歩くこと数分。
雲松院(うんしょういん)というお寺の参道を進むと・・・
門前の脇に、お稲荷さんに上る石段発見
投稿にあった「太子堂の小さな丘の反対側の稲荷神社」とは、ここに違いない。登ってみよう。見上げたところに小さなお社が見えている。
白山社と稲荷社が祀られていた。取材の成功を祈願して参拝
お社の右側には石段が続き、さらに奥へと誘う。これがキニナル投稿にあった「愛宕山(あたごやま)平成遊歩道」であろう。
「愛宕山平成遊歩道」をゆく
八百屋さん一人で作ったにしては立派に整備されている印象
だが、写真だけだとここが横浜だとは思えない
「遊歩道」という言葉の響きが持つ、木陰の散策路的なのどかさとは趣を異にした、野趣に富んだ小道が続く。
こういう道、前も歩いたなあと思う。はま旅の「金沢文庫編」で、「称名寺市民の森」を歩いて八角堂に至った時か。だが、あれに比べるとかなり歩きやすい。金沢区にある人面岩を求めて白山道への古道を歩いた時か。でも、あれに比べると勾配が穏やかだ。
鬱蒼としているものの、足元は歩きやすい
舗装はきれいに顔をみせており、人の手が入っていないわけではなさそうな印象。茂みの間から鶴見川流域センターのレーダーが見えた。流域センターは駅を挟んだ反対側のはず。視界がひらけたらずいぶん眺めが良さそうだ。
と思っていたら、こんな看板(だったと思われるもの)が
たぶん「展望台/横浜国際競技場方面」と書かれていたのではないだろうか。
眼下一望というわけにはいかないが、確かに日産スタジアム方面をここから眺めることができる。
その看板のそばに、何やら建物が見えてきた
どうやら目的地に近づいてきたようだ。
「聖徳太子社」と書かれている。確かにここが目的地だ
「太子社」。そういえば神垂(しで)も下がっている。神社なのか。一般に「太子堂」というようにお寺で祀られるイメージがあるのに、珍しいなと思う。
しかし「太子社」が掲げられてなければ何だかわからない
投稿にあった「太子堂の縁側に座り一人花見酒は最高」がキニナルので検証したいところだが、まずはこの遊歩道と太子社について解明せねばなるまい。いったん下ろう。
だが、石段は封鎖されていた。ここに来てまさかの行き止まりか
いや、封鎖された石段脇につけられた別の道から下界へ
その途中に落ちていた破片
おそらく「愛宕山平成遊歩道/登山口」とでも書かれていたのではあるまいか。先ほどの「展望台(と思われる)」看板と朽ち具合もフォントも似ている。
すぐそばには大きな石碑が建立されている
石碑には「記念/聖徳太子」と刻まれており、右側に「一千三百年」左側に「大正九年移轉(てん/転の旧字体)」とある。
「一千三百年」とはなんだろう。皇紀だとすれば西暦に直すと640年。聖徳太子は622年没と伝えられているので、関係性がわからない。
「大正九年」は西暦だと1920年。その1300年前は620年なので、もしかすると没後1300年記念、だったのかもしれないが詳細不明だ。
裏には寄進者の名前と「昭和十年五月建之」の銘
ちなみに、はま旅「小机編」によると、太子社側の参道入り口にある案内碑には、「聖徳太子堂参道」の文字。
結局、太子社なのか太子堂なのか・・・