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かつて横浜駅舎内にあった、100年以上の歴史を持つ「理容室ナリタ」って、どんなお店?

ココがキニナル!

横浜駅舎内にあった理髪店「ナリタ」。ウナギの寝床のようなつくりでスチームが暑すぎるくらいだった頃が懐かしいです。撤退の原因がダイヤモンド地下街からの閉店要請だったって本当?(すぎさんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

撤退の直接的な原因は閉店要請ではない。1894年に創業した「ナリタ」は2012年まで営業。現在はスカイビル店のみで、新経営者により進化している

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ライター:山口 愛愛

ナリタの元従業員が100年の歴史を継承



オシャレな美容室がひしめく横浜駅界わい。女性に人気のファッションブランドが集るスカイビルの中に「床屋」があるとは意外な組み合わせかもしれない。
かつては駅舎の中にあったという老舗の床屋さん。近隣にも数店舗展開したが、ダイヤモンド地下街からの要請で撤退したとの話は事実なのだろうか。スカイビルの中にある現在の店舗の様子もキニナルところだ。

実際に男性に髪を切ってもらえば、より店のことがわかるだろう。そう思ったが、男性編集者たちは意外と身だしなみに気をつけていて、さっぱりとした短めの髪型をしている。

あ、モサモサしているのが1人いた。編集部・宮城とスカイビル理容室ナリタへ向った。
 


場所はスカイビルの9階

 

今日は疑問を解決し心も髪もすっきりしようではないか。さっそく、やさしい笑みで迎えてくれたオーナーの豊島さんにお話を伺うことに。

店の概要を聞きながら「理容室で100年の歴史とは重いですよね。豊島さんは何代目かにあたるのでしょうか?」と切り出してみると「いえ、いえ、僕が後継ぎではないんです。でも・・・」とこれまでの経緯を語ってくれた。
 


オーナーの豊島昭王(とよしまあきお)さん

 
元々この店は「成田理髪店」が経営していて、1894(明治27)年の創業からなんと100年以上経っている。古くは横浜駅の駅舎の中にあった。豊島さんがオーナーを務める「スカイビル理容室NARITA」になったのは2012(平成24)年からのこと。

横浜駅舎にあったほか、1956(昭和31)年には相鉄名店街に入り、横浜駅西口の開発初期からダイヤモンド店、ジョイナス店を開店しにぎわいをみせていた。その後、ルミネ店、シャル店、ランドマーク店、ホテルリッチ店と増やし、スカイビルが30階建てに生まれ変わった1996(平成8)年には、現在の場所にあるスカイビル店を展開。しかし、残念なことに成田理髪店は2年前の2012(平成24)年に倒産してしまったのだ。
 


「成田理髪店」時代のスカイビル店の外観

 
「僕は成田理髪店の従業員だったんです。自分たちの職場も失いますし、100年の歴史を残したいと思って、独立して引き継いだんですよ」と豊島さん。

スカイビルでの経営となると、契約上「株式会社」でなければ店舗営業ができない状況にあった。
「急遽1ヶ月で会社を立ち上げ、ビルと交渉しテナントを買い上げました。内装のリニューアル工事は5日でやったんですよ」。歴史を継承しようとした行動に男気すら感じる。
 


昔のメニューに「総合基本御調髪(カット、シャンプー、シェービング等のコース)」の文字

 

ダイヤモンド地下街からの閉店要請の話を尋ねると「2年前に西口を再開発するときに、相鉄ジョイナス店とダイヤモンド地下街店を1店舗にまとめる話があったので、開発のせいで店がなくなる・・・というような意味で伝わったのではないでしょうか」と説明した。
 


成田時代の写真を見ながら振り返る

 
豊島さんは、両親が美容室を切り盛りする姿を見て育ち、都内の店舗で修行をしてから、地元の神奈川県内で仕事をしたいと、成田に入社した。
 


理容師歴22年の豊島さん

 
「いつ来ても、誰が担当しても同じ仕上がり。おもてなしの心を大事にする」という成田の精神は、豊島さんがマニュアルを作り具体化して受け継いでいる。さらにオプションなどのサービスで付加価値を付けながら、新規の顧客も取り入れ進化しているのだ。
 


「誰でも安心できる店作りを心掛けています」

 
前成田時代から供にしているという、田野井(たのい)店長にも話を聞いてみると、お二人が大切にしているのは「40分で最高のおもてなしをする」ということ。
高級サロンのように長時間かけて仰々しいサービスをするわけでもなく、激安カットのように回転を速くするわけでもなく「いつでも当たり前のことを当たり前にでき、満足してもらえるサービス」を目指している。
 


「お客さんの身になってサービスしている」田野井店長

 
サービスを素早く行うのには理由があった。「元は横浜駅の駅舎にあったので、ビジネスマンや移動の合間に利用するお客さんも多かったのです。なので、短い時間にサービスを凝縮しています」とお二人は口をそろえる。

「ターミナル駅なので、東京や藤沢など遠くから来られる方も多く、駅舎時代から代々通われているお客さんもいます。ナリタの名に恥じないように、との思いなんです」と豊島さん。
 


「男は床屋だ」の潔いコピー

 

駅舎時代のことを知っているか聞いてみるが「閉店したのが約40年前ですからね・・・」と苦笑い。「僕も知りたいぐらい。逆に、当時の話は常連のお客さんから聞くんですよ」と笑う。

「今のルミネの位置にあたる、東口の中2階にあったんですね。入口が細く、カット台は8台くらい縦に一列に並んでいたようです。昔はお湯が出なかったらしく、やかんでお湯を沸かして水と混ぜて髪を流していたとか。忙しい店だったから、絶えずお湯をわかしっぱなしだったそうですよ」
 
お二人が、80歳代くらいの常連さんの話を思い出しながら、当時の店の様子をまとめてくれた。

 

昭和37年ごろの横浜駅(写真提供:大成建設)

 

古き良き時代の面影を残しつつ、福袋などの新しいサービスも

 
「そんな古いお客さんもいて、『横浜といえばナリタ』と思ってくれている人も多いので、スカイビル店は守って続けていきたい」と語る。

ナリタの歴史と精神を継承する伝統の高い技術と新サービスを体感してみよう。